そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

コンプリート

10月から3ヶ月に渡って上演された、国立劇場50周年記念 通し狂言仮名手本忠臣蔵を観納めてきました。

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そして




歌舞伎三大名作をコンプリート致しました!

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大学時代、1年次の必修の文学全史の授業でも赤いマーカーを引いたりして暗記した超有名な演目です。(こちらの写真はその時のものです。懐かしいね)




私は今回初めて観ました。
意外ととか助六とか、THE・歌舞伎みたいな演目って観たことない。

 

 

歌舞伎三大名作

三大名作の三つは、義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』そして仮名手本忠臣蔵



義経千本桜は輝かしき私の古典歌舞伎デビュー戦、2016年新春浅草歌舞伎四の切を観ました。六月には碇知盛から四の切まで、通しで。

 

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少し変わったものでいうと、木ノ下歌舞伎という劇団の渡海屋・大物浦なんかも。

 

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もう一つの菅原伝授手習鑑は何故か下半期に御縁があったようで、十月と十二月に寺子屋を観ました。

ちょっと特殊なのも含めれば、ついこの先日、歌舞伎女子大学の現代劇『菅原伝授手習鑑に関する考察』でかなりディープに触れたり。

 

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驚きの三ヶ月連続寺子屋です。



そしてここに至るまで、どんな形でも触れてこなかった仮名手本忠臣蔵
私の仮名手本忠臣蔵デビューはいきなり全通しだったのでした。




仮名手本忠臣蔵も、他二つの三大名作よろしく実際にあった歴史上の大事件をベースにしたドラマ。

義経千本桜は源平合戦と平家のその後
菅原伝授手習鑑は菅原道真大宰府左遷事件を。
仮名手本忠臣蔵は、赤穂浪士たちの討ち入り事件をベースにしています。



まず、私のネックだったのが登場人物の多さ
しかも史実の名前と役名の距離が…遠いときた…
義経千本桜は割とまんまだったし、菅原伝授手習鑑は丞相がついたり読み方が変わったりするくらいじゃないかよー)

ここで私は史実の名前を覚えることを諦めました。徹底的にお芝居に入ることにしたので赤穂浪士討入については何も聞かないでください。

一から覚え直しました。



さて初の『仮名手本忠臣蔵』!

一部の十月は、事件の発端。
扇雀丈の勘平が罪深い色気を持っていて痺れたり。判官切腹に臨む隼人丈の力弥が儚くて切なかったり。
滅多にかかることがない二段目では隼人丈と米吉丈の美男美女カップルに癒されたり!


二部は十一月。塩冶家の仇討ちをしようと決起する家来たちと、それを取り巻く人々のドラマ。
よくかかっているイメージのある五、六段目
勘平自害の場面ですね。(2015年の新春浅草歌舞伎でもかかっていたし、研の會でもやっていたね。)
七段目の祇園一力茶屋の場も、有名なんだそう。(当然初めて観ました。)

たくさんかかるだけあって、やっぱりドラマティックな場面。
「いやいやいや、そこ黙ってないでちゃんと言いなよ」「ああ!これが夜じゃなくて昼だったら!」とか、心の中で声にならない叫び声をあげる展開は、嫌いじゃない。

襲名口上でさんざん芝翫丈をいじっていた菊五郎丈、やっぱりすごいんだ……と思わされる勘平でした。



そしてとうとう三部!フィナーレ!
もちろんここまでのドラマはこのためにあると言っても過言ではない、討入

四十七士、四十六名並んだ舞台は圧巻
ワンピースや阿弖流為が大好きな私。もちろん立ち回りは大好物なので、塩冶浪士たちがめくるめく立ち回る場面は観ていてとても楽しかったし、かっこよかった

我らが隼人丈は最後の最後に仇の高師直を見つける大役。
判官が切腹した、想いがたくさん詰まったあの刀で、師直を討ちます。
この瞬間のために何人もの命がなくなったり、別れを経験したり、いくつものドラマが生まれてきたのだと思うと、三ヶ月観てきた私までなんだか感慨深くなるってもんです。

焼香の場では、メンバーに加えられたおかるの兄、平右衛門が義理の弟である無念の死を遂げた勘平の財布とともに焼香します。

ここでもまた三ヶ月の公演を思い出しながら涙。
これは通し狂言ならでは、なんだろうなあ。



そんなわけで三ヶ月
演じるほうは当然大きなプレッシャーなのだろうけれど、観るほうもなかなか気合がいる通し狂言だな、と実感。

まして私は初めての仮名手本忠臣蔵がこの通し狂言だったので、一生忘れない気がします。

 

価値観

三大名作と呼ばれる歌舞伎の大作に、通しだったり断片的にだったり、触れてみて思うのはやはり価値観の違い

当然作られた時代が違うわけだから、当時新作としてこのお芝居を観ていた人たちと同じような感動を味わえるのかと言ったらそうじゃない。

それに、「時代物」と呼ばれるお芝居においては、どうしても武士の感覚は理解出来ないものです。今武士っていないしね。


「やられたらやり返すって…」
「忠義を示すために身代わりに我が子を殺すなんて」

って、今の自分には全然理解出来ない考えや行動なのに、物語として観ていると自然と感情移入して泣いてる……みたいなことが、歌舞伎を観始めてすごく不思議だなあ、と思うようになりました。


どれもなかなかにエグい話で、義経千本桜の渡海屋・大物浦や、菅原伝授手習鑑なんかは現代劇アレンジされたものを観たことがありますが、「こんなの現代劇でやるもんじゃねえ!」と叫びたくなるエグさでした。

「討入場面の立ち回りが華麗ですごくかっこよくて楽しかった!」と書きましたが、これも現代劇のような演出をされたら、とても見ていられない場面なんだろうな…と思います。


これだけの内容の濃さと見た目の美しさが、絶妙な配合で物語を進めてくれるから、歌舞伎は観ていて楽しいのかもしれないなあ。


たらればとか、Ifとか

「ああここで〇〇がこんなことしなければ
もしちゃんとこれを言っていれば
「ここで△△に気づいてたら!」

歴史にも人生にも「たられば」は存在しないと言いますが、どうしても考えざるを得なくなるんですよね。

もし斧定九郎が殺されたのが周りが明るい昼だったら
あの時勘平が財布を引き抜かなければ

って考えずにはいられないんだけど、それ言ったらもっと遡って遡って争いなんてなくなれ!!と思ってしまうし。

これもきっと現代の私の感覚なのだろうか。
当時の観客もこんなふうにヤキモキしたのだろうか。


今はもうイヤホンガイドも筋書も、Google先生に「仮名手本忠臣蔵 あらすじ」なんて聞けば洗いざらい教えてくれる世の中なので、最初から判官が死ぬことも勘平が死ぬことも討入が成功することも、みんなわかってるはず。

わかっていても願わずにはいられない大きな時代の流れを感じる名作たちだったのでした。


大時代の力の波に抗えない、願いはあえなく裏切られる展開なんかは割と嫌いじゃないんだけれどね。

 


次の目標は 通し狂言『菅原伝授手習鑑』です!
(松竹さんお願いしまーす!)



 

 

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……やっぱり…多いよね…………

 


ツチカワ