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そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

木ノ下Oh歌舞伎

演劇・歌舞伎
「おぉ……」

と思った。




初めて「おぉ……」を経験したのは昨年、2015年6月19日。
木ノ下歌舞伎の、通し三人吉三を観たときだった。

三人吉三』という名前と、なんだか複雑な話らしい、ということと、「月も朧に白魚の〜」とかいう名台詞くらいしか予備知識がないまま、まっさらの状態で観劇した。


実に楽しかった。
何も知らずに観たのにこんなにも理解できて、それどころか感情移入して涙まで流すなんて…

そこから始まった私の浅いキノカブ暦は約1年を迎えました。




今日はそんな木ノ下歌舞伎が10周年を記念して企画した2年がかりの大プロジェクト、「木ノ下大歌舞伎」のお話をしたいと思います。


2年がかりで上演するのは有名な義経千本桜』

仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』と並ぶ三大名作の一つ。


記念すべき初回は、その中の二幕目である「渡海屋・大物浦」

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実は今月は歌舞伎座で、通しに近い形で『義経千本桜』を上演しています。
私も来週歌舞伎座へ行く予定ですが、少し考えました。

(現行歌舞伎を先に見た方がいいのかな…)
歌舞伎座→キノカブ→歌舞伎座のほうが…)


いろいろ考えてみましたが、去年の三人吉三を思い出し、慢心してノー知識のままで観劇を敢行しました。



結論から申し上げると、すごく良かった
去年の楽しさを思い浮かべれば、いやが応にも上がる期待値。しかしそれをも軽く超えてくる充実感でした。





  • NO知識でも理解できた理由

冒頭、安徳帝の入水シーンから始まります。台詞の調子は歌舞伎調。
場面変わって始まったのは平家の跡取り争いの場面。ここがポイントになります。

軽快に、やや早口な現代口語で進んでいくなかで、名前を連呼します。
そして必ず「お前は○○にボロクソに言われた××じゃないか」などと説明口調で名前を呼ばれるのです。


この場面は、平家物語から引いてきたところで、「渡海屋・大物浦」の中にはこの場面はありません。

しかし「なぜ源氏と平家が対立しているのか」「なぜ知盛が義経を討たんとしているのか」に繋げる上で、(特に私のような初心者にとっては)大きな役割を持ってくれたといえます。

助かりました。(初心者の声)





  • シンプルなセットと衣装

現行歌舞伎とは真逆と言ってもいいのではないでしょうか。
舞台上にあるのは、必要最低限のもののみ。
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イメージはこんな感じです。

花道のような細い舞台と、揚幕のようなキノカブ印の暖簾。それに定式幕をイメージしたすのこが周りに並んでいます。

後ろが少し高く傾いた木の舞台にはいくつか穴があいており、真ん中の穴はいわゆるスッポンのように人が出入りしたりもしていました。


そして衣装
白い服の上から、着物を羽織っただけの衣装。

至ってシンプルな衣装ですが、これがまた上手くできているなあ、と思うのです。

このお話、人がすごく死ぬのですが、「死」を表すときに着物を脱ぐ
中の白い服は死装束に見え、脱ぎ捨てられた着物は亡骸のようにも見える。

兵士がどんどん死んでいく、という場面。
上からバッサバッサと着物が落ちてくる、という演出がありました。
力なく無造作に落とされる着物が、戦場にあふれる無数の亡骸に見えて、胸が苦しくなりました。

ただ上から服が落ちてくるだけの状況が、ここまで感傷をえぐることができるのか……
と、悲しい場面でありながら、大好きな場面でもあります。


また、衣装を使った印象的なシーンがもう一つあって、
最後の安徳帝の入水のシーンなのですけど。

前のシーンで真ん中の穴からしまったはずの大量の着物を再び出し、安徳帝に全て重ねて着せるのです。
すべて着せ終え、一番外側には天皇の印として使われた日の丸をかぶせます(開演前上からさがってたあの日の丸ですね)。

死んでいった全ての者の無念と、これから先のまだ見ぬ日本を、たった6歳の天皇が背負って命を絶たんとする。

非常に印象深い場面でした。



またこの安徳帝の入水シーン。
大多数の人が強く印象に残した場面だと思います。
3回出てくるこの入水の場面は、時間の経過であり、演出上のリフレイン効果だと木ノ下氏は仰っていました。

しかもただ繰り返すだけでなく、台詞に含まれる情報を少しずつ変えていたとのこと。
(最初で「我が君」と言っていたところを最後には「帝」と言っていたり)

話を聞いて鳥肌が立ったところでした。
(自分で気が付きたかった。。)





  • 古典に取材するということ

私が観た回では主宰の木ノ下裕一氏によるアフター講義がありました。
木ノ下氏は「古典はいくつにも解釈ができる」と仰っていました。


この木ノ下歌舞伎『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』を観ていて、いくつかの場面で涙が出てきました。
また、涙を流しながら、「あ、私、平家に感情移入している」と気づきました。

冒頭の平家物語部分は当然、清盛に対しての怒りがあったのだけれど、『義経千本桜』が始まってから平家(というより知盛)への痛切な思いが湧き上がってきたのです。


アフター講義で知盛について熱く語る木ノ下氏を見て納得しました。


きっとこれは、木ノ下歌舞伎というビジョン、フィルターを通した義経千本桜』の姿。

ほかの劇団がやったら。現行歌舞伎では。
それぞれがきっと違う色を持っているはず。


なんだかメディアの根本を問われているような気もしました。

このフィルターを通せばこう見えるぞ。
でもその角度にばかりとらわれていては戦争が起こる

私が木ノ下歌舞伎を通して見た『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』の悲劇の主体は、知盛であり、義経であり、安徳帝だった。


幕切れ(?)の場面。
極めて現代的な扮装の義経の周りを、平家の亡霊ともとれるような白服の人達が踊る。爆撃のような音。

時代を超えて形を変えた「争い」を思わされました。



  • 木ノ下裕一氏

すごく頭がいい。
膨大な情報量を抱え、それを的確に引き出して構成する。知盛じゃないけど、ただ者じゃない感。

そして、それ以上にがある人だと思いました。
アフター講義を聞いていてより強く感じました。


至極変な言い方をしますが、主宰にこんなに愛される作品なんて、なんて幸せ者なんでしょう。

愛のある作品は真っ直ぐ心に刺さってきます。
(これはコブクロもそう!)

まだまだ浅いキノカブ暦ではありますが、きっと彼は古典作品を愛し、芝居を愛し、役者を愛し、客を愛し、ともすれば登場人物達も大いに愛しているのだろうなあ。

と、勝手に考えました。


だって、あんなに活き活きと知盛萌えポイントを話す人を私は見たことがありません。(笑)


何においてもそうですが、私は、愛のある言葉や作品を生み出す人が大好きです。
さらに木ノ下歌舞伎の、木ノ下裕一氏のファンになりました。


終演後少しだけお時間を割いて頂き、質問をさせていただきました。
「来週歌舞伎座義経千本桜を観に行きます。観るべきポイントなどありますか」
とお伺いしたところ
「ぜひこの木ノ下歌舞伎と比べて観てみてください。どこが違ってどちらが好みか。」
というようなことを、丁寧に仰ってくださいました。

先述しましたが、通すフィルターが変われば当然色が変わってくる。
木ノ下歌舞伎を通して見えたキャラクターの色が、現行歌舞伎の、しかも2016年6月のこの配役ではどう見えるのか。

俄然楽しみになりました。


と書いたからにはまた更新しなくては。(笑)


愛がたくさん詰まったお芝居に触発され私も「木ノ下歌舞伎、三人吉三で観てから大好きです!」と告白(笑)したところ、笑顔で「ありがとう。よかったらぜひまた来てね」と仰ってくださいました。

もちろん、この木ノ下大歌舞伎を大大千穐楽まで観届けたい、と思っています。






「歌舞伎」という演劇、「演劇」の中の歌舞伎を教えてくれた木ノ下歌舞伎がもっと大好きになった、いいお芝居でした。




ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
これを読んで少し木ノ下歌舞伎が気になってくれた方、



ぜひ『勧進帳』一緒に遠征しましょう。



ツチカワ