そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

夢幻恋双紙〜赤目の転生

暗くて湿ったループの一片を観た。

 

初めて赤坂大歌舞伎を観てきました。

今年の演目は『夢幻恋双紙〜赤目の転生』

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蓬莱竜太さん作・演出の新作歌舞伎です。

 

よくわからないことを言いますが、ポスターに書かれている「愛する女のために転生する男」と「愛を貫き運命に翻弄される女」というコピーが予想と360°違っていたという印象。

 

元々はラーメンズのコントから演劇の沼に入り、現代劇を観続け、アングラや小劇場に興味を持ち、ひょんなことから歌舞伎の深みにハマるという観劇遍歴を持つ成人女の感想です。

 

 

 

すごく現代劇だなあ、と感じました。

出ている人物はもちろん皆着物を着て、舞台は長屋なのだけれど、人々の台詞の端々から感じる価値観が現代の我々に極めて近いと感じたのです。

 

一太郎と二太郎の場面では「愛とお金どっちが大事?」という現実感を突きつけられたし、二太郎と三太郎では「友情とは?」という少し野暮ったくて朴訥な疑問を投げかけられた。

 

また、出てくる登場人物全員に少しずつ自分を投影できてしまう居心地の悪さみたいなものを感じました。

誰の台詞にも共感できるところがあったり、かと思えば誰かの台詞が自分の胸に刺さる。

 

 

自分は観客として観ているだけなのに、気持ちの端っこがお芝居に巻き込まれるような錯覚に陥りました。

 

 

 

 

しかしながらそれでいて、歌舞伎でよく見かける「因果」という流れが見えるようになっている。

前世の因果も来世の報いも、全てが明け透けになっていて、全てを知っているのは俯瞰している観客のみなのが辛いところ。当事者は何となくその赤目に残る記憶だけを頼りに、因果から逃げるように転生しているのを私(たち)だけが知っているのがとても苦しかった。

 

 

 

三太郎の場面が終わり、またいつものように源乃助が太郎を転生させにやってくる。

そこで太郎はループを断ち切ろうと源乃助を殺し、このループの全貌がわかります。

 

 

源乃助と歌の「兄妹の恋が生む因果」もなんだか歌舞伎っぽいな〜と思ったり。

出てくる4人の太郎に歌の父親が必死に声をかけるところも、三太郎に言う歌の「ずっと好きな人がいる」も、結ばれてはいけない兄妹のお互いへの想い。という悲しさ。

 

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終演直後に殴り書きしたメモそのままでたいへん恐縮です。

 

源乃助を殺したあとのループは、物語冒頭の「ドラえもん」のくだりになっているので、初めに戻ったのかな?

と思いつつ、源乃助の中の人(役者)が太郎(の中の人)になっていることを、役者=魂のように考えると中身が変わったりしている…?

などとも考えてしまいます。

 

もしかしたら、そのまま初めに戻ったのではなくて、最初に通った展開とは少しずれながら渦を描くように転生は繰り返されるのかもしれないけれど、歌にも太郎にも源乃助にもきっと幸せが来ないことはわかっているのが物語の救いのないところ。

 

そして救いのない物語は意外に大好物であります。

 

古典歌舞伎でも吉野川だとか寺子屋だとか、救いのない物語は色々あるけれど、そんな大時代の抗えない波の話ではなくて、一つの町単位、なんなら一軒の長屋の中だけの世界の、救われないループのお話。

先に載せたループの形よりももう少し大きいかもしれない。そのたった一部を私達は目撃しただけかもしれない。

 

 

 

これだけ「現代劇みたいだ現代劇みたいだ」と言っておきながら、タイトル通り夢みたいだとも思ったんです。

(というかテーマが「転生」っていう時点でだいぶファンタジックですけどね)

 

観る前からなんとなく話題になっていた切り絵のセット、既視感があるなあと思ったら

 

モチモチの木 (創作絵本6)

モチモチの木 (創作絵本6)

 

読んだことはないのですが小学生の頃校長室の前に置いてあって、なんとなくこの独特の雰囲気が怖かった思い出があります。読んでみよう。

 

これだけリアルなお芝居を観せられているのに、背景がすごく抽象的で。太郎が転生するたびに「夢を見た」と話す言葉も相まって、ずっと終わらない夢を見せられているよう。

遠い星の、日本の江戸時代に限りなく近いところの人々の話を見ているような不思議な感覚でした。

 

 

 

冒頭からずっと「鶴松くんのキャラ、ウザ可愛いww」と思っていたのですが、ウザ可愛いがどんどん広がっていき、深くなり、という人物の生々しい人間らしさに変わっていくのを見てゾクゾクしました。

 

一太郎、二太郎、三太郎、どの場面の静もそれぞれ違った女の子でしたが、やっぱり一番人間味がある。

自分の持つ嫌な感情が共鳴してしまうという点で、ドロドロして一番気持ちが悪かった部分ではありますが二太郎と静の繋がりが心に刺さったように感じます。

 

可愛い鶴松くんしか知らなかったのでドキドキした………

 

 

今回は二階席から一応双眼鏡も携行してはいたものの、途中から使わずに観ていましたが、いてうさんと猿弥さんが鶴松くんと同じ年頃の子どもに見えたことに感動……改めてすごさを感じました……

 

 

 

二太郎の場面では、経済面での心配はゼロで父親もすっかり持ち直し、何不自由なく暮らしている中で、太郎だけが。三太郎の場面では、歌と剛太が結婚し、静も子どもを身ごもり、幸せムードの中でやはり太郎だけがまるで違う世界にいるようでとても辛かった。

 

これまた「好きな人といることが必ずしも幸せなのか」と普遍的な疑問を投げかけられたような気がします。

 

 

 

 

 

私は今回おそらく初めて蓬莱さんのお芝居を観たのですが、これは一からの新作歌舞伎ということで。コクーンのように既存の歌舞伎の演出も機会があれば観てみたいなあ、なんて思ったりしました。

その時もやはり、世話物がいいです。(笑)

 

 

こういった新作歌舞伎が上演されるたび、歌舞伎以外の役者が歌舞伎の演目をアレンジして演じるとき、しばしば言われる「歌舞伎とは何か」という問いについては、私は専門に勉強をしたわけでもないし、いわんやその分野で学士を取ったわけでもないので、明確なことはわかりません。

 

が、感覚や価値観がすごく現代的だと感じました。言い換えれば、物語の中を生きる彼らは、現代を生きている私となんだか考え方が似ているなあと思ったわけです。

 

有り得ないことですが、江戸の人々がこのお芝居を観た時にどう思うんだろう?何を感じるんだろう?今現代の我々が古典歌舞伎を観た時に「共感はできないけど理解はできるし感動した」と言うように江戸時代の人たちも感動したりるのだろうか?

と感じずにはいられませんでした。

 

 

 

 

 

元々パスしようと思っていた赤坂大歌舞伎ですが、評判があまりに良く、私好みの演目だと聞いて急遽観劇しましたが、観てよかったです。

すごく面白くて、居心地悪くて、内臓が苦しくて、見応えのあるお芝居でした。大好き。

 

 

 

このお芝居を通して誰でも持っている闇だとか、普遍的なテーマだとか疑問だとか、たくさん心に投げかけられた気がしましたが、一つとして答えは出ていません。。

 

 

ツチカワ