そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

三人吉三巴白浪

新春浅草歌舞伎。

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定式幕の下から水模様の床がチラッと見えるだけで胸が高鳴りました。そのくらいこの演目を楽しみにしていました。

初めて知ったのは演劇史の授業で、まだ市川猿之助亀治郎だった頃の新春浅草歌舞伎の映像を見た時でした。
七五調の気持ちのいい台詞に惚れました。

木下歌舞伎で現代アレンジされたこの演目を通し狂言で観ました。ストーリーが透明になったぶん、緻密な物語にも惚れました。


私が歌舞伎と出逢ったきっかけの『三人吉三巴白浪』を、初めて歌舞伎役者さんのお芝居で観劇しました。




「月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷てえ風も微酔に心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒へ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落し、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」という台詞で有名なお嬢吉三。
大好きな演目の大好きなキャラクターを、大好きな俳優さんが演じているのです。胸がいっぱい。


三人吉三を始めとするいわゆる「世話物」がメインの一部と、義経千本桜など武家の話が出てくる「時代物」がメインの二部。

一部は1回、二部は2回観ました。


どちらも、かっこいい役者さんが出て、綺麗な衣装を着て、舞台仕掛けも凝っていて、すごく楽しかったんです。

感覚としては、お芝居を観に行っているというよりも、コンサートに行っている気分。


今、私たちが「難しい」と感じるのは往々にして言葉遣いのせいだと思うけれど、言葉がわからなくても話がわからなくても楽しむポイントはたくさんありました。
話を知っていればなおのこと、ということです。

「役者見たさに観る」って意外と元来の観方に近いような気がするんですよね。
スーパー歌舞伎でまさに、役者も衣装も演出も、かなりビジュアル的な舞台でした。

私は歌舞伎って、間違いなく視覚の演劇でもあると思うわけです。


あとはひとつの演目を、一場面しかやらなかったり、一幕だけしかやらなかったりするから、話が飲み込めないまま進んでいっちゃうってことかなと思うんですよね。


木下歌舞伎では全ての場を少しずつカットしながら補綴して、通し狂言で観ました。5時間。

大川端の場はそれだけで有名なくらい楽しいシーンですが、全て話を知っていると当然その場にも意味を帯びてきます。




歌舞伎と出逢うきっかけになったスーパー歌舞伎、木下歌舞伎、そりゃあ賛否はあるけれど、ああいう新しい歌舞伎のスタイルをどんどん提案していってくれることを大いに期待したいと思います。


私が百年前の政府に手紙を書くなら「わざわざ歌舞伎の高尚化なんてしなくても写実派の演劇は勝手に隆盛していくからほっとけ」って書くと思います。
とはいえ、高尚化の試みがあったから今の演劇がある、と思うと枝分かれって難しいですね。


日本における演劇の中ではかなり年数のあるスタイルですし、その長い時間が「伝統芸能」というジャンルを作ったのだと思うけれど、固い箱に押し込めて外から眺めるだけでなくて、箱に近づいて、触って、覗き込んでみるのも案外おもしろいかもね。

本当の意味でこれから先も長く永く愛される、誇れる芸能でありますように。



ただ言わせていただきますと歌舞伎沼にハマると1回の出費がすごいのである程度のところで顧みてみてくださいね。

沼はオススメしません。



やっぱり、舞台は楽しい。(懲りてない)


ツチカワ