そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

『うるう』


「四年」って大きいのかな?

新生児が幼稚園に入る四年。大学に入った人が卒業するまでの四年。コブクロが活動休止してから 奇跡 ツアーのファイナルを迎えるまでの四年。ある女子高生が大学に入って二年半で辞めるまでの四年。

すべて同じ質量を抱えた時間。

そんな「四年」がテーマのお芝居。

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森に住む38歳のヨイチは8歳の少年マジルと出会う。
奇遇にも2月29日の閏日生まれの二人。最初は「歳がこんなに違うんだぞ、友達にはなれない。帰れ」と追い返すも、何度も訪れるマジルと少しずつ仲良くなるヨイチ。秘密の畑にまで招待するほど仲良くなるも、ある理由でお別れをしなくてはならなくなる。それは、ヨイチは四年に一度しか歳をとらないということ。どんなに誰かを好きになっても、仲良くなっても、絶対に先にいなくなってしまう。何度も何度もお別れをしてきた。だからマジルとは仲良くなれない、と別れを告げる。
40年後同じ年齢になったヨイチとマジルは再び森の中で再会をする。


おおかたのあらすじです。舞台上にはチェロの徳澤青弦と小林賢太郎。基本は賢太郎さんの一人芝居で進んでいきます。

青弦さんに麦の被り物させたり、いかにもその場で頼んだようにチェロで『待ちぼうけ』弾かせたり。徹底的に裏方のイメージを観客に焼き付けさせますが、ここが最後への伏線になってきます。

森に迷い込んでくる少年マジルは終始賢太郎さんのパントマイムで表現されますが、これまた本当にいるみたいにやるんですね…

「いかにもマジックしてます!」みたいな顔でタネも仕掛けも丸わかりの手品をするくせに、しれっと当たり前のようにやるパントマイムやマジックは裏が全く見えない。それが当然であるかのようにやってのけてしまうから、賢太郎さんだなぁ…と思います。


いつも一つ足りない、一人余るヨイチに「自分も余りの一人だ」というマジル。
聞けば「30人31脚で余ったから先導して優勝に導いた」「マーチングのパート分けで余ったから先頭でバトンを持った」という。そこでヨイチは「それは余ったんじゃなくて選ばれたっていうんだ」と言うのですが、これ、あとからヨイチが好きになるコヨミさんという女性にヨイチが言われる言葉なんです。

「人と違うこと」はコンプレックスじゃない、個性だ、とヨイチもわかっているけれど、どれほどわかっていてもこの個性のせいで大切な人と別れ続けなければならなかったと思うと、居た堪れない……



劇中、「もう二度とここには来るんじゃないぞ」って台詞が何度も出てきます。

最初はひとり孤独に暮らすヨイチのもとにマジルが迷い込んだ時。仲良くなってきても意地っ張りなヨイチは「二度と来るな」と言うんですがここで「もう二度とここには来るな!!また明日!!」って台詞が一度出てきたのが印象的で。

言ってること逆じゃねーかwwwって笑いが起きるところなんです。ここ。
でもこれって究極の友情であり愛情じゃないかなって思います。

また明日。また明日も会いたい。また明日も会おうね。君がいる未来がそばにある。あ、ここでヨイチはマジルに心を許したんだ、ってわかる境目のシーンでした。


舞台はただの地面でありただの森の中なわけですが、出会いは玄関・リビング・ダイニング。そこから図書館で絵を見せてもらったりカウントマシーンを見せてもらったり。いつしか秘密の畑にまで招き入れる。ここはチェロの カノン が流れる幸せな場面なんです。

最後の48歳になった二人の再会のシーンでも流れていました。

あぁ、よかったね。幸せだね。って思うんです。思ったんです四年前は私も。

なぜか今日観たときは、カノンをバックに歌われる『待ちぼうけ』が切なさを醸してきて。

『待ちぼうけ』はマジルとの別れのシーンで切なく歌われていたから、 うるう の中では切なさの象徴として扱われているんだと思います。

だとしたら何が切ないんだろう。


うるう の再演を聞いたときまず、初演のときからヨイチとマジルは歳を取ったのかな?と考えました。

劇中にも「どれだけ好きになっても、みんないなくなる。両親もクレソン先生も、森で出会った少年も」って台詞があって。


40年後にせっかく同い年の友達になれても、当然マジルは追い抜いてまた先にいなくなってしまう。そんな未来が酷で、切ないカノンを聴きながら涙が出ました。

初演の時には、マジルの「カウントマシーンで友達の数を数えよう!」というくだりの伏線を受けて後ろのビジョンで「友達カウント」が0から1にカウントアップして終わったんですが、今年はなくなってました。

それも相まってより二人の友情の脆さが切なくあらわれていたような気がします。


そしてそのラストシーン、ずっと裏方でチェロを弾いていた青弦さんが立ち上がって賢太郎さんと目を合わせて終わるんです。
青弦さんは立ち上がっただけなのに、一瞬でそれが大人になったマジルだとわかる演出、四年ぶりに観ても鳥肌でした…



「ヨイチ」はずっとカタカナで表記されていたけれど、漢字で書くなら「四一」でも「余一」でも有り得そう。かけてるんだかかけてないんだか、わからないところも小林賢太郎ワールド。


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四年前、17歳のときと同じドクダミのくだりで笑って、「おもちください(二つの意味で)」「足らないったらない。たりたがり。たりがり。」の畳み掛けるような言葉遊びで舌を巻き、最後の48歳になるカウントビジョンで泣きました。

変わらないなぁ〜私。笑  なんて思いつつ

あのときは うるう をたいそう気に入って、何度も観たくて、DVDにならないかなぁ、と思っていたけれど、今は四年に一度の閏公演でいいかなぁなんて思います。

DVDを再生して何度も何度もお別れするより、四年に一度の二人の友情が永遠続いて欲しいな。



長いうえに要領を得ないブログで失礼しました。
なんと2000字超えです。ちょっとしたレポート。


私が初めて観て演劇の世界に引きずり込まれたきっかけの、大切な作品なのでしっかり残しておきたいと思いました。

興味ない方でもし読んでくれた方がいたならありがとうございました。



ツチカワ