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そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

芸術やエンターテインメントについて思うことその1

その2は未定です。



以前、コピーライターの仕事に触れる機会が何度かありました。


社名は特に言いませんが、システムとしてはクライアントのとある商品に、コラムを付す。1500〜2000字程度。1日に3〜5つこなす。主にウェブ上の文章なので、アクセスされればされるほど会社にお金が入ってくる。

簡単に言えばそんな感じ。つまり、コラムに興味を持ってもらえば持ってもらうほど、売れる。


考えたこともありませんでした。
自分の言葉が売り物になる。商品になる。
対価が支払われる。



今でこそ何万枚とCDを売り上げるコブクロが、路上時代に500円のカセットテープを売ったら全然買ってもらえなかった。と、去年の徹子の部屋で話していました。

「ストリートは、無料だから聴いてくれるんですよね」


それでも価格に見合うだけの良いものを作ってやろう!と何年もやり続けてきたから、自分たちの声や言葉や作り出す空間を、売って生きていけているんだと思います。


たとえば、今これを読んでくださっている心優しいあなた。
「いつも面白い文だね!」って言ってくれる優しいあなた。

このブログにアクセスする手間。
人生のうちの貴重な1〜2分を、ブログを読むことに割いてくれること。

今の私にはとても有難いのです。


ただ、これが、有料であったらどうなのか。
手前の文章でお金が取れるのか。

取れるわけないです、とんだ横暴です。


そう考えると雑誌のライターさんっていうのはすごいなぁ、と改めて思うわけです。


100ページある800円の芸能雑誌の中に、お目当ての俳優は見開きたった1ページ。単純計算で言えば1ページあたりとしては8円分。

「立ち読みでいいや」と思う方は少なくないはずです。

しかしながら、「ちょっと高かったけど買ってよかった!」と何年も経ってからも読み返して幸せになってくれる人がいるのもまた事実です。


いかに買ってもらえるような文が書けるのか。
高いお金を出してでも買ってよかったと思えるような文が書けるのか。


ライターの文は無料ではありません。
プロとして、自分の言葉や文章を売っているのです。

けれどライターには国家試験もなければ免許もありません。

良いものが売れる。
それもある程度普遍的に誰もが「良い」と思えるものが売れる。

売れたものが結果として「良いもの」なのかもしれない。
良いものを作り続けることが売れることに繋がるから。


だから、ライターに限らずともクリエイターは、少しでも「良い」と思えるものを創り出そうと日々もがいているんだと思います。


四年前の『うるう』の記事が出てきて、
「千秋楽、うるう日だったこともあり気負っていたのかセリフを間違えてしまったんです。お客様はスペシャルなものと取ってくれましたが、本来プロであればあってはならないことだと思いました」
と作者は言っていました。

少しでも良いものを。昨日よりも今日。
当然、完璧なものを作りたい、作らなければならないプロ意識。


舞台やライブについて、よく見かけるのは「初日も千秋楽も同じ代金を払っているのだから同じクオリティーでやれよ」という言葉なんですが、まあわかるんです。

わかるんですけど、

そんなの初日だからって手を抜くアーティストはいるわけがないし、かと言って初日のクオリティーや改善点をそのままにして千秋楽までいこうとするアーティストなんかむしろ居てはならないと思うんです。

「ライブ(舞台)はナマモノ」とはよく言いますが、形のない芸術は絶えず上に向かって成長し続けるものなんだと思うと、ほんとうに生きているんだなぁ、と思います。



言葉や歌や芝居は喉を潤すことは出来ない。腹を満たすことも出来ない。病気を治すことも出来ない。

だからこそ然るべき対価を支払う必要があるし、消費者は他のもの以上にシビアな目になると思います。



国家資格も免許もないプロ。

そんなプロが目指すところも一箇所じゃない。



「変わらずにいること」の目的が「変わり続けること」ならば常に良いものを、その時その瞬間における最高を求めなければならないと。



そんなことを語る私の文はプロのpの字もない。


このブログに数分の手間をかけてくれた優しい方が、優しさではない、お金を出してでも読みたいと思ってくれるような文がいつか書けるようになりますように。



ツチカワ