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そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

茶番は本気に勝てない?

演劇・歌舞伎

桜舞い散る花盛りの日本橋明治座
四月花形歌舞伎は初日を迎えました。


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私が行った頃はそこそこ新緑



一番のお目当ては昼の部の芦屋道満大内鑑ー葛の葉ー』
そして女房葛の葉の役を勤める中村七之助


『葛の葉』は私が人生で初めて観た歌舞伎古典演目。
大学一年の夏、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室での、中村時蔵さんの葛の葉を観ました。

葛の葉の早替わりや曲書き、見どころがたくさんあって話も比較的わかりやすい演目だから、きっと有名だったのだろうとは思いますが、いかんせん当時は「文学文化に触れる」という目的のもと、伝統芸能フィルターを通して観ていましたので、それほど記憶がございません。
(お恥ずかしい…………)

今日も一応に、とイヤホンガイドを借りて、いつものように右耳にセットしたところ

しょっぱなから聞こえてくる義太夫……
なんとなく聞き覚えがある…………
なんとなくこれ……既視感………………


結局イヤホンは外し、「保名かわいい〜」なんて笑い、三年前の夏にはそれほど心を動かされなかった「子別れ」のシーンにあろうことか涙まで流して満足の幕切れとなりました。

(自分はそれほどまだ詳しくないのでわからないけれど、新春浅草歌舞伎での『義経千本桜 四の切』を観た経験が助けになったかもしれないね。)



同じ、伝統芸能フィルターで観ていた演目といえば女殺油地獄もまた。

こちらは文学史の授業で使ったテキストの中から「好きなワードについて調べて提出しなさい」との課題が出た際に、「近松門左衛門」についてザッと調べたときに見かけた演目です。

概要のみを調べただけなので、当然観るのは初めてですが、一応観る前に下調べをしたり、ツイッターから公演レポが流れてきたりします。

油でツルツル滑りながら殺すシーンがあることも、
そのシーンで客席からクスクス笑いが起きることも、
知ってはいたし、実際笑いはその日も起きたのだけど

一方で二階席ガン下手側の私、笑いどころか拍手する余裕もないレベルのドン引き。

与兵衛が花道を去っていく幕切れまで手も視線も動けなくなってました。
(買っていたおにぎりを食べる気も失せてました)

どちらかといえば殺陣や戦いの場面は好きな質なのですが、世話物特有の、リアルに所帯染みた感情が絡んだ殺しの場ほど怖いものはないですよね。
油がこぼれる音も、滑る音も、転げる音も、あってないような照明も不気味だった。


大好きなしんごちゃんは『浮かれ心中』同様に健気で兄思いの妹役。
あの180もある長身を縮こまらせてずっと泣いていた二幕が胸が痛すぎて苦しかった……

もうしばらく『女殺油地獄』は観たくないです…

い、いい意味でね…





さて、『棒しばり』以降グングン興味を深めている舞踊劇。

中村七之助『二人椀久』をひどく楽しみにしていたのですが、あらすじだけ読んで『末広がり』もとても期待していました。


『二人椀久』が妖しくて美しい舞踊なら、『末広がり』ポップで可愛らしくて幸せな舞踊。
そんなイメージでした。

騙されているのに「なんていい人だ!」と信じ、主人にいくら「これは傘だ!」と言われても自分が見てきたことを信じ通す純粋さ。

「アホの子」って言うより「アホほど素直な子」なのだろうね。
(太郎冠者が子って歳なのかは知りません)


『末広がり』。
『棒しばり』のときにも感じた、リズミカルでポップな舞踊劇、幸せばっかり詰め込んだような演目でした。



そして

恐らく一番「ピン」ときていなかった
『浮かれ心中』。

「ほぉ〜井上ひさし作でござるか〜」程度に思っていて、あらすじもなんとなくだけ見て、まさかのそれっきり。

こちらはイヤホンガイドを着けての観劇。
でも、あれたぶん着けなくても分かったと思うし、楽しめたのではないかな。

ゴールデンボンバー歌広場淳さんもブログに書かれていましたね。)


主人公の栄次郎は「面白い本を書きたい」「有名な戯作者になりたい」と、その一心で周りを巻き込みに巻き込んで騒ぎを起こしていきます。

最後には自分で企てた騒動に、自分が巻き込まれてしまうのですが、それまで巻き込まれた家族や友達は、一度も栄次郎を見捨てたり咎めたりすることはありませんでした。


不器用で利口ではないのだろうけれど、そのぶん「面白いことをしたい」欲求 に愚かなほど素直なのでしょう。

そして「この人のためなら何でもしてあげたい」と人に思わせるような、愛される力を持った人だったんだろうと思うのです。


心中のその瞬間「茶番は、本気には勝てないのか」という台詞が出てくる。ハッとする。
(ココ、その直後の生死の境ではコミカルな演出になっていて、一瞬の間に事の芯をつくような言葉をシュッと刺してくる、井上ひさしっぽいなぁ〜と思うのは私だけ?)


作家も、芸能も、音楽だって芝居だって、きっと世間からしたら「茶番」に過ぎないことだと思うんです。

でもこんなたかが茶番に何千円も何万円も払って、笑って、泣いて、また次の茶番のために必死で働ける。

「本気の茶番」っていうのは人の「本気」をも産む。



亡くなってから名をあげるクリエイターは昔からたくさんいるけれど、そんなの、生きているうちに売れたかったよなぁ。

と、昇天をもまるで茶番であるかのようにニコニコとちゅう乗りではけていく勘九郎さんを見送りながら、想いを馳せたのでした。



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思い入れのある演目と、新たな思い出ができた演目がたくさん詰まった四月花形歌舞伎でした。

花形の、フレッシュながらも香りたつような華やかな舞台。
まだまだ「歌舞伎」とかいう茶番は深く深くまで続いているようです。



ツチカワ