茶番は本気に勝てない?
四月花形歌舞伎は初日を迎えました。
私が行った頃はそこそこ新緑
一番のお目当ては昼の部の『芦屋道満大内鑑ー葛の葉ー』
そして女房葛の葉の役を勤める中村七之助。
『葛の葉』は私が人生で初めて観た歌舞伎古典演目。
葛の葉の早替わりや曲書き、見どころがたくさんあって話も比較的わかりやすい演目だから、きっと有名だったのだろうとは思いますが、いかんせん当時は「文学文化に触れる」という目的のもと、伝統芸能フィルターを通して観ていましたので、それほど記憶がございません。
(お恥ずかしい…………)
今日も一応に、とイヤホンガイドを借りて、いつものように右耳にセットしたところ
しょっぱなから聞こえてくる義太夫……
なんとなく聞き覚えがある…………
なんとなくこれ……既視感………………
結局イヤホンは外し、「保名かわいい〜」なんて笑い、三年前の夏にはそれほど心を動かされなかった「子別れ」のシーンにあろうことか涙まで流して満足の幕切れとなりました。
(自分はそれほどまだ詳しくないのでわからないけれど、新春浅草歌舞伎での『義経千本桜 四の切』を観た経験が助けになったかもしれないね。)
同じ、伝統芸能フィルターで観ていた演目といえば『女殺油地獄』もまた。
概要のみを調べただけなので、当然観るのは初めてですが、一応観る前に下調べをしたり、ツイッターから公演レポが流れてきたりします。
油でツルツル滑りながら殺すシーンがあることも、
そのシーンで客席からクスクス笑いが起きることも、
知ってはいたし、実際笑いはその日も起きたのだけど
一方で二階席ガン下手側の私、笑いどころか拍手する余裕もないレベルのドン引き。
与兵衛が花道を去っていく幕切れまで手も視線も動けなくなってました。
(買っていたおにぎりを食べる気も失せてました)
どちらかといえば殺陣や戦いの場面は好きな質なのですが、世話物特有の、リアルに所帯染みた感情が絡んだ殺しの場ほど怖いものはないですよね。
油がこぼれる音も、滑る音も、転げる音も、あってないような照明も不気味だった。
大好きなしんごちゃんは『浮かれ心中』同様に健気で兄思いの妹役。
あの180もある長身を縮こまらせてずっと泣いていた二幕が胸が痛すぎて苦しかった……
もうしばらく『女殺油地獄』は観たくないです…
い、いい意味でね…
さて、『棒しばり』以降グングン興味を深めている舞踊劇。
中村七之助の『二人椀久』をひどく楽しみにしていたのですが、あらすじだけ読んで『末広がり』もとても期待していました。
『二人椀久』が妖しくて美しい舞踊なら、『末広がり』はポップで可愛らしくて幸せな舞踊。
そんなイメージでした。
騙されているのに「なんていい人だ!」と信じ、主人にいくら「これは傘だ!」と言われても自分が見てきたことを信じ通す純粋さ。
「アホの子」って言うより「アホほど素直な子」なのだろうね。
(太郎冠者が子って歳なのかは知りません)
『末広がり』。
『棒しばり』のときにも感じた、リズミカルでポップな舞踊劇、幸せばっかり詰め込んだような演目でした。
そして
恐らく一番「ピン」ときていなかった
『浮かれ心中』。
「ほぉ〜井上ひさし作でござるか〜」程度に思っていて、あらすじもなんとなくだけ見て、まさかのそれっきり。
こちらはイヤホンガイドを着けての観劇。
でも、あれたぶん着けなくても分かったと思うし、楽しめたのではないかな。
主人公の栄次郎は「面白い本を書きたい」「有名な戯作者になりたい」と、その一心で周りを巻き込みに巻き込んで騒ぎを起こしていきます。
最後には自分で企てた騒動に、自分が巻き込まれてしまうのですが、それまで巻き込まれた家族や友達は、一度も栄次郎を見捨てたり咎めたりすることはありませんでした。
不器用で利口ではないのだろうけれど、そのぶん「面白いことをしたい」欲求 に愚かなほど素直なのでしょう。
そして「この人のためなら何でもしてあげたい」と人に思わせるような、愛される力を持った人だったんだろうと思うのです。
心中のその瞬間「茶番は、本気には勝てないのか」という台詞が出てくる。ハッとする。
(ココ、その直後の生死の境ではコミカルな演出になっていて、一瞬の間に事の芯をつくような言葉をシュッと刺してくる、井上ひさしっぽいなぁ〜と思うのは私だけ?)
作家も、芸能も、音楽だって芝居だって、きっと世間からしたら「茶番」に過ぎないことだと思うんです。
でもこんなたかが茶番に何千円も何万円も払って、笑って、泣いて、また次の茶番のために必死で働ける。
「本気の茶番」っていうのは人の「本気」をも産む。
亡くなってから名をあげるクリエイターは昔からたくさんいるけれど、そんなの、生きているうちに売れたかったよなぁ。
と、昇天をもまるで茶番であるかのようにニコニコとちゅう乗りではけていく勘九郎さんを見送りながら、想いを馳せたのでした。
- - -
思い入れのある演目と、新たな思い出ができた演目がたくさん詰まった四月花形歌舞伎でした。
花形の、フレッシュながらも香りたつような華やかな舞台。
まだまだ「歌舞伎」とかいう茶番は深く深くまで続いているようです。
ツチカワ
ひとつなぎ
財宝を探しに荒れ狂う海へ冒険に出たわけではないですが
飛行機の中で TETOTE を聴きながら書いています(泣きそう)
新橋演舞場では写真は禁止だった気がするのですが、周りバシャバシャ撮りまくってるし禁止のボードもなくなっていたので私もちょいと。
新橋の初演を観てから約5ヶ月。
3月の松竹座公演から変更点やキャスト変更があったものの、物語の邪魔をする事は決して無く、むしろ「どこか変わってた?」くらいの感じでした。
でも確かに細かいところを見れば
「天竜人登場が花道ではなくせり上がりになっていた」
「ボン・クレー初登場シーンで一瞬ゾロが現れる」
「ハンコックが小林幸子になった」
etc……
他にもきっといろいろあったのだろうけど、時間が経っているうえにあまりに自然だったから気づけなかったかもしれない。
ボン・クレーの初登場、ゾロの頭だけ出してルフィーを呼びかけ、再び布をかぶり、次の瞬間布をとったら「なーんちゃってぇ!!」とボン・クレー。
観ている時は「よくもまぁこんなパッとすぐ声色を変えて芸達者なこと」と感心していたんだけど、あとから考えたら髪もすぐボン・クレーに変えていたし、マネマネの実の能力者であることの強調だったのだろうなぁ〜と思うとあの一瞬だけでも変更した意味があるってものですよね。
話を印象づけながら役者の達者ぶりをも強調。
なーんて素人目線ながら歌舞伎「らしい」なぁなんて思ってしまいました。
THE・二枚目なイナズマに色気たっぷりのサディちゃんの立ち回りが、あまりに美しくて輝かしくて気づいたら涙が出ていました。
極めつけにボン・クレーが六方踏んで花道を帰っていく独壇場。
初めてかっこよすぎて号泣するという経験をしました。
(正直13日は私の楽日だったこともあって本水からカテコまで泣きっぱなしだったんですけどね)
このボン・クレー役をやったのが坂東巳之助。
他にゾロ、スクアードと三役で出ています。
硬派な剣士をやったかと思えばキャラの濃いオカマ、最後には痛いほど真っ直ぐで切なさを抱えた海賊役。
ボン・クレーのかっこよさに泣かされ、スクアードの切なさに泣かされました。
「ボン・クレー以外にも出てるので…」
と本人は言うけれど、あれだけかっこよさ出されたらやっぱり惚れるよ〜…
あまりにタイプの違う三役をやったものだから、「坂東巳之助の三役がすごい!」とかなり話題になったし、私も「ワンピース歌舞伎観に行って坂東巳之助に落ちないで帰ってくる人なんているの?」っていうのは正直なところであります。
しかしながら
新橋の初演を二回観に行って、ゾロ、ボン・クレー、スクアードを同じ人がやっていたと知ったのはだいぶ後でした。
ルフィーとハンコックが早変わりだったことを知ったのも、二回目のとき。
チョッパーに「こっちだよ!」って言われてまんまと後ろを向き、はたと前を向いたらチョッパーがいた(義経千本桜の四の切のあれですね)、ってのにも毎回引っかかりました。
純粋に「演劇」を観ていたからだと思います。
逆に言えば、古典の、早変わりや複数役を勤めることへの「すごーい!」は味わえなかったことになります。
「役者ありき」を味わえなかった最初二回も楽しかったのは、純粋な演劇としてもワンピースが楽しめる作品だったからだと思います。
「歌舞伎」の楽しいところも、「演劇」の楽しいところもいいとこ取り。
私のようにここからいわゆる沼にハマった人は大勢いたはずです。
12日、帰りながら近くを歩いていたマダムの方が「また観たいわ〜!」と言っていました。
たった数ヶ月前にハマった私が何回も観たいと思った気持ちが、時差で共有できたことが嬉しかった。
13日、近くの席の博多ギャル(かは知らない)が「クロコダイル知らない」「誰も知らない(笑)」「でもイナズマかっこよかった!」「ボン・クレー可愛い」と話しているのが聞こえました。
私もワンピース読んだことないよ。
歌舞伎だって観たことなかった。
イナズマかっこいいでしょ?ボンちゃん可愛かったでしょ?
私もそこから徐々に「観たい、知りたい」と思い始めました。
イナズマは残念ながら来月はロサンゼルス公演になってしまうけど、ボン・クレーは歌舞伎座に出るはずなのでぜひ。
ロサンゼルスよりは近いでしょ。
私は今日が新橋初演含む『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』の千秋楽だったけれど、もちろん今日が初日の人もいるわけで。
私が(私の)初日で感じたことを、今日が初日だった知らない人とこっそり共有できたことが嬉しかった瞬間でした。
元はといえば新橋演舞場の初演にはエース役で
福士誠治さんが出ると聞いて「ん〜じゃあとりあえず行っとくか。ワンピ知らんけど」程度のノリで行ったワンピース歌舞伎。
中村隼人から興味の範囲を広げて若手歌舞伎役者にハマる。
気づいたら歌舞伎が好きになっていた。
ワンピース歌舞伎が、私と歌舞伎をひとつなぎにしてくれた。
同じようにワンピース歌舞伎によって歌舞伎を知った、見ず知らずの人とひとつなぎの感情を共有することが出来た。
すごく大切な舞台になりました。
ああ、楽しかった…!!!!!!!
私にとってのひとつなぎの宝です。
縁ってふしぎ。
えん!
EN!!
えんのすけ!!!
(ワンピロスがもう甚だしい……)
ツチカワ
私を構成する9演目
とかいう面白そうなネタを見つけたのでやってみんとす。
5年という至って浅い観劇歴の中でいろいろ観てきましたが、これが思い出そうとしても忘れているものがほとんどでした。
の、中でスルスル記憶のツルが出てきた演目なので紛うことなき私の血肉となっているはずです。
________
1.『TEXT』(2007年2月)
ラーメンズ第16回本公演『TEXT』。
本来ならば「演目」というならこの中から選ばなくてはならないのかもしれないけれど、すべて繋がってひとつの「TEXT」を作っている中から一つ選ぶことはできませんでした。ご堪忍。
実を言うと、生で(リアルタイムで)観てません。
「条例」より
恐らく中学2年の冬に彼らにどハマリして、わりかしすぐにDVDで観た公演だったと思います。
小さい頃からなぜか国語は好きだったけれど、私は「日本語」が好きなんだと気づかせてくれた大切な公演です。
2.『うるう』(2012年2月)
そう、ひとり舞台、と思って物語は進んでいく。けれど、まるで裏方に徹するようにして舞台に佇むチェリストの徳澤青弦氏が、最後でイイトコ持っていく。
「何でもないことを大げさに見せ、度肝を抜くネタを何食わぬ顔で仕掛ける」コバケンのお家芸がふんだんに詰まった演劇作品。
何を隠そうこの作品、私が自らの意思で自らの小遣いを支払って劇場に観に行った、初めての作品です。
高校2年の冬、放課後に制服のまま駆け込んで当日券で観た憧れの人が私を観劇沼に引きずり込むのは、何も難しいことではなかったのでした。
3.『365000の空に浮かぶ月』(2015年1月)
今をときめく斎藤工がいることもあってチケット戦争は激戦を極め、本来行けないはずだった福士ファンである私、知り合いのご厚意のおかげで一度だけ観ることができました。
平安、明治、昭和、平成。四つの時代が交錯し、血筋と想いと「月の石」が時を越えて人と人を繋ぐ。
解き明かされないままの暗号や張り巡らされた伏線を、観劇後も何週間もこねくり回して余韻に浸れる良作でした。
4.『狂人なおもて往生をとぐ』(2015年2月)
引き続き福士誠治座長舞台。
娼婦と客を演じる家族、家族ゲームの枠、何が「ごっこ」で何が真実なのか、時間とルールに縛られながら狂気に満ちていくある家族の悲劇的な末路。
初めて同じ演目を複数公演観ました。
シアターウエスト、豊橋、兵庫の3カ所で観ましたが、やっぱり小劇場演劇の金字塔だけあって、シアターウエストの閉塞感は最高にマッチしてましたね。
戯曲も、セリフを覚えるほど何度も読み込んで観劇し、当時履修していた演劇史の授業で4000字ほどのレポートも提出しました。
そんな観方をして何が楽しいんだか、と今になっては思いますが、今もアングラ演劇特有の狂気がかった雰囲気や毒気は嫌いじゃないです、むしろ好き。
5.木ノ下歌舞伎『三人吉三』(2015年6月)
再びシアターウエスト。
通常の歌舞伎で通しでやると上演時間が驚異の10時間超だそうで、有名な「大川端の場」のみの上演がふつうなんだそうですが、木ノ下歌舞伎、一つの場もまるごとカットすることなく通しでやってくれました…!
登場人物の因縁が複雑に絡み合うこの演目を、予備知識無しに一度だけ観て話がわかる…
わかるどころか「あぁそれを言うからこじれる!」「あぁ彼と彼が敵同士だったんだ」とことのほか感動して帰ってきました。
当時、『狂人なおもて〜』のおかげでアングラにお熱だった私が、なんとなく授業の中で耳にした「三人吉三」のワードに反応して観に行った舞台。Road to 歌舞伎沼 のスタート地点になるとは、この頃の私は知る由もない。
6.阿弖流為(2015年7月)
何故観に行ったのだろう。
別段好きな役者が出ていたわけでもなく、話を知っていたわけでもない。
(実は阿毛斗役で坂東新悟が出ているのだが、それに気づくのはその数ヵ月後である)
絵に描いたような「なんの気なし」でチケットを取り、新橋演舞場に出向きました。
初めての新橋演舞場、生で見る花道や殺陣や見得に、ドキドキしっぱなしだったのを覚えています。
そして観劇前に配られた小さな青ライト。
最後の場面で星空を演出するためのものだったのですが、3階席から見下ろす蝦夷の星空は美しかったです。貧乏席も悪くないな。
これで惚れた
7.スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』(2015年10月)
ワンピースを読んだことはありません。
歌舞伎もよく知りません。
なので今回は「後悔する前にまずチケットを取れ!!」ということをモットーに、あくまで「とりあえず」取っただけでした。
最初は。
ところがドッコイ、蓋を開ければ超楽しい…
ワンピースを知らなくても、歌舞伎を観たことがなくても面白いなんてあるものかと驚きました。
8.『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』
初めて、自らの意思で観に行った古典歌舞伎でした。まだまだ思い出も新鮮な2016年の新春浅草歌舞伎。
有名なお嬢のあの台詞は授業で習っていた、話は木ノ下歌舞伎で知っていた、初めて意味がわかる中でいわゆる「歌舞伎」を観た……
若手のみの歌舞伎公演、劇評にはいろいろ書かれていたけれど、この先彼らが大物になって私もいろんな演目を観るようになっても、この『三人吉三』は忘れないだろうな。
9.『棒しばり』(2016年シネマ歌舞伎)
ただのかわいいおじさん
大名の留守中に勝手にお酒を飲まないように、と棒に括られ腕を縛られた太郎冠者と次郎冠者が、それでもなお不自由の中必死に酒を飲み、酔って踊るというシンプルな舞踊かつコメディー。
私はもともと全然舞踊には興味がなかったんですが(興味がないあまり新春浅草歌舞伎の『土佐絵』の記憶もあやふやという…)、それこそ「巳之助さんのお父様だから」という理由だけで観に行ったら「舞踊って面白いじゃん!」となったわけです。
きっかけってどこに転がってるかわかりませんね。
勿論、この演目を生で観たことはありません。観たかった…
肉体の芸術の最も辛いところは、最も強いところでもあると思うんです。
陽気な太郎冠者と次郎冠者を、この先何年も何十年もブラッシュアップしていってくれる役者さんがいることに感謝です。
……昨年八月の納涼歌舞伎は観てません(悔)
定期的に観たくなるリズミカルな舞い。
________
長ーーーーくなりました。
歴が浅いうえに演目も偏っているのがバレバレ。
自分がいつ頃何にハマってたのかよくわかりますよね。
2013〜2014年も舞台は観たはずなんですが、一向に思い出せない……
たぶん小林賢太郎ばかりだったと思います。
後半歌舞伎ばっかじゃねぇかって怒らないでください。
これだけ歌舞伎が出てきたってことは今の私を構成しているのは歌舞伎が大きいんだと思います。
たった5年間で観てきた、たった何演目ぶんの9です。
これからどれくらい分母が大きくなるのかな。
その頃にまた9演目、選んでみたいですね。
ご静聴ありがとうございました。
ツチカワ
私が『僕がコントや演劇のために考えていること』を読んで考えたこと
お久しぶりです。私です。
前回の更新からゆうに1ヶ月空いてしまいました。
巳之助さんのブログのこと言えないですね。
さて私が多趣味の塊であることはもう既知のことと存じますが、あれから鬼のように各方面が情報解禁と詳細発表のパンデミックでして、1ヶ月充実してはいたのですが。
ですが。
そんなオタクの多趣味の一つである観劇が、3月は当方と先方お互いの不手際によりなかったことになってしまったんですね。
超ウルトラゴンザレッサ楽しみにしていた舞台、というわけではないものの、1ヶ月何も観ないというのは寂しかったです…
私が思うことシリーズで更新しても良かったんですけど、週一ペースでネチネチネチネチ卑屈で死にたくなるようなブログを更新されても見る人も困りますしね。
私も死にたくなりますし。
根暗に加えて文章構成力が著しく欠如しているもんですから、超つまんねぇんですよね。ブログが。
とは言ったって何も好きでつまらないわけじゃないですし、何を隠そう私はすごく面白くなりたいと常常思っています。
「小林賢太郎みたいに面白くなりてぇなぁ〜」
「坂東新悟のブログ超おもしれぇなぁ〜」
「どうやったら面白くなれんだろうなぁ…」
指南書
ではないですけど
「超面白い(私調べ)人が考えていること」が書かれた本を読み、応用し、盗めば私も面白くなれんじゃねーの!?
的な至極安直で愚かな下心のもと、これは昨年購入した本です。
何度も申しあげていますが私は根暗で卑屈に加えてひねくれ者というウルトラめんどくさい女なので、自己啓発本とかダメなんです。
「○○な人がやっている10の習慣」
とか
「○○になるための100の言葉」
とか
本当にダメ。
この本を読んだのは、この本を読むことによって私が幸せになるだとか、人生が豊かになるだとか、そんな大げさな影響はもたらさないと思ったからです。
単純に真似れば面白くなるかも、と思ったからです。
ただ、まぁ、その、私は作家でも役者でもないので、モノ作りに反映させることはできないのですが。
「経験と環境にはお金を惜しまない」
「一行でも自分のためになると思ったら、その本は買う価値がある」
観客である私にも真似できることは極力取り入れようとしました。
私も裕福ではないしバイト代もキツキツですが、作家に敬意を払って、なるべく定価で本を買うようになりました。
結論
このブログを読んでもらって分かる通り、この本を読んだからといって面白くはなれませんでした。
なれませんでしたけども、
作り手の葛藤と魂胆を覗き見たことで、観に行く舞台や、聴く音楽、読む本全てへの敬意が生まれたような気がします。
我こそは面白いと自負している人も、
そうでない人も、
今年こそは面白くなりたいって人も、
モノ作りに携わる人、
オーディエンスになることが多い人、
一読する価値はあるかと思います。
面白くなるにはまだまだ遠いなぁ〜。
ちなみに前述しました坂東新悟さんのブログ、文が上手くて読みやすい、本当に面白いブログなので是非ご覧になってみてね。
ぴーえす
この「ぴーえす」は坂東巳之助さんのパクリです。
ツチカワ
伝統
学生時代、学部が学部だったので授業で「歌舞伎」を扱うことは少なくありませんでした。
一年次の必修の文学史の授業では、近世の文化史の一端として、出雲阿国がかぶき踊りを始め…などと暗記したものです。
三年次に興味があって履修した演劇史の授業では、近代演劇史の始まりである幕末歌舞伎を学び「七五調、様式美、河竹黙阿弥」と頭に叩きこみました。
当然エンターテインメントには興味があって演劇も好きなので、伝統芸能としての歌舞伎は誇りだったし、今なお歌舞伎を擁する日本文化にも誇りがありました。
今日は、東劇にシネマ歌舞伎『喜撰/棒しばり』を観に行きました。
あっ、まって、また歌舞伎かよって思わないで。
10年前の舞台の映像なのだけど、まるですぐそこで二人が踊っているようで。
舞を舞い、演じている。っていうよりもただただそこに太郎冠者と次郎冠者がいて、飲めや歌えの宴をしているように見えて、こちらまで陽気になってくるようでした。
私は残念なことに出会うのが遅すぎたため、この公演は観に行けていないのですが、先日の中村屋のドキュメンタリーでほんの一瞬の稽古映像だけ見ました。
ドキュメンタリーの中では勘九郎さんの息子さんの初舞台(かな?)の様子もやっていましたね。
「声が小さい」「ちゃんと向こう見て」と厳しい言葉をかけられる場面では「まだ小さいのにかわいそう…」と友達が言っていました。
おじいちゃんがやった演目をお父さんが。
お父さんがやった演目を自分が。
自分がやった演目をいずれは自分の子供が。
"「伝統」だから継いでいかなければならない。"
というのは確かに梨園の男子に生まれた時点で「かわいそう」とも言えるのかもしれない。
八月納涼歌舞伎の『棒しばり』で太郎冠者を勤めた坂東巳之助は、一度歌舞伎にも父親にも反発して歌舞伎とは離れた世界に身を置いたこともあるようですが。
そんな巳之助さんがある時フッと「歌舞伎に戻ろう」と思ったそうで。
この間のラジオで「伝統」について聞かれて
「伝統を守るために歌舞伎を続けているんじゃない。歌舞伎が面白いから続いているんであって、その結果として伝統になる。」
と仰っていたのを聴いてストンと腑に落ちました。
歌舞伎に戻るきっかけの人や舞台があったわけではない、と言っていたけれど、単純なことで、いわゆる「歌舞伎の面白さ」が再び巳之助さんを歌舞伎に戻したのかなあ。
なんて。
思いつつ。
この言葉が巳之助さんから出てきたことに感動。
しつつ。
私が今歌舞伎を観ているのは、近世の文化史の一端だからでもないし、演劇史の始祖だからでもありません。
面白くて楽しいから高いお金もポンと払ってしまうんだろうなあ。
是非ご覧あれ。
巳之助さんのような面白いブログが書けないツチカワが今夜もお送りしました。
巳之助さんのブログじわじわハマります。
是非ご覧あれ。
芸術やエンターテインメントについて思うことその1
その2は未定です。
以前、コピーライターの仕事に触れる機会が何度かありました。
社名は特に言いませんが、システムとしてはクライアントのとある商品に、コラムを付す。1500〜2000字程度。1日に3〜5つこなす。主にウェブ上の文章なので、アクセスされればされるほど会社にお金が入ってくる。
簡単に言えばそんな感じ。つまり、コラムに興味を持ってもらえば持ってもらうほど、売れる。
考えたこともありませんでした。
自分の言葉が売り物になる。商品になる。
対価が支払われる。
「ストリートは、無料だから聴いてくれるんですよね」
それでも価格に見合うだけの良いものを作ってやろう!と何年もやり続けてきたから、自分たちの声や言葉や作り出す空間を、売って生きていけているんだと思います。
たとえば、今これを読んでくださっている心優しいあなた。
「いつも面白い文だね!」って言ってくれる優しいあなた。
このブログにアクセスする手間。
人生のうちの貴重な1〜2分を、ブログを読むことに割いてくれること。
今の私にはとても有難いのです。
ただ、これが、有料であったらどうなのか。
手前の文章でお金が取れるのか。
取れるわけないです、とんだ横暴です。
そう考えると雑誌のライターさんっていうのはすごいなぁ、と改めて思うわけです。
100ページある800円の芸能雑誌の中に、お目当ての俳優は見開きたった1ページ。単純計算で言えば1ページあたりとしては8円分。
「立ち読みでいいや」と思う方は少なくないはずです。
しかしながら、「ちょっと高かったけど買ってよかった!」と何年も経ってからも読み返して幸せになってくれる人がいるのもまた事実です。
いかに買ってもらえるような文が書けるのか。
高いお金を出してでも買ってよかったと思えるような文が書けるのか。
ライターの文は無料ではありません。
プロとして、自分の言葉や文章を売っているのです。
けれどライターには国家試験もなければ免許もありません。
良いものが売れる。
それもある程度普遍的に誰もが「良い」と思えるものが売れる。
売れたものが結果として「良いもの」なのかもしれない。
良いものを作り続けることが売れることに繋がるから。
だから、ライターに限らずともクリエイターは、少しでも「良い」と思えるものを創り出そうと日々もがいているんだと思います。
四年前の『うるう』の記事が出てきて、
「千秋楽、うるう日だったこともあり気負っていたのかセリフを間違えてしまったんです。お客様はスペシャルなものと取ってくれましたが、本来プロであればあってはならないことだと思いました」
と作者は言っていました。
少しでも良いものを。昨日よりも今日。
当然、完璧なものを作りたい、作らなければならないプロ意識。
舞台やライブについて、よく見かけるのは「初日も千秋楽も同じ代金を払っているのだから同じクオリティーでやれよ」という言葉なんですが、まあわかるんです。
わかるんですけど、
そんなの初日だからって手を抜くアーティストはいるわけがないし、かと言って初日のクオリティーや改善点をそのままにして千秋楽までいこうとするアーティストなんかむしろ居てはならないと思うんです。
「ライブ(舞台)はナマモノ」とはよく言いますが、形のない芸術は絶えず上に向かって成長し続けるものなんだと思うと、ほんとうに生きているんだなぁ、と思います。
言葉や歌や芝居は喉を潤すことは出来ない。腹を満たすことも出来ない。病気を治すことも出来ない。
だからこそ然るべき対価を支払う必要があるし、消費者は他のもの以上にシビアな目になると思います。
国家資格も免許もないプロ。
そんなプロが目指すところも一箇所じゃない。
「変わらずにいること」の目的が「変わり続けること」ならば常に良いものを、その時その瞬間における最高を求めなければならないと。
そんなことを語る私の文はプロのpの字もない。
このブログに数分の手間をかけてくれた優しい方が、優しさではない、お金を出してでも読みたいと思ってくれるような文がいつか書けるようになりますように。
ツチカワ
『ホテル・カリフォルニア』
『ホテル・カルフォリニア』です。
開演して数十分、「これ綴りが違うじゃん!これじゃあ『ホテル・カルフォリニア』だよ」ってセリフが出てくるまで私も『ホテル・カリフォルニア』だと思っていました。
イーグルスの曲だそうですね。
聴いたことある人は多いかも。渋くてカッコイイ曲です。
それくらい、少々福士誠治から離れた状態での観劇スタートでした。
何なら千穐楽の時間も勘違いしていて、危うく劇場に来たらすべてが終わっていたところでした。
座長である福士誠治、開演すぐにオールバックで出てきます。かっこいい。胸元開いてます。かっこいい。
福士演じるヤクザサイドの物語が進み、ホテルの従業員サイドの物語が進み、交わったところからはほとんど出ずっぱりでした。
ホテル・カルフォリニア、ホテル・カリフォルニア をもじった漫画が原作なのですが。
私は楽日前日と楽日の二日観劇しましたが、原作の漫画を読んでいないぶん、一日目は物語についていけませんでした。結構ハチャメチャ。
二回目ともなればなんとなく物語の流れもセリフも覚えてきます。
そこでおぼえたのがコメディー勢の「間のとり方」への感動でした。
とくになだぎ武は私の中ではピカイチにツボで、「ナイス間オブザイヤー」的な大賞があってもなくても贈りたいです。
下ネタ、アドリブ、ゴリッッッゴリで(特に千穐楽は)引っ掻き回しながら舞台全体のコメディー感に色をつけていく感じ、絡む役者まで面白くしてしまうのは彼が芸人だからでしょうか。
くそう、だから芸人に憧れる。
こういう即興バトルみたいなものはドラマや映画ではなかなか観られないので、やっぱり舞台映えするなあ、と思いますね。
二回観てなんとなく流れやセリフがわかってきたと申しました。
つまり、どこがきちんと台本通り言っているセリフで、どこがアドリブだったのかも二回目でやっとわかったわけです。
アドリブだと思っていたところが本来のセリフだったり、本来のセリフだと思っていたらアドリブだったり。
声の抜き方や、それこそ間なんかの取り方で、アドリブっぽく見せて笑いを取る演技力も、とっさの出来事に冷静な判断でセリフを話す瞬発力も、舞台に立つ役者にとって重要な力だと思いますし、福士誠治にはそんな力があるんだよなぁ、と実感しました。
『ホテル・カルフォリニア』、原作を知らないので最後のシーンがやはりスッキリしていないのですが…
原作もあんな感じなんでしょうかね。
フライヤーから照明から「極彩色!」といった印象でしたが、ちょっと唐十郎の『下谷町万年物語』を思い出しました。
とはいっても蜷川幸雄演出の『下谷町万年物語』と大堀光威演出の『ホテル・カルフォリニア』がダブっただけの気もしますが…
でもなんとなく訳の分からない毒々しさがアンダーグラウンドな印象でした。ダーク。
こういう原作ものの内容について語ろうとすると、舞台や映画ではなく原作の話になってしまうのであまり得意ではないのですが
今回は全く原作を知らずに臨んだので単純に福士誠治のかっこよさと色気を楽しめた舞台でした。
このエロさは引きずりそうです。
福士誠治は舞台で映える役者だと思っています。(塩顔味噌俳優のくせに)
本人も「劇場に来てください。演劇を楽しみましょう。」と言っていました。
テレビの露出を熱く切望致します。
(大声)
ツチカワ