そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

真夏の夜に観た夢

お久しぶりです。

 

 

一か月更新しないでいたら、はてなブログから督促されました。

私がみっくんだったら三万回は退会していたところです。

 

 

 

 

この一か月、私は「納涼歌舞伎」という名の夢に浮かされていました。

 

千穐楽にはこの有様だよ

 

 

何度も幕見に通い、通しで一等席をキメ、お写真は爆買いという財布への乱暴狼藉…

「この狂気の沙汰はぜひ記しておかねばならぬぅ!」と思いつつ、元来の作文嫌いに加えて”素敵な文章”への妬み嫉み劣等感から、ブログのアプリを開く指が重くなっていました。(たいへんな現代っ子感)

 

 

 

九月秀山祭も中日を過ぎたころ、なんとなく納涼の筋書を読んでいたら

そもそも事の発端は「藩の公金をこんなことに使ってはいけない」という酒井の再三の

訴えだった。そして酒井は信念を貫き通して良い結果に結び付ける。政治家の公金使徒が問題になる昨今、これは恐らく想定外の見事な「攻め」になったのではないだろうか。

 

 

 

廓噺山名屋浦里』について書かれた文。

私が見たものとは違う角度の見解だったから、なんだかおもしろかった。

「なるほど、そっちか」と。

 

納涼歌舞伎の中では唯一、一度しか観なかった演目。

私が観た廓噺山名屋浦里』を、私のフィルターを通して記録しておこうと思います。

 

 

 

  • 見初めの場

超が付くほど真面目一徹な酒井宗十郎

花魁の顔も見ようとしなければ声も入ってこない。目に入っているのは目の前に浮かぶ禿の扇子だけ、という場面。

まないた帯も打掛も着けていない浦里と、その浦里が有名な花魁とは露知らず…な酒井の出会いは、もはや最初から遊女とお客のそれではなかったのかもしれないなぁ。

 

見初めたのは、浦里のほうだったのかも。

 

 

 

  • ヒーロー!

留守居役達が例によって「酒井に恥をかかせてやろう」とたくらみ“江戸の妻”と称して馴染みの遊女を寄合に連れてくること!と約束をしたまさに当日。

酒井が頼み込んだのは先だっての花魁・浦里。主人の山名屋平兵衛には断られてしまうのですが、様子を聞いていた浦里は承諾します。

しかし当日、なかなか姿を現さない浦里。周りはどんどん酒井を馬鹿にし始めます。(これがまたムカつくんだ~~~)

そこへたいそうな花魁道中を連れて華やかな拵えで浦里が現れます。

そりゃあ周りもびっくり。顔に「ぎゃふん」と書いてあるようなリアクションには、なんだか荒事を観て悪者が懲らしめられているような爽快感すら覚えました。

 

凛としたその姿はまさに酒井のヒーロー。に、見えました。

 

 

 

  • 忘八

見どころの、浦里がお国言葉で感情を吐露する場面。

そこにいるのは、純粋で、素朴で、ちょっと頑固な普通の女の子で。おおきな髪飾りや派手な着物を着た花魁ではありませんでした。

 

純朴な浦里と実直な酒井の、恋と呼ぶにはあまりに小さくてささやかな絆

 

二人が部屋を出て、牛太郎の友蔵と平兵衛だけが残る場面。ぽろっと関西弁を漏らしてしまう平兵衛と、慌てる友蔵に対して平兵衛が言う「かまへん」。

実は平兵衛自身も大阪から出てきて、「贅六!」と馬鹿にされながらも必死で働いてきた人だったのです。

 

酒井が山名屋主人の平兵衛のもとを訪ねたとき、平兵衛が「この商売は忘八と呼ばれている。人間として大切なことをすべて亡くした者だ。」というようなことを言う台詞があります。

きっと、「大切なことを亡くした」のではなく、国の言葉とともに「押し殺した」のだろうな。

 

江戸の言葉で隠して、廓言葉で蓋をして、決して自分が見えないようにしていないと生きていけない世界だったんだろう。江戸は。

 

地方からやってきて融通もきかず馴染めない馬鹿真面目な男と、すべてを押し殺して身を粉にして働いてきた男、小さい時分から家のために知らない都会に出てきてどんな辛いことにも耐えながら一番に上り詰めた花魁。

 

三人の小さくてもろくて少し暖かい、形のない絆が、どうかこの混沌とした江戸の中でずっと続いてほしい、と思わざるをえないようなお国言葉の場面でした。

 

 

そして、きっと今も各地からいろんな人が、いろんなものを求めて集まっているであろう東京。より複雑になった今この時代に、このお芝居から小さくて優しいあかりを見ることができて幸せだったと思うのでした。

 

「浦里…!」「おにいさま」

と言って幕になった、その後のことは、知っても知らなくてもいいのかもしれないね。

 

 

 

 

本当に、扇雀さんの関西弁が出たあたりでピークでした。

これはずっと言う。

 

廓噺山名屋浦里』は、前楽に観たのでこれっきり一度しか観ていないのですが、この納涼の夢醒めにちょうどいいような柔らかいお芝居でした。

 

といいながら千穐楽の日に赤姫見たさに『嫗山姥』幕見したんですけどね。

こちらのお話はまたの機会に。

 

 

 

扇雀さんと新悟さんにハマり込んで貢ぎ込んだ夏でした。嗚呼。

 

 

ツチカワ

プレミアム

滞るスモッグに名前も知らない洋楽。

客電が落ちる瞬間の非現実空間を久しぶりに味わいました。

 

ツチノコ下半分こと のっこ さんのお陰様にて、ガーナプレゼンツのコブクロ プレミアムアコースティックライブに行ってきました。

 

 

 

1曲目の ストリートのテーマ が一番涙腺やられたのは秘密の話。

私は意外と気が小さいからね。気が小さいことを見破られてしまうといいエサになってしまうから。始めたばかりの職場で早くも化けの皮が剥がれてしまったところだったのだけど、明日からきっと、私の中に眠ってる怪物が目を覚ましてくれるはずです。

 

 

 

これは終始言ってくれてたんですけど、「ここに来てくれている人はたくさんチョコを買ってくれて、桁外れの運の良さで当てたんだよね」ってずっと言ってました。

ブログにも書いてくれていたけど、たくさんのファンが「行きたい!」と思いながらたくさんチョコを消費しては行けなかった人もいて。

私は有難い御縁で行かせていただけたけれど、喉から手が出るほど欲しかった豊洲ピットの席を手にできなかった人は山ほど居た、ということ、しっかりと念頭に置いてめいっぱい拍手してきました。

 

 

これはお芝居観るときもライブの時も心に留めていることなんですが、ステージ上にいるパフォーマーに向けて「感動した!」「すごく良かった!」を伝えるのって、私たちオーディエンスは拍手手拍子しかないんですよ。一番早くて確実なレスポンス。

だから、たとえ大きなドームの遠い席でも、周りの音にかき消されようとも、手が痒くなっても全力でいつも手を叩いています。

アンコールの One song from two hearts での、重力さえ感じるような強い手拍子が耳にこびりついて離れません。負けじと手を叩いて、届け!と。「今日は素敵なライブをありがとう!」と、手を叩きました。

 

 

 

MC

黒田さん、「もう俺100曲くらい歌った気分」

小渕さん、「黒田の曲1曲しかないやん!!!」

小渕さん「100曲にしたら3曲くらいやで」

 

ライブ中、盛り上がり曲とバラード系が渾然となるんだけれど、その都度立ったり座ったりするお客さんを見て、いいタイミングでこう「見た感じあまり若くない人多いから〜(笑)」とか「なんやなんや責められてるみたいで怖いわ(笑)」なんてふざけてみたりしながら着席を促すのがすごく紳士だなあって。

このままこれずっと立つのかな…って思ったあたりでこんなふうに笑いを交えながら座らせてくれて、こういうところが好きだな〜、と改めて思ったんだけれど、言ったらきっと「いや俺ほんま優しいねん今知ったん?」とか言いそうなあたりもやっぱり好き。

 

小渕さんの発案で「黒田くんに「いいねお疲れ様でした!」って言おう!」となり、会場一体となっての感謝祭。

毎日毎日何万もの「いいね」、本当にお疲れ様です。目を閉じてもインスタの いいね のハートが目に浮かぶという立派なインスタ廃っぷりでした。

黒田さんのインスタが必要以上に気になっちゃう小渕さんでした。

 

 

かくいう小渕さんも布袋さんのpostに載りまくる載りまくる。

布袋さんのインスタをフォローしてる黒田さんはその投稿を見て何を思うの????と散々憶測(という名の妄想)をしていましたが、大阪のレポも加味して考えると、この執拗なまでの布袋さんイジリがその答えを物語っている気がします。

 

18年間コブクロを社長として支えてきてくれた坂田美之助氏、なんと会長になられたそうで(専務が社長になったそうです)。その就任式が大阪でのガーナライブの翌日にあったそう。

移動中の車内、爆睡する黒田さん。そして一度電話をかけるとその後5回は連続で電話をかけてくる鬼電の申し子、小渕健太郎。大阪で黒田さんがぶつくさ言っていたようですが、なんとその鬼電が今度は就任式を担当された方(名前をど忘れ)にも炸裂。

黒田さん「お前、就任式のすべてを運営してる人なんだから忙しいんやぞ!?」と小渕さんを座らせて説教(この時ギターを持っていた小渕さんは「スナフキンみたい」と)。

お手紙を書きたい、プレゼントを渡すタイミング、等等の相談を何度も電話したそう。

結局19時からの就任式のギリギリまでお手紙の清書やら準備やらをしていた小渕さんは、ネクタイが曲がったままで出席。ミノスケ現会長の奥様に指摘され直されたそうです。

小渕さん「やりたいことと出来ることがいっつも合わない。やりたいことはいっぱいあるのに、時間が足りない。僕が2人必要です。」

2人居るんじゃない?黒田さんがずっと言ってるじゃないですか。

 

あとは、サインについて。

コブクロのサインは上に大きめに二人の絵があって、下に筆記体みたいに「Kentaro Kobuchi」「Shunsuke Kuroda」って書いてある。

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本当は最初は黒田さんは漢字で縦に「黒田俊介」と書いていたのが、「合わないから」と小渕さんに押し切られ結局今の形になったと。

「お前が場所取りすぎやねん、7割使ってる!」と不服を申し立てる黒田さん。「「Kentaro」の最後の一画でぐいーっとネックみたいなの書いてるけど、それが邪魔!」「俺も最後のところにマイクとか書いたろかな」「陣地争いや!」

最終的に小渕さん曰く「イラスト部分がカレー、自分のサインがご飯、黒田のサインは福神漬け。福神漬けも無いと彩r…」黒田さん「いや二人のサインがご飯でええやん!」

ごもっとも。

 

 

風見鶏 終わりのMC。

小渕さん「黒田の声が好きで黒田の声を届けたくて曲を書いてきた。こういうアコースティックのライブは声がよく届けられるからすごく楽しい。風見鶏すごく良かった!」というようなことを仰ってました。

風見鶏は2人だけのアカペラがあったんですが、風見鶏に限らず、今日は特に「あぁそうか小渕さんが歌を作り始めたのは黒田さんのためなんだよな」ってすごく思いました。なんでだろう、アコースティックだったことが関係しているのかな。

黒田さんの声が届くように黒田さんの魅力が一番活きるような歌を作って歌っている、きっとずっと変わらないコブクロがそこにはいました。

 

黒田さんにお説教されてる小渕さんもいい顔で笑ってたなあ。

 

 

 

君色 Diary 風見鶏

アルバム『5296』からの曲がやや多め。

君色 の「大型トラックに揺れるたび」の黒田さんの歌い方が色っぽい…8年前の歌い方や声も力強くて好きだけれど、加齢と比例して増してくる色気は意識して出せるものでもないからね。「好きだけじゃダメなこと」の小渕さんファルセットになってたね。

 

君色 Diary あたりは「彼」の用法でゼミ発表の際お世話になったので感慨深いというか、39歳の彼らから発される「前の彼」は破壊力強い。

 

風見鶏、進研ゼミのCMソングだったこともあって応援ソングのイメージが濃いけれど、MCにもあった通りベストアルバムを出した頃のコブクロをそのまま歌った歌

ラブソングも応援ソングもボーダレスだなぁ……なんて思ったけれど、コブクロをそのまま歌った歌が愛を象徴したり、結果として聴く人の背中を押すことになったとしたなら、それがコブクロの素敵なところじゃない?

 

こうやって、聴く人の心に生活に添うようにして存在している歌だから、無責任に泣いてスッキリ!というのができなかった。

 

Rising のCメロの歌詞も、未来 を聴き込んでいた頃の私の気持ちも、誰のものでもない私の責任においての涙。自分の涙。

普段よく観るお芝居で、登場人物に感情移入して無責任に泣くのとは少し勝手が違いました。

 去年の奇跡ツアー京セラ公演以降ワンピース歌舞伎を経て、涙腺のタガがぶっ壊れた、と言ったけれど、未来 であれだけ泣いたのはきっとある程度俯瞰して自分の耳で吸収できたからかな、と思います。

 

 

なんて言いつつファンって生き物はことごとく身勝手なもんで、コブクロがどんな道を歩いてきてどんな気持ちを携えて生きているのかなんて当人しか知ることはないのに、勝手に推し量って感情移入して泣いて。

無責任で身勝手な涙だとわかっていながらも、それでも、彼らの語る言葉から推測される彼らの歩いてきた道ごと愛しているから泣けてしまうのです。

 

メジャーデビューする前の最後のライブの映像を観せていただいたことがあります。

ANSWER YELL を歌っていました。

涙を浮かべながらも強い表情でコブクロを送り出す当時のファンの方の顔も忘れられません。

 

見たことのない部分も含めたコブクロの18年間、およびそのファンまで、愛しているし愛したいと思うのです。

 

 

 

今回、私はコブクロからやんわりお説教されるつもりで出掛けました。ところがどっこい、「別にいいんじゃない楽しんじゃえば」と肩透かしを食らったような気持ちです。

 

プレミアムだったからでしょうか。

 

来たる TIMELESS WORLD ツアー では少し厳しめに諭してもらおうと思います。

 

 

 

ツチカワ

 

 

ぴーえす

tOKi meki 黒田さんのSE押しまくる少年のような笑顔と「この恋が走り抜ける〜」のエロさのギャップ

初めての歌舞伎夜話に

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行ってきました。

 

 

坂東新悟さん!

 

初めての歌舞伎夜話、チケットがどのペースで売れるのかもわからないのでとりあえず「たぶんこの日休みだと思う!そんな気がする!」ってだけでチケットを確保。

 

行ってきたってことはバッチリ休みでした。これ私呼ばれてたんじゃないかな。

 

会場着いたらなんか質問の紙とかある。しかし急に言われてもなにも面白いこと思いつかないのがツチカワクオリティ。

 

結局「過去にされたお役の中で印象に残っている、また気に入っているものはありますか」と無難なことを書いたらまさかの夜話本編で話したことと内容かぶり。

そのうえ次の質問ともかぶるとかいうクソっぷりです。

 

質問コーナーはありそうだと思ってたけどね(じゃあなんで事前に考えておかないんだ)

 

いまなら色々出てくる。涙もろいですか、とか、最近涙したことはなんですか、とか。(既視感)

 

 

いよいよ新悟さん登場ですが、これ私だけじゃないと信じたいんですけど、っていうか確信してるんだけど、

「薄っす。」と思った。

 

言うて鑑賞教室でもその薄さは目の当たりにしてたけど、より近くで見るとより薄い。洋服だったからかな…

 

 

 登場して戸部さんの第一声は「身長は何センチですか」でした。

新悟「178センチです。」(←ここ「ひゃくななじゅうはちせんち」って言い方がクソ可愛でした)

 

 

海外公演のお話

ヨーロッパ公演では現地の言葉で(!)口上。

「それは新悟さんもやられたんですよね」と戸部さん。察する新悟氏。

スペイン語の方なら…」と口上を披露してくださいました。

「フランス語の方が覚えてそうなのに…スペイン語なんですね」と言われ、「スペイン語圏の公演の方がね、後だったんです。」

 

プライベートでもよくヨーロッパに行くという彌十郎さん。口上もさぞ流暢なのでは、と聞かれて、新悟ちゃん曰く「の割にしょっちゅう止まってた。僕は全部ちゃんと言えたと思う。一応まだ25歳なので」

 

「男性が女性の役を演じる」女方って文化はやっぱり珍しいらしく、彌十郎さんも拵えしてるのに女方の新悟ちゃんのところにすごく興味を持たれたそう。

 

 

歌舞伎を「歌舞伎」と知って観に来ている方が多かったフランスに対し、歌舞伎に対してそれほど先入観もないまま観て盛り上がった、というマドリッド

フラメンコを観て盛り上がる、というのに近い感じ。

 

 

公演後は彌十郎さんだけ向こうに残って(スポンサー回りという名目で)山歩き。

 

一緒に行こうよ、とは言われないの?って質問に「昔は言われたこともあったけれど、それこそ学生時代は学校があるし、稽古はあるし」「父くらいの歳になれば休暇も楽しめるのかもしれないけど」「そうこうしてたら誘われなくなりましたw」

「スイスの話は誰にしているの?」に「家族には話してないと思います(笑)」

 

 

阿弖流為について

こんなに楽しくていいのか、ってくらい楽しかったそう。

漫画みたいなアニメみたいな感じだったと。

 

勘九郎さんや七之助さん、染五郎さんはたまにギャグっぽいシーンもあるけど阿毛斗はそんなことやるキャラじゃない。

そんな中始まるシャケパス(という名の爆弾)。

 

シャケが飛んできたときにどんなノリで対応するのが正解なのか、役を捨てていいものか、阿毛斗のままでいた方がいいのか、と本気で悩み自問自答を繰り返し、いのうえさんに相談(「阿毛斗のままで」ということになったそうです)。超真面目です。

 

大阪公演で一度、新感線版の阿毛斗の「カーメカメカメカメ」をリスペクトして「シャーケシャケシャケシャケ」をやった。身内の方がウケてる。

オチがないのは嫌だなぁ、ということで「このサーモン所が目に入らぬか!」ややウケ。

 

カーメカメカメカメの話はパンフレットにも書いてたけど、やったんだね大阪では(笑)

こういう新悟ちゃんの地味なダジャレ嫌いじゃないです。(好き)

 

 

変な役?

女方ってそんなに変な役ってないじゃないですか。いや、僕のイメージなのかあまり来ないんです。」「でも求められたらどこまでもやります。」と。

 

 

巳之助さんは別格です!と言ってた。

「シャケでもキツかったのに…毎日違うこと日替わりなんて…」

 

カイワレ感黒田さんかよ〜と思ったのだけど、「素顔で何かをするのが苦手」って小林賢太郎さんもよく言ってるなあ。

小林賢太郎として何かをするのが得意じゃない、役としてならできる。ってなんだか聞いたことあるなあ〜、と。

 

でもブログを見たり妄想歌舞伎(笑)の話を聞いたりする限りだと、新悟ちゃんの脳内はすごい壮大だなぁ、と思う。演出家気質なのかな??

 

 

一縷の望みをかけた阿漕

変な役、から、納涼歌舞伎の弥次喜多の話へ。

しかしどうやらまだオフレコのこともありつつww

 

話は巳之助さんへと。

 

本人いないところで巳之助さんの話ししすぎかよ、だし、新悟ちゃんと仲の良い役者といえばみたいな感じで巳之助さん出してくるの何なの。デキる。(確信)

 

かぶき手帖、写真は役者さんが選ぶんだそうですね。これからそういう目で見ますね。阿漕の写真もそういう切ない気持ちで見ますね。

 

 

 

 

女方のハンデ

 

 

玉三郎さんに、最終的にはどちらかにしないといけないね」と言われて意識し始めた、じゃあ女方だろうなあ、と。

それまでも女方のお役をもらうことは割とあった。

 

女方をやるには背が高いけれど、立役をやるには線が細い。どちらにしてもハンデはあるし、逆に言えばそこから逃げるような姿勢で勤まるような甘いものでもない。だから生まれ持ったハンデをうまく克服していかなければならない。

 

それでも応援してくれたり背中を押してくれる先輩がたくさんいる。とおっしゃってました。

 

相手役と並んだり、何人も出る場面では多少気を使うそうですが、それ以外のところでは必要以上に小さくなろうとはしていないそうです。

 

 

 

お見送りって、え、そういう

 

まさにこの通りの状況なんですが、まさか一対一でコミュニケーションを取れる時間があるなんて思ってなくて、

「あぁどうしよう 〇〇行きます!みたいな予定は納涼でしょ、金山顔見世でしょ、かぶじょも行くつもりだし…でもこれ言ったところで別にだし…」

自問自答を繰り返したあげく最終的に口から出たのは

「いまじナイト大好きですまたやってください!」 

 

一日経って思ったのはこれ「みっくんが好きです!」って言ったみたいな感じと取られたらどうしよう(考えすぎ)(好きだけどさ)

 

いやもう握手して頂いたけどああああ好きですって思った…手が大きかった…知ってたけど…(そして冒頭のツイートへ)

 

 

 

 

いやぁ…初めて行ったけど歌舞伎夜話…楽しかった…

人見知り感溢れるジワジワトーク(笑)。

 

みっくんがトークショーで「僕と楽屋同じだと変なことする(言う)んですよ」って言ってたけど、本当に巳之助兄さんと変なことするの楽しいんだろうなあ、と思ってしまった。(笑)

 

死ぬまでには一度いまじナイトを見たい…生で見て入り込めないオーラで死にたい…

 

 

ちょうど、演劇界バックナンバーに載っていた新悟ちゃんのページで「物静かな中に燃えるマグマがある」と書かれているのを読んだ後だったのだけれど、言い得て妙だなあ〜なんて思ったり。

 

決して流暢にペラペラ話すわけじゃないんけれど、出てくる言葉の節々にすごく熱いものがあって、凄く色んなことを考えている方なんだろうなあ。

 

新悟ちゃんの芝居論がすごく好きで、興味があるので真面目な方に振り切ったブログ、また楽しみにしてるよ!

 

初めて新悟ちゃんを観たのは阿弖流為だったけれど、お芝居を観て惹かれたのはついこの間の明治座で、確実にこの歌舞伎夜話で「坂東新悟」って役者をより好きになったと思います。

 

 

このザマ

 

本当に連呼してた。やりたくないお役、なんかのお話でも「いやこれを言っちゃうと…まだ25歳なんで(笑)」って。かわいい。

 

隼人さんも「よばなし」とか言ってたけど何なのこの役者自身がわかってない感じww

 

 

と同時にもっと歌舞伎を勉強したいなあ〜と思いましたね。

やりたいお役、いっぱいありすぎて!って言ってて、じゃあ5つ!と挙げてくれたものがほとんどわからなかった。

名前は聞いたことあるかな…っていうものが二つくらい。悔しかった。

 

うんちくばかり貯めて批評するための知識はいらないけれど、大好きな役者さんがこれをやったら素敵だなあ。意外だなあ。面白いなあ。って妄想もしたいし、大好きな役者さんのビジョンを共有できたら幸せだなあ、と思ったんです。

 

これはK-POPが好きな友人が言ってたんですが、「通訳を介さないで推しが言ってる言葉を飲み込みたいから韓国語を勉強している」と。この感覚がようやく少しわかった気がします。

 

 

これから徐々に、どんどん色んなお役をされていくだろうから、私もたくさん知識を増やしたいなあ!

 

 

恋かよ。

 

 

 

 

 

まあ、こうなるよね

 

 

 

 

ツチカワ

 

「レ」の音が出ない

 

Centuria - YouTube

 

いつも、大好きなコブクロのことや歌舞伎のこと、観に行った舞台のお話はしているけれど、好きだったもののことについて思い出したことを書きたいなあ、と思いました。

 

好きだったもの。

 

 

寝れなくて、なんとなく中学2年の頃のコンクールの映像を観ていました。中学時代全てをかけて夢中になっていたものは吹奏楽でした。

 

と言いましても、東京都の中でも底辺の区の、さらに下から数えたほうが早いような底辺中学校の、弱小吹奏楽部でした。

 

中学2年の頃のメンバーは、総出でも22人しかいませんでした。それも、3年生は居なかった。

いや、厳密に言えば3年生は居ました。居ましたが、途中で入部した人がほとんどでしたので、3年間吹奏楽の経験がある部員は誰もいなかったのです。

 

顧問の先生は、緊張すると指揮がやや速くなる先生でした。

ただでさえうちの学校はやたらテンポが速かったので、コンクールの音源は冒頭のお手本よりもだいぶ速いです。

 

 

私は3年間ホルンを担当しました。

私が入部した頃は既存の部員が10人にも満たない小さな部でした。もちろん、最低限の楽器しかおりませんので、ホルンは私が第一号。基礎的なことはチューバの先輩が教えてくれましたが、ほぼ手探りの練習がスタートしました。

 

まだ覚えています。この頃のコンクールで吹いた曲、中盤のゆったりしたパートはホルンの聴かせどころ。私はスラーのまま「レ」の音まで上がっていくのが苦手でした。

映像では、すべての「レ」が出ていました。当たり前といえば当たり前のことなのですが、なんせ弱小ですので(笑)

全ての音が出ただけでたいそうな感動なのです。

 

決してお世辞にも上手いとは言えない演奏。

結果は奨励賞でした。というか、2年出たコンクールで、2回とも奨励賞でした。

 

 

翌年、3年生の夏は同じコンクールの予選で落ちました。私の人生の最後のコンクールが、あのCENTURIAでした。

 

 

当時私はすでに演劇に興味があったので、区の連合音楽会での引退演奏をもって吹奏楽は辞めるつもりでした。

コンクールに出ない分、文化祭や連合音楽会に向けてより一層力を入れて練習しました。

 

インフルの脅威にさらされながら(本番前に私以外の家族が全員インフルにかかるというミラクルも起きました)、たどり着いた文化祭の演奏は、正直3年間の全ての演奏の中でも一番の出来だったと思います。

 

引退演奏の連合音楽会。

何人かがインフルに倒れ、リズム隊と1stトランペットが不在という圧倒的に音が足りない状況になりました。

文化祭で上手くいったと思っていた自分の演奏は、その中では上手く立ち回れなかった。周りの大きな音に隠れていただけだった。

 

たくさんの課題を残したままここで引退なんてできない、と、高校に進学した私は演劇はやらずに吹奏楽を続けることにしました。

 

 

結局、中学時代の弱小に輪をかけてぐるぐる巻きにしたような高校の弱小吹奏楽部。なおかつやる気がないときたもんで、夏のコンクール前に退部しました。

 

「こんな部活やってられません」と啖呵きって退部届を出したその日に顧問、部員一同から拍手で見送られて音楽室を出たことはずっと忘れないと思います。私は今嫌味を言っています。

 

 

そんな感じで吹奏楽と決別してからはずっと楽器なんて触っていないので、最後に吹いた曲は、たぶん、高1で出るはずだったコンクールの課題曲だったと思います。

 

曲名が出てこないけど。

 

 

小、中、高、と小さな吹奏楽部で細々と活動し、それでもやる気だけは必ず携えてやってきた大好きな吹奏楽、変な形で辞めることになってしまってからはそれまでやってきた吹奏楽の活動もコンプレックスになってしまって、だんだんと大きな声で言えなくなってきていました。

 

吹奏楽をやってたんだ!」と言っても、周りの経験者たちの話題についていけるほどの実績もなければ曲も知らない。

 

こうしてどんどん自分の人生という分母が大きくなって、限りなく吹奏楽をやっていた時間がゼロに近くなっていくのかなあ…ちょっと寂しいなあ…

 

と思ったので、ダラダラとこんなところに書き残してみました。

 

 

大好きだったものが今も大好きとは限らないけれど、大好きだったものを嫌いになってしまうことほど悲しいことはない気がする。

 

「レ」の音が出なかった私は誰よりもホルンが好きだっただろうし、吹奏楽が誇りだっただろうな、と、へたっぴーな演奏を観て思ったのでした。

 

 

 

ここまで読んだ人、いないでしょ。

いたら聞きたい。

 

 

私これから寝るべき?

 

 

ツチカワ

尊敬と憧憬

「憧れ・尊敬する人は?」

 

なんて、生きていれば幾度と目にする質問、文集の特集ページだったり、道徳の授業だったり、俗っぽいもので言えば昔流行った「前略プロフ」なんて。(わかる人は同年代です)

 

 

 

答えも結構個性的で、1人だけドン!と書いてある人もいれば、両親や家族のことが書いてあったり。

 

ちなみにですが私は絶対に「両親」だけは書かない人間です。

両親には感謝こそすれ尊敬の念は微塵も持っておりませんので。

 

 

私は結構たくさんの憧れの存在や尊敬する人があるタイプです。その対象は幅広く芸能人から恩師まで。

 

 

それでもって尊敬する人と憧れの人は別の人だったりもします。

憧れの人は尊敬する人でもあったりはするけれど、尊敬する人が必ずしも憧れかと言われたら少し違う。

 

 

お笑いコンビ「ラーメンズ」の小林賢太郎中学時代の国語の先生高校のとある同級生や、大学時代のとある同級生。彼らは憧れの人にあたります。

 

対して歌舞伎役者 坂東巳之助や、コブクロ 小渕健太郎なんかは私の尊敬する人です。

すごいね、坂東巳之助小渕健太郎の字面が並ぶなんて(笑)

 

 

 

 

憧れと尊敬って違うの?

 

あこが・れる【憧れる/▽憬れる】
[動ラ下一][文]あこが・る[ラ下二]《「あくがる」の音変化》
理想とする物事や人物に強く心が引かれる。思い焦がれる。「名声に―・れる」「都会生活に―・れる」
気をもむ。気が気でなくなる。
「此方 (こちら) は地を離て沖 (あが) る事が出来ず、只徒らに―・れて両手を延ばすのみ」〈二葉亭・めぐりあひ〉

 

そん‐けい【尊敬】
[名](スル)
その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。「互いに―の念を抱く」「―する人物」
文法で、聞き手や話題の主、また、その動作・状態などを高めて待遇する言い方。→尊敬語

そんけい【尊敬】の意味 - goo国語辞書より

 

言葉の話をするのにまず辞書引いてくる癖は中途半端に元日本語学専攻だったからです。

 

辞書で見てもだいぶ意味が異なっているけど、だいたいそんな感じ。

 

 

憧れの人達の、どこに憧れているかって、この世に星の数ほどある言葉たちを的確に過不足無く、それでいて絶妙な塩梅でひねる、その技術に他でもなく憧れている。

 

私もそんなふうに言葉を扱えたらいいのに。

あんなふうに。

「憧れ」って、そういう羨望の思いが少なからず含まれている気がするんですよね。

 

 

いっぽうで、例えば坂東巳之助さんや小渕健太郎さんの考え方や、それを写した文章を読むたびに納得させられることが何度もありました。

驚くほどに納得させられた。

 

私の中にはきっと無かっただろう考えを一つのビジョンとしてすんなり納得させられ、尊重させられる。

「尊重させられる」というと少し語弊があるけれど、自分ではない他者のビジョンを、否応なしに尊重せざるを得ないような。

 

私の中で起こっているこれらの化学反応のことを私は「尊敬」と呼び、彼らはそんな反応を起こさせるような人物であるということなのです。

 

 

だから、憧れの小林賢太郎に関して言えば、そういう意味での尊敬の念を持ったうえで、彼の技術を羨み、焦がれている。

 

なんとも図々しい女ですね(笑)

 

 

それでも、坂東巳之助さんのインタビュー記事や小渕健太郎さんのブログを読んで、すっと自分の中で尊重させられたとて、それは一つの考えとして鎮座しているに過ぎないのだから、私は彼らのようになりたい、とは思わないのです。

 

そこが違いかなあ、なんて思ったりします。

 

 

しかしながら、小林賢太郎については彼のエンターテイメントに対する姿勢に敬服した上でその技術に憧れていますし、小渕健太郎についても彼の実直で柔軟な人間性に対して尊敬しているのはもちろん、自分もそうあれたら…と思うこともあります。

 

 

書き出してみると自分にはこんなにお手本にしたい、と思える憧れの存在がいるのか。と思ったり、みっくんみっくん言って若手と言ってたってそもそも目上の人であって尊敬に値する人物なんだなあ。と気づいたり。

 

幸せ者です。

 

 

こんだけ長々書いておいて結局、明確なボーダーがあるわけじゃなさそうですね。

 

 

憧憬と尊敬って響きが似てますしね。

 

イッツ オーケイ。

 

 

 

ツチカワ

『義経千本桜』強化月間

このところ毎月恒例と化している歌舞伎観劇。

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例に漏れず今月も行ってきました。

 

 

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義経千本桜!!

 

 

先日も更新しましたが、歌舞伎座に行く前に木ノ下歌舞伎の義経千本桜-渡海屋・大物浦-』を観ました。

 cf.

木ノ下Oh歌舞伎 - そぞ録゙

 

 

今月は一部の「碇知盛」、二部の「いがみの権太」、三部の「狐忠信」と通しに近い形での上演だったので、甘んじて通しで観劇。

 

観れるモンは観とこう精神。

 

 

 

  1. 渡海屋・大物浦

先にも述べました、木ノ下歌舞伎の「渡海屋・大物浦」。

結論から言うと、極めて歌舞伎そのままだったんだな、というのがわかりました。

 

義経」千本桜なのにかなり悲劇的な平家、というか知盛。

 

木ノ下千本桜の冒頭は「義経千本桜」にはない平家物語のお芝居で始まりました。

そこで描かれるのは好きなように部下を使い、気に入らなければ捨て、天皇外戚を結んで好き放題フィーバーする清盛の姿。

最終的には全てを、子どもである知盛に託し(押し付け?)死んでいく。

 

「いやいやいや、これ巻き込まれてるやん知盛!だいたいのことが清盛のせいやん!」

と思わず心の中でツッコんだものだけど、大抵の人が心の中で叫んだのではないだろうか。

 

古典の知盛も叫んでいましたね。

 

命そのもの、もはや命よりも大切に守ってきた帝の前でのその台詞に胸が痛くなりました。

 

 

ところで木ノ下歌舞伎では冒頭、『平家物語』から始まるって書いたのだけど、渡海屋本編が始まるところで例の定式幕カラーのスノコできっちり場面を区切っていました。

台詞も歌舞伎調が多くなって「ここから本編だぞ」っていうのがわかりやすかった。

これも古典を観てみて気づいた木ノ下千本桜ですね。

 

 

銀平娘お安実は安徳帝をされていたのは市川右近丈のご子息、武田タケルくん。

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 先月に引き続き初お目見得に立ち会うことができたのだけど

先月は「可愛い」のパンデミックにまんまとやられたのに対し、今月はガッツリ泣かされました…

 

「今ぞ知る 御裳裾川の流れには 波の底にも都ありとは」

ここバシッと決めた時拍手が起こりましたね。

私はといえば典侍の局と一緒に泣いておりました。

 

6歳でも立派に歌舞伎役者なんだなあ。

 

 

ちなみにここにきてようやく我らが坂東巳之助丈の話になりますが、ここの義経が知盛を諭す場面でずっと下手側に控えてはいました。

控えてはいたんですけど、もういかんせん私はこの知盛、安徳帝典侍の局、義経とのやり取りに持ってかれているので「みっくんを見なくては」「あぁ知盛ィ」「帝〜〜〜〜」のトライアングルの中でもがいておりました。

 

突出した個性はそんなにない四天王の一人、片岡八郎のお役でしたが、ビジュアルがたいへん好みだったことだけここに記しておきます。

 

 

 

  1. いがみの権太

一部の話が思いの外長くなってしまった。

 

 二部は巳之助丈は出ておりませなんだが、個人的なお気に入りが二つほどあって、一つが小金吾の立廻り

 

木の実の場では「ちょっともー泣かないでよー」 なんて思ったりもしたけれど、それだけ実直で純粋な小金吾青年が、ひたすら敵を斬りながら若葉の内侍や六代君を呼ぶ声が痛切……

 

さっきの小金吾の実直さがより一層この立ち回りの場面の幕切れを切なくさせてました。

 

とはいえ、縄を使った立廻りも、多勢に無勢の殺陣もカッコよくて初めて松也さんをカッコいいと思うなど。

なんだかミュージカルみたいだなぁ…と思いました(観たことないけど)(観ろ)。

 

 

もう一つが「すし屋」の、猿之助丈演じるお里

もうずっとチャーミングでおきゃんな娘っこ。

 

新春浅草歌舞伎の『毛抜』における新悟丈の腰元以来の「びびびび、び〜」には魂抜かれました。もうずっと言ってる。

 

弥助との夫婦稽古に関しては、そこに存在するものは純然たる「萌え」ただそれのみ。と言わんばかりのほっこりキュンキュン展開。

 

しかしここのトキメキキュンキュンらぶらぶ度が高ければ高いほど後が辛くなってくる…

 

お里ちゃんには必ず幸せがやってくるはずだし、幸せにならないはずがないし、幸せになるべきだ……

 

と思わないと観てられない。

 

 

 

  1. 狐忠信

 実直であればあるほど、ほっこりする場面であればあるほど結末の反動が大きすぎて、切ない気持ちで終えた二部。

どれくらい切ないかっていうと、このまま続けて三部も観ないと東銀座で溶けるくらい。

 

そんなわけで狐忠信!待ってました!

 

華やかな舞踊から始まるんだけど、もうそこでだいぶ気が晴れる。

クールな忠信が蝶々に反応して我慢できなくなってとうとう狐に。可愛い…

 

ぶっかえったときに髪をまとめていた紐的なものを投げるのがツボです。

 

 

今回、国立劇場で観た映像も含め「川連法眼館」を観るのは3回目でしたが、いわゆる澤瀉屋を観たのは初めて。

 

観る前に猿之助さんの狐忠信は期待してていいよ!」「狐忠信といえば澤瀉屋!」くらいには煽られ、素直にYouTubeで予習したりすることもないままハードルだけをガンガン上げて臨んだのですが、そのハードルすら叩き壊された四の切…

 

 一部ぶりに、再び四天王の一人亀井六郎として大きくドタドタ足音を鳴らしながら出てくる巳之助丈。

 

 なんだか観るたびにパワーアップしてたような…音量が。

実は3回観たことある四の切の亀井六郎は全て坂東巳之助丈なんですよね。

とはいえ、あれだけ派手な見た目と音なのに、新春浅草歌舞伎ではとりわけ亀井六郎の記憶が無いとはこれいかに。

 

だから初めて観たような新鮮な気持ちで観てきたけれど、一度花道から引っ込むときの七三での見得で「大和屋!」とバシッ!と掛かったのは嬉しかったなあ。

これからもたくさん「大和屋」がかかるお芝居を観ていきたいものでございます。

 

亀井六郎と相方駿河次郎が引っ込んでからはいよいよ狐忠信登場。

 

コロコロ変わる表情も声色も仕草も。

ここから出てくるか!ここからも出てくるか!

また消えた!回った!跳んだ!の繰り返し。

 

特に鼓を得た後からが狐のターン。

本当は狐が化けてたんじゃないかな。

それくらい、可愛くて、可哀想で、愛おしくて、愛すべき白狐だった。

 

宙乗りで白狐が帰っていくところ、もちろん猿之助狐のニコニコ顔も大好きなのだけど、微笑みながら見つめる門之助義経笑也静が優しくて。

 

思わず観終わった後に「よかったぁ」と言ってしまうくらい温かい幕切れでした。

 

 

 

四代目を観たのはワンピースぶりだったけれど、この人はいつも「私この人のファンなのかも」と思わせてくる。

 

観たことある演目もお役も少ないからたいそうなことは言えません。

それにしたってこの人には年齢だとか性別だとか、種(しゅ)だとかいう概念すら超越してるのではなかろうか。と思ってしまう。

 

この人を詳しく知っているわけでも、演劇に精通しているわけでもないけれど、すごく楽しい時間を提供してくれた、ということだけはビリビリ感じました。

 

 

また通し狂言とまではいかないものの、おおかた順を追って上演された今月の義経千本桜』

木ノ下千本桜と比べつつ、時にイヤホンガイドの力も借りつつ、少しだけ義経の旅に参加させてもらったような気さえしました。

 

「演劇」な歌舞伎、理屈ではない「エンターテイメント」な歌舞伎を、両方味わえたなあ、と思います。

 

なんて贅沢なんだ。

 

 

そんな素敵な方と、大好きな若手役者が一緒に10月に巡業させて頂けることが有難く、初日を観守ることができることが幸せであります。

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少しドキドキするような。楽しみ。

 

 

この『義経千本桜』強化月間で、観たことのない「四の切」を観れたり、 「渡海屋・大物浦」をじっくり観てみたり。

 

まだまだ観たことない幕はたくさんあるし、有名な演目ではあるけれど今後もっともっと知りたいなあ、と思った6月でした。

 

みっくん以外の亀井六郎も観てみたいし、亀井六郎じゃないみっくんも観てみたい、なんて。

 

じゃあ何の役をやるのかって聞かれたら困っちゃうので、誰かお詳しい方、妄想配役お願いします。

 

 

 

ツチカワ

未来と私と待夢LESS

ゆっくりと幕があくようなSUNRISEから始まった『TIMELESS WORLD』。

 

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このアルバム、ライブみたいだなぁ。という印象を受けました。

 

 

1曲目の「SUNRISE」は、CMで聴いていたのとずいぶんテンポ感や雰囲気が違っていました。

 

もっと爽快軽快な、照りつけるような朝日を想像していたのですが、それよりはもっと荘厳な感じ。

小渕さんのファルセットのコーラスが、まるで水面に映る黄色い朝焼けのような。

 

 

私はよく(不本意にも)朝番の仕事をする機会が多いのですが、特に冬なんかは朝5時半頃外に出るとまだまだ真っ暗なんですよね。

でも、6時半頃勤務先に着くと、もう空はオレンジ色に明るんでるの。

 

いつの間に、っていうくらい早くて遅い夜明け。

そっとアコギの音で始まって、ラストサビではすべての楽器が明るく照っている。

まさに夜明け

 

そんなゆっくりとした大きな1日の幕開けのような歌。

 

 

 

  • 悶々ラブソング

つっちー on Twitter: "tOKi meki ってどこのギャルゲーとか思ってごめんなさい 早く曲説聞いて萌え死にたいんだけど思ってる曲調と違ったらどうしよう"

つっちー on Twitter: "BEST FRIEND が抜けたらしいけど、tOKi meki と曲調被りしたらリスナーのハートが危ないから抜いたと仮定すると、tOKi meki は、まぁそのいわるるそういう()曲"

 

一番お気に入りでした。

案の定な小渕節炸裂の楽曲。tOKi meki

3小節目のベースがセクシー。そして第一声

胸踊る恋をしましょう

 

小渕さんのこういう可愛らしいラブソングって、第一声から「お!イタいねぇ!」と思わせられる。恋に恋する猪突猛進。

 

僕の目を見て君は魔法にかかっちゃったんだ/神風

多分空から降ってきたのだ それか夢でも見ているかだよ/太陽

 

可愛い曲は小渕さんのお家芸だけど、ここまで「キュート」 な歌って久しぶりではなかろうか。

テンポや曲調もさることながら、詩だけですでにそこには妄想癖のあるちょっとイタい男の子が見える。

こういう男の子を描かせたら右に出る者はいない。

 

10年どころかインディーズくらいまで遡ったような若々しい初々しい、イタい恋の歌が聴けると思います。

 

目的地周辺で案内は終了…

ここ、小渕健太郎の真骨頂だと思います。(笑)

 

 

 

同じラブソングでもまた黒田作の Tearless はガラッと趣が変わって。

LIFE GOES ON のときにも思ったけれど、エレクトリカルな音が面白い。第一印象は「カッコイイ」!

疾走感のあるメロディーにしなるような歌声が乗っていて色っぽい。

 

で、気を悪くされたら本当に申し訳ないが、黒田作詞から感じるそこはかとないヤンデレ

しかし私はこのヤンデレ感がたまらなく好きだ。

 

見てるだけで良かったのに 友達で良かったのに    手を繋ぎたい   そばにいたい    君に愛されたい / To calling of love

僕の存在を必要とされたい   必要とした人を守ってあげられるなら / 心に笑みを

 

小渕さんもまぁかなり悶々とした妄想癖がほとばしる歌を書いてくれたけれど、黒田さんも相当悶々と自問自答していますね。

面白いのが、ちょっとネガティブ気味なんですよね。

「〜なら」「〜されたい」「〜できない」から伝わる陰と、陰から愛しい人の背中に伸びる手が見える気がします。

 

毎日、毎日会いたくて   でもそんなわけにいかなくて

 

そばにいたい気持ちが  君を繋ぎ止めてしまうのなら  いっそ離れてしまうことが愛なのかな

 

ンン〜。重い。

 

 

 

 

  • 愛が詰まったライブ

 冒頭で「まるでライブみたいだなぁ。」と書きました。

 

それは、1曲目の SUNRISE の「1日の幕開け」=「ライブのオープニング」がリンクしたことに始まり、hana星が綺麗な夜でしたTwilight陽だまりの道、とライブで聴かせてくれた温かい愛の歌たちの存在が大きいかもしれません。

 

個人的な話ですが、私は2014年のライブツアー “陽だまりの道” のことを「生きようツアー」と呼んでいます。

また、2015年の “奇跡” ツアーのアンケートでは一発目に「生命力がすごかった」とだけ一言書かせて頂きました。(著しい語彙力の低下)

 

 

でも本当に、「生命力」ってそのまま「」なんではないかなぁ。とさえ思わせてくれるんですよね、コブクロは。

 

そして、血の繋がりだけでない。

どれだけ遠いところにいても届くほどの強い「愛」のことを「家族」と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

 

  • 私とTIMELESS WORLD

何故、旅をするのだろう

と、問いかけられまくる今日この頃です。

 

昨年の奇跡ツアーでは3箇所に参加し、遠征は二箇所。名古屋と大阪に行きました。

そしてつい最近では、大好きなワンピース歌舞伎を観に福岡は博多まで行きました。

 

この歌を聴くと、いつもこの日の博多の風景を思い出します。

もっと言えば、劇場に行くまでに通った橋、案内してくれた友の顔、劇場を出て泣きながら歩いた雨の博多。

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ワンピース歌舞伎自体は新橋演舞場も行きましたし、「何故、旅をするのだろう」のPVにこの橋が出てくるのもワンシーン。

 

それでも、私の初めての博多旅に、これほど痛く強くコブクロの歌が刷り込まれているってことが幸せだ。と、思うのです。

 

福岡も、「一つ増えた帰る場所」 にカウントしても、いいかな?

 

 

 

 

そして恐らく最もフィーチャーされているであろう 未来

 

詳しい感想はシングルが出たときに書きました。

cf. 『未来』 - そぞ録゙

 

本当にこの歌をよく聴いていた頃、色々迷っていた時期だったんです。極めて個人的な話ですが。

精神的にも多少は疲弊していたし、リリースされたタイミングも重なったので毎日のように聴いていた。

 

私に限った話ではないと思いますし、それこそ「未来」だけの話ではないのだけれど、苦しい時期に聴いていた音楽って、オーバーラップするんですよね。

 

ここ最近のプロモーションで何度未来を聴いても浮かぶのは、武道館の北の丸公園の桜の枝なのです。

 

 

 

小渕さんが「音楽はまるでタイムマシン」だと言っていたような記憶があります。

 

その曲を聴くと、そのときの匂いや感情、その日の気温や天気も飲んだお酒の味さえも思い出される。

 

 楽しい記憶も、悲しい記憶も、苦しさも悔しさも、聴くたびに思い出せる。

 

 

そういう意味でもTIMELESS WORLDは私のタイムマシンのような一枚だと思っています。

 

だから、今こうして狂ったように聴き込めば数年後の私はこのアルバムの曲を聴けなくなるのではないだろうか。

 

なるかもしれないけれど、いちいち未来の私なんて気遣ってはおられない。

 

 

 

これが良いことなのか悪いことなのか、また良くも悪くもあるのかもしれないけれど、私は「こうなりたい」「こうありたい」と思いながら生きてはおりません。

 

流れてきたところにコブクロがいた。

演劇があった。歌舞伎があった。

 

だから、コブクロも歌舞伎も、好きになろうと思って好きになったわけではありません。

 

 

ファンとしても人間としても非難されてしかるべきとは思いますが、10年先もコブクロを好きでいよう!とは思っていませんし、1年後の私がまだ歌舞伎を好きでいるかの保証もできません。

 

ただ、これまで色んな距離感でコブクロを聴いてきて、彼らの音楽に飽きたり、いわんや嫌いになったりなんてことが一度もなかったということが一つの結果ではなかろうか。

 

 

これから先、ライブに行けなくなる日が来るかもしれない。

発売日にCDやDVDを買えなくなるかもしれない。

 

それでも彼らは歌うし、私は生きるのです。

 

 

流れ着いた今日を生きて  またどこかへと流れて行くだけさ/待夢磨心〜タイムマシン〜

 

コブクロ」として生きてきた二人の人生の中、なんでもない10年間を切り取ったアルバム。

 

 

「10年先もコブクロを好きでいるよ!」

なんて宣言はわざわざしないけれど、「コブクロ」という音楽のタイムマシンの行き先が、ゆっくり増えていくのは私の人生の楽しみです。

 

 

 

まずは tOKi meki あたりの手拍子でも練習しておこうかな。

 

 

 

 

ツチカワ