入学しました
2日間だけ。
整理番号の札可愛くないですか
歌舞伎女子大学 という団体の、授業を受けてきました。
昨年の『妹背山婦女庭訓に関する考察』再演、
そして新作『菅原伝授手習鑑に関する考察』
どちらも、『妹背山婦女庭訓』は吉野川、『菅原伝授手習鑑』は寺子屋しか観たことのない初心者です。
吉野川に至ってはバッサリ割愛されてしまいました。(笑)
坂東新悟さんを好きになってから、「かぶじょ」の存在を知ったのですが、私が知った頃にはもう上演は終わっていました。
今回の公演を知ったのは、新悟さんのブログです。
そこで見たキャストに熊川ふみさんがいらっしゃいました。
私が初めて観た木ノ下歌舞伎の三人吉三に一重役で出ていて、それをきっかけに好きになったのが熊川ふみさんです。
「ふみさんが出るならば行ってみたい!」と、推しの役者を差し置いてかぶじょに引き込んだのは熊川ふみさんだったのです。
もちろん、現代劇俳優に混じっての歌舞伎役者、激推し俳優の新悟さんも楽しみにしていましたよ。
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妹背山婦女庭訓に関する考察
さっきも言った通り、私はこのお話に関しては「吉野川」しか観たことがありません。
お芝居の中では、吉野川は蘇我入鹿と藤原鎌足の争う世界の中の、一つのスピンオフのような扱いだそう。
吉野川を観たときのイヤホンガイドでも「蘇我入鹿」の話をしていました。
妹背山婦女庭訓自体は蘇我氏をやっつけるお話で、そのためのアイテム集めのお話。
でも、その悪役のために生まれてしまった悲恋。お三輪ちゃんの悲劇。
いじめるシーンも苦しかったのだけど、切なかったのが最後。
おだまきを持って回るところ、「キュンキュン」というよりは何となく締め付けられる気持ちになって。「最後に顔が見たかったなあ」って台詞で終わるんだけど、その一言と暗転の中でじわじわ涙が出てきて止まらなくなりました。
物語が持つあたたかさと、あたたかみがもたらす切なさ。
「キュンキュン」って、必ずしもトキメキだけじゃないんだなあ。少なくとも私はそう思いました。
新悟さんは、お三輪ちゃん役ということで女方さんだったのだけど、鬘もお化粧も衣装も無し。
素顔に着流しでのお芝居だったのに、そこにいるのは薄幸の美女。表情や声帯も含めて身体の動きのみで醸し出す性差。
私はこの人のお芝居を初めて好きだと思ったきっかけは声だったし、やっぱり素敵な声をしている、と改めて思いました。
大好きな素敵な役者さんだと思うので、それこそ本興行でもお三輪をやってほしいし、それ以外にもたくさん大きなお役をやるようになったら良いなあ。観たいなあ。
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菅原伝授手習鑑に関する考察
妹背山に比べて、今の私の琴線にゴリゴリ触れてくる作品でした。単刀直入に言うと好き。
こちらも「寺子屋」以外は未見。
寺子屋は観るたびに鬱になるから嫌だなあ、と思っていました。
正直、この菅原伝授手習鑑に関する考察もずっと泣きっぱなしでしたけどね。
何かを観た後に他の人の感想を聞くと自分なりの感想が見えてくる、ってことあるじゃないですか。
このお芝居がまさにそうで。
三つ子の兄弟、とりわけ梅王丸に焦点を当てた本作品だけれど、結果的に私の中では桜丸と松王丸の人間らしさとか、悲劇なんかが浮き彫りになった感じがします。
桜丸の切腹の場面、冒頭と中盤とで2回あったけど、前後で点対称になってたんですね。
中盤での切腹の場面は、八重の現代口語と桜丸の歌舞伎調の掛け合いが絶妙なタイミングですごく泣けた。
ずっとその掛け合いをしていたのに急に桜丸が現代口語で八重を諭すところがピークでした。
ツチカワ大好き木ノ下歌舞伎でも、この歌舞伎調×現代口語のコントラストで「身分差」「感情の高ぶり」を表現しているものはあったけど、かぶじょもまたドストライクに組み合わせてくれたなあ…と泣きました。
桜丸の切腹に始まり、主人公の男の子の「歌舞伎の、温かい、に逃げないと現実を生きられない」と言う台詞に泣き、寺子屋に泣き、幕切れで泣くという。
寺子屋は唯一現行歌舞伎で観たことのある部分。
この人を見たかった!熊川ふみさんの武部源蔵!
この人の体の使い方は一体なんなんだ(笑)と思うようなアグレッシブな動きをする武部源蔵(笑)
様式的な美で固められた現行歌舞伎でさえ涙無しには観られない「寺子屋」。ほとんど現代劇にアレンジされていたために実に悲劇。
寺入り前夜の松王、千代、小太郎親子のひとときをやられたらずるい。泣くしかない。
ちなみに、序盤から、千代をやられていた役者さんがお上手だなあ〜と思いながら観ていました。
幕切れ。
ダメになってしまった賀の祝。うめちゃん、本当はやりたかったんじゃないのかな〜、ってみんなでお祝いする場面。あたたかくて、ほっこりするんだけどやっぱりなんだか切なくて。
ちょっとだけ寺子屋の話に戻るけど、寺子屋で詠まれる「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌。
最後に嬉しくて梅王丸がジャンプするところ、昨日は気が付かなかったんだけど、この歌を回収してるのね。(ああ!と思ったんだけど、新悟さんがアフタートークで嬉しそうに解説していました)
菅原伝授手習鑑の中でも最も有名であろう、しかも今年は3回もかかっている、寺子屋。
これだけの世界の中に、ここまでの梅王丸や桜丸の想いがしっかり乗っていたんだ。と気付かされる。
単なる「身代わり首の鬱演目」と思っていたけれど、いろんな家族のいろんな想いが交錯した濃密な一幕だったんだなあ。
そうだ、ふみさんの八重と新悟さんの桜丸のイチャコラはとても眼に嬉しく見させていただきました。可愛い。最高。
(それだけに後々悲劇が効いてくるんですけどね…歌舞伎のそういうとこ…)
菅原伝授手習鑑、妹背山婦女庭訓のイジメの場面にも言えるんだけど、あんな重くてエグい話を様式美を使わないで写実的に表現したら相当ショッキングになるよなあ。
生々しい中身を「様式」で包むと、悲しみは美しさを伴い始める。
それでも涙が出るようなお話なのに、様式や型を取り払って少しずつ生々しさが露見して現代劇寄りにすると、引くほど重く響くお芝居になるんだなあ、と感じました。
歌舞伎が、こういうドラマ性の高いストーリーでも様式美を必要とするのには理由があるのかしらん。と勝手にこれはツチカワの考察。
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歌舞伎役者さん
歌舞伎女子大学、唯一出られている歌舞伎役者さん、坂東新悟さん。
この人を気になり始めたきっかけはお芝居ではありませんでした。
もちろんきっかけになったお芝居もあって、4月の明治座で声に惚れたのが割と明確なきっかけだったんです。
最初に「坂東新悟」を認識したのはブログでした。そこから確か、いまじナイトやトークショーの動画を観たりもして。
なんだか面白いことを考えている変な子がいるな〜、と思ったのが最初でした。
なんだか面白おかしくブログに描かれた歌舞伎の演目。妄想のネタにされる演目。
元ネタを知らない私は気になって調べたことも何度もあります。
観たことのある演目だったりすると、「そんな見方をしちゃうのかww」と笑わせられたりもしました。
今日のアフタートークでいらしたノンノ編集長小林さんから新悟さんへの質問。
「なぜ、この企画に参加しようと思ったのか」
新悟さんは、
「子どもの頃から新作歌舞伎に携わることが多かった。父(彌十郎さん)も若い頃は猿翁さんの一座にいたり、今では平成中村座やコクーンに出させて頂いている。歌舞伎をわかり易く、という、楽しく伝えることが好きなんです。」
と仰っていた。(ごめんなさいニュアンスです)
「この人の頭の中はどうなってるんだろう…」
と思うような、私が大好きなこの妄想力はそういうところからも来ているのかなあ、なんて。
私が初めて新悟さんのブログを観たときに「面白いなあ」「好きだ」と思ったように、近いか遠いかわからない未来、新悟さんが作るとびきり面白い楽しい歌舞伎を観た人が「面白いなあ」「好きだ」と歌舞伎を好きになる世界が来ますように。と願ってやまない。
推しへの愛重め、敬称は「さん」でお送りしました。
ツチカワ