そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

真夏の夜に観た夢

お久しぶりです。

 

 

一か月更新しないでいたら、はてなブログから督促されました。

私がみっくんだったら三万回は退会していたところです。

 

 

 

 

この一か月、私は「納涼歌舞伎」という名の夢に浮かされていました。

 

千穐楽にはこの有様だよ

 

 

何度も幕見に通い、通しで一等席をキメ、お写真は爆買いという財布への乱暴狼藉…

「この狂気の沙汰はぜひ記しておかねばならぬぅ!」と思いつつ、元来の作文嫌いに加えて”素敵な文章”への妬み嫉み劣等感から、ブログのアプリを開く指が重くなっていました。(たいへんな現代っ子感)

 

 

 

九月秀山祭も中日を過ぎたころ、なんとなく納涼の筋書を読んでいたら

そもそも事の発端は「藩の公金をこんなことに使ってはいけない」という酒井の再三の

訴えだった。そして酒井は信念を貫き通して良い結果に結び付ける。政治家の公金使徒が問題になる昨今、これは恐らく想定外の見事な「攻め」になったのではないだろうか。

 

 

 

廓噺山名屋浦里』について書かれた文。

私が見たものとは違う角度の見解だったから、なんだかおもしろかった。

「なるほど、そっちか」と。

 

納涼歌舞伎の中では唯一、一度しか観なかった演目。

私が観た廓噺山名屋浦里』を、私のフィルターを通して記録しておこうと思います。

 

 

 

  • 見初めの場

超が付くほど真面目一徹な酒井宗十郎

花魁の顔も見ようとしなければ声も入ってこない。目に入っているのは目の前に浮かぶ禿の扇子だけ、という場面。

まないた帯も打掛も着けていない浦里と、その浦里が有名な花魁とは露知らず…な酒井の出会いは、もはや最初から遊女とお客のそれではなかったのかもしれないなぁ。

 

見初めたのは、浦里のほうだったのかも。

 

 

 

  • ヒーロー!

留守居役達が例によって「酒井に恥をかかせてやろう」とたくらみ“江戸の妻”と称して馴染みの遊女を寄合に連れてくること!と約束をしたまさに当日。

酒井が頼み込んだのは先だっての花魁・浦里。主人の山名屋平兵衛には断られてしまうのですが、様子を聞いていた浦里は承諾します。

しかし当日、なかなか姿を現さない浦里。周りはどんどん酒井を馬鹿にし始めます。(これがまたムカつくんだ~~~)

そこへたいそうな花魁道中を連れて華やかな拵えで浦里が現れます。

そりゃあ周りもびっくり。顔に「ぎゃふん」と書いてあるようなリアクションには、なんだか荒事を観て悪者が懲らしめられているような爽快感すら覚えました。

 

凛としたその姿はまさに酒井のヒーロー。に、見えました。

 

 

 

  • 忘八

見どころの、浦里がお国言葉で感情を吐露する場面。

そこにいるのは、純粋で、素朴で、ちょっと頑固な普通の女の子で。おおきな髪飾りや派手な着物を着た花魁ではありませんでした。

 

純朴な浦里と実直な酒井の、恋と呼ぶにはあまりに小さくてささやかな絆

 

二人が部屋を出て、牛太郎の友蔵と平兵衛だけが残る場面。ぽろっと関西弁を漏らしてしまう平兵衛と、慌てる友蔵に対して平兵衛が言う「かまへん」。

実は平兵衛自身も大阪から出てきて、「贅六!」と馬鹿にされながらも必死で働いてきた人だったのです。

 

酒井が山名屋主人の平兵衛のもとを訪ねたとき、平兵衛が「この商売は忘八と呼ばれている。人間として大切なことをすべて亡くした者だ。」というようなことを言う台詞があります。

きっと、「大切なことを亡くした」のではなく、国の言葉とともに「押し殺した」のだろうな。

 

江戸の言葉で隠して、廓言葉で蓋をして、決して自分が見えないようにしていないと生きていけない世界だったんだろう。江戸は。

 

地方からやってきて融通もきかず馴染めない馬鹿真面目な男と、すべてを押し殺して身を粉にして働いてきた男、小さい時分から家のために知らない都会に出てきてどんな辛いことにも耐えながら一番に上り詰めた花魁。

 

三人の小さくてもろくて少し暖かい、形のない絆が、どうかこの混沌とした江戸の中でずっと続いてほしい、と思わざるをえないようなお国言葉の場面でした。

 

 

そして、きっと今も各地からいろんな人が、いろんなものを求めて集まっているであろう東京。より複雑になった今この時代に、このお芝居から小さくて優しいあかりを見ることができて幸せだったと思うのでした。

 

「浦里…!」「おにいさま」

と言って幕になった、その後のことは、知っても知らなくてもいいのかもしれないね。

 

 

 

 

本当に、扇雀さんの関西弁が出たあたりでピークでした。

これはずっと言う。

 

廓噺山名屋浦里』は、前楽に観たのでこれっきり一度しか観ていないのですが、この納涼の夢醒めにちょうどいいような柔らかいお芝居でした。

 

といいながら千穐楽の日に赤姫見たさに『嫗山姥』幕見したんですけどね。

こちらのお話はまたの機会に。

 

 

 

扇雀さんと新悟さんにハマり込んで貢ぎ込んだ夏でした。嗚呼。

 

 

ツチカワ