そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

伝統

学生時代、学部が学部だったので授業で「歌舞伎」を扱うことは少なくありませんでした。


一年次の必修の文学史の授業では、近世の文化史の一端として、出雲阿国がかぶき踊りを始め…などと暗記したものです。

三年次に興味があって履修した演劇史の授業では、近代演劇史の始まりである幕末歌舞伎を学び「七五調、様式美、河竹黙阿弥」と頭に叩きこみました。


当然エンターテインメントには興味があって演劇も好きなので、伝統芸能としての歌舞伎は誇りだったし、今なお歌舞伎を擁する日本文化にも誇りがありました。



今日は、東劇にシネマ歌舞伎『喜撰/棒しばり』を観に行きました。
あっ、まって、また歌舞伎かよって思わないで。

なかでも、十世 坂東三津五郎と十八世 中村勘三郎のコンビで魅せられた『棒しばり』がひどく印象深い。

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10年前の舞台の映像なのだけど、まるですぐそこで二人が踊っているようで。


舞を舞い、演じている。っていうよりもただただそこに太郎冠者と次郎冠者がいて、飲めや歌えの宴をしているように見えて、こちらまで陽気になってくるようでした。


初演の太郎冠者は七世 三津五郎。次郎冠者は十八世 勘三郎の曽祖父。

脈々と継がれ、昨年の八月納涼歌舞伎ではその息子の二代目坂東巳之助が太郎冠者、六代目中村勘九郎が次郎冠者を勤めました。

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私は残念なことに出会うのが遅すぎたため、この公演は観に行けていないのですが、先日の中村屋のドキュメンタリーでほんの一瞬の稽古映像だけ見ました。

ドキュメンタリーの中では勘九郎さんの息子さんの初舞台(かな?)の様子もやっていましたね。

「声が小さい」「ちゃんと向こう見て」と厳しい言葉をかけられる場面では「まだ小さいのにかわいそう…」と友達が言っていました。




おじいちゃんがやった演目をお父さんが。
お父さんがやった演目を自分が。
自分がやった演目をいずれは自分の子供が。

"「伝統」だから継いでいかなければならない。"
というのは確かに梨園の男子に生まれた時点で「かわいそう」とも言えるのかもしれない。



八月納涼歌舞伎の『棒しばり』で太郎冠者を勤めた坂東巳之助は、一度歌舞伎にも父親にも反発して歌舞伎とは離れた世界に身を置いたこともあるようですが。

そんな巳之助さんがある時フッと「歌舞伎に戻ろう」と思ったそうで。


この間のラジオで「伝統」について聞かれて
「伝統を守るために歌舞伎を続けているんじゃない。歌舞伎が面白いから続いているんであって、その結果として伝統になる。」
と仰っていたのを聴いてストンと腑に落ちました。

歌舞伎に戻るきっかけの人や舞台があったわけではない、と言っていたけれど、単純なことで、いわゆる「歌舞伎の面白さ」が再び巳之助さんを歌舞伎に戻したのかなあ。

なんて。

思いつつ。

この言葉が巳之助さんから出てきたことに感動。

しつつ。



私が今歌舞伎を観ているのは、近世の文化史の一端だからでもないし、演劇史の始祖だからでもありません。

面白くて楽しいから高いお金もポンと払ってしまうんだろうなあ。




そんな面白い歌舞伎、次なるは三月の大阪松竹座にて『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』です。

是非ご覧あれ。





巳之助さんのような面白いブログが書けないツチカワが今夜もお送りしました。

巳之助さんのブログじわじわハマります。

是非ご覧あれ。