そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

私を構成する9演目


とかいう面白そうなネタを見つけたのでやってみんとす。


5年という至って浅い観劇歴の中でいろいろ観てきましたが、これが思い出そうとしても忘れているものがほとんどでした。

の、中でスルスル記憶のツルが出てきた演目なので紛うことなき私の血肉となっているはずです。


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1.『TEXT』(2007年2月)

ラーメンズ第16回本公演『TEXT』。
本来ならば「演目」というならこの中から選ばなくてはならないのかもしれないけれど、すべて繋がってひとつの「TEXT」を作っている中から一つ選ぶことはできませんでした。ご堪忍。

実を言うと、生で(リアルタイムで)観てません。
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「条例」より

恐らく中学2年の冬に彼らにどハマリして、わりかしすぐにDVDで観た公演だったと思います。
小さい頃からなぜか国語は好きだったけれど、私は「日本語」が好きなんだと気づかせてくれた大切な公演です。


2.『うるう』(2012年2月)

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ラーメンズ小林賢太郎による演劇作品。
(ひとり舞台だからPotsunenと間違われがちだけど、KKPだよ!)
そう、ひとり舞台、と思って物語は進んでいく。けれど、まるで裏方に徹するようにして舞台に佇むチェリストの徳澤青弦氏が、最後でイイトコ持っていく。
「何でもないことを大げさに見せ、度肝を抜くネタを何食わぬ顔で仕掛ける」コバケンのお家芸がふんだんに詰まった演劇作品。
何を隠そうこの作品、私が自らの意思で自らの小遣いを支払って劇場に観に行った、初めての作品です。
高校2年の冬、放課後に制服のまま駆け込んで当日券で観た憧れの人が私を観劇沼に引きずり込むのは、何も難しいことではなかったのでした。


3.『365000の空に浮かぶ月』(2015年1月)

大竹浩一斎藤工波岡一喜福士誠治の4人からなる演劇ユニットの第2回本公演。
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今をときめく斎藤工がいることもあってチケット戦争は激戦を極め、本来行けないはずだった福士ファンである私、知り合いのご厚意のおかげで一度だけ観ることができました。
平安、明治、昭和、平成。四つの時代が交錯し、血筋と想いと「月の石」が時を越えて人と人を繋ぐ。
解き明かされないままの暗号や張り巡らされた伏線を、観劇後も何週間もこねくり回して余韻に浸れる良作でした。



4.『狂人なおもて往生をとぐ』(2015年2月)

引き続き福士誠治座長舞台。
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娼婦と客を演じる家族、家族ゲームの枠、何が「ごっこ」で何が真実なのか、時間とルールに縛られながら狂気に満ちていくある家族の悲劇的な末路。

初めて同じ演目を複数公演観ました。
シアターウエスト、豊橋、兵庫の3カ所で観ましたが、やっぱり小劇場演劇の金字塔だけあって、シアターウエストの閉塞感は最高にマッチしてましたね。
戯曲も、セリフを覚えるほど何度も読み込んで観劇し、当時履修していた演劇史の授業で4000字ほどのレポートも提出しました。
そんな観方をして何が楽しいんだか、と今になっては思いますが、今もアングラ演劇特有の狂気がかった雰囲気や毒気は嫌いじゃないです、むしろ好き。



5.木ノ下歌舞伎『三人吉三』(2015年6月)

再びシアターウエスト。
通常の歌舞伎で通しでやると上演時間が驚異の10時間超だそうで、有名な「大川端の場」のみの上演がふつうなんだそうですが、木ノ下歌舞伎、一つの場もまるごとカットすることなく通しでやってくれました…!
登場人物の因縁が複雑に絡み合うこの演目を、予備知識無しに一度だけ観て話がわかる…
わかるどころか「あぁそれを言うからこじれる!」「あぁ彼と彼が敵同士だったんだ」とことのほか感動して帰ってきました。
当時、『狂人なおもて〜』のおかげでアングラにお熱だった私が、なんとなく授業の中で耳にした「三人吉三」のワードに反応して観に行った舞台。Road to 歌舞伎沼 のスタート地点になるとは、この頃の私は知る由もない。



6.阿弖流為(2015年7月)

何故観に行ったのだろう。
別段好きな役者が出ていたわけでもなく、話を知っていたわけでもない。
(実は阿毛斗役で坂東新悟が出ているのだが、それに気づくのはその数ヵ月後である)

絵に描いたような「なんの気なし」でチケットを取り、新橋演舞場に出向きました。
初めての新橋演舞場、生で見る花道や殺陣や見得に、ドキドキしっぱなしだったのを覚えています。
そして観劇前に配られた小さな青ライト。
最後の場面で星空を演出するためのものだったのですが、3階席から見下ろす蝦夷の星空は美しかったです。貧乏席も悪くないな。

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これで惚れた



7.スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』(2015年10月)

ワンピースを読んだことはありません。
歌舞伎もよく知りません。
愛する福士誠治スーパー歌舞伎に出るのはこれで2回目ですが、一つ前の『空ヲ刻ム者』は金欠のためやむなく諦めていたのです。
なので今回は「後悔する前にまずチケットを取れ!!」ということをモットーに、あくまで「とりあえず」取っただけでした。

最初は。

ところがドッコイ、蓋を開ければ超楽しい…
ワンピースを知らなくても、歌舞伎を観たことがなくても面白いなんてあるものかと驚きました。

福士誠治目当てに出掛けた2度目の新橋演舞場、ちょっとした歌舞伎(と歌舞伎役者中村隼人)への興味をお土産に劇場をあとにしたのでした。


8.『三人吉三巴白浪   大川端庚申塚の場』

初めて、自らの意思で観に行った古典歌舞伎でした。まだまだ思い出も新鮮な2016年の新春浅草歌舞伎。
有名なお嬢のあの台詞は授業で習っていた、話は木ノ下歌舞伎で知っていた、初めて意味がわかる中でいわゆる「歌舞伎」を観た……
若手のみの歌舞伎公演、劇評にはいろいろ書かれていたけれど、この先彼らが大物になって私もいろんな演目を観るようになっても、この『三人吉三』は忘れないだろうな。

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中村隼人目当てに行った新春浅草歌舞伎で今度は本格的な歌舞伎への興味と、坂東巳之助への興味を持って帰ってきました。



9.『棒しばり』(2016年シネマ歌舞伎

十八世 中村勘三郎と十世 坂東三津五郎による舞踊。

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ただのかわいいおじさん

大名の留守中に勝手にお酒を飲まないように、と棒に括られ腕を縛られた太郎冠者と次郎冠者が、それでもなお不自由の中必死に酒を飲み、酔って踊るというシンプルな舞踊かつコメディー。
私はもともと全然舞踊には興味がなかったんですが(興味がないあまり新春浅草歌舞伎の『土佐絵』の記憶もあやふやという…)、それこそ「巳之助さんのお父様だから」という理由だけで観に行ったら「舞踊って面白いじゃん!」となったわけです。
きっかけってどこに転がってるかわかりませんね。

勿論、この演目を生で観たことはありません。観たかった…
肉体の芸術の最も辛いところは、最も強いところでもあると思うんです。
陽気な太郎冠者と次郎冠者を、この先何年も何十年もブラッシュアップしていってくれる役者さんがいることに感謝です。

……昨年八月の納涼歌舞伎は観てません(悔)

定期的に観たくなるリズミカルな舞い。


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長ーーーーくなりました。

歴が浅いうえに演目も偏っているのがバレバレ。
自分がいつ頃何にハマってたのかよくわかりますよね。



2013〜2014年も舞台は観たはずなんですが、一向に思い出せない……

たぶん小林賢太郎ばかりだったと思います。


後半歌舞伎ばっかじゃねぇかって怒らないでください。
これだけ歌舞伎が出てきたってことは今の私を構成しているのは歌舞伎が大きいんだと思います。


たった5年間で観てきた、たった何演目ぶんの9です。
これからどれくらい分母が大きくなるのかな。

その頃にまた9演目、選んでみたいですね。


ご静聴ありがとうございました。


ツチカワ

私が『僕がコントや演劇のために考えていること』を読んで考えたこと


えっと、こんばんは。
お久しぶりです。私です。

前回の更新からゆうに1ヶ月空いてしまいました。
巳之助さんのブログのこと言えないですね。


さて私が多趣味の塊であることはもう既知のことと存じますが、あれから鬼のように各方面が情報解禁と詳細発表のパンデミックでして、1ヶ月充実してはいたのですが。

ですが。

そんなオタクの多趣味の一つである観劇が、3月は当方と先方お互いの不手際によりなかったことになってしまったんですね。


超ウルトラゴンザレッサ楽しみにしていた舞台、というわけではないものの、1ヶ月何も観ないというのは寂しかったです…

私が思うことシリーズで更新しても良かったんですけど、週一ペースでネチネチネチネチ卑屈で死にたくなるようなブログを更新されても見る人も困りますしね。

私も死にたくなりますし。


根暗に加えて文章構成力が著しく欠如しているもんですから、超つまんねぇんですよね。ブログが。


とは言ったっても好きでつまらないわけじゃないですし、何を隠そう私はすごく面白くなりたいと常常思っています。

小林賢太郎みたいに面白くなりてぇなぁ〜」
坂東新悟のブログ超おもしれぇなぁ〜」



「どうやったら面白くなれんだろうなぁ…」


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指南書



ではないですけど
「超面白い(私調べ)人が考えていること」が書かれた本を読み、応用し、盗めば私も面白くなれんじゃねーの!?
的な至極安直で愚かな下心のもと、これは昨年購入した本です。


何度も申しあげていますが私は根暗で卑屈に加えてひねくれ者というウルトラめんどくさい女なので、自己啓発本とかダメなんです。

「○○な人がやっている10の習慣」
とか
「○○になるための100の言葉」
とか

本当にダメ。



この本を読んだのは、この本を読むことによって私が幸せになるだとか、人生が豊かになるだとか、そんな大げさな影響はもたらさないと思ったからです。


単純に真似れば面白くなるかも、と思ったからです。



ただ、まぁ、その、私は作家でも役者でもないので、モノ作りに反映させることはできないのですが。



「経験と環境にはお金を惜しまない」
「一行でも自分のためになると思ったら、その本は買う価値がある」

観客である私にも真似できることは極力取り入れようとしました。

私も裕福ではないしバイト代もキツキツですが、作家に敬意を払って、なるべく定価で本を買うようになりました。



結論



このブログを読んでもらって分かる通り、この本を読んだからといって面白くはなれませんでした。


なれませんでしたけども、

作り手の葛藤と魂胆を覗き見たことで、観に行く舞台や、聴く音楽、読む本全てへの敬意が生まれたような気がします。



我こそは面白いと自負している人も、
そうでない人も、
今年こそは面白くなりたいって人も、

モノ作りに携わる人、
オーディエンスになることが多い人、


一読する価値はあるかと思います。



面白くなるにはまだまだ遠いなぁ〜。




ちなみに前述しました坂東新悟さんのブログ、文が上手くて読みやすい、本当に面白いブログなので是非ご覧になってみてね。




ぴーえす
この「ぴーえす」は坂東巳之助さんのパクリです。


ツチカワ

伝統

学生時代、学部が学部だったので授業で「歌舞伎」を扱うことは少なくありませんでした。


一年次の必修の文学史の授業では、近世の文化史の一端として、出雲阿国がかぶき踊りを始め…などと暗記したものです。

三年次に興味があって履修した演劇史の授業では、近代演劇史の始まりである幕末歌舞伎を学び「七五調、様式美、河竹黙阿弥」と頭に叩きこみました。


当然エンターテインメントには興味があって演劇も好きなので、伝統芸能としての歌舞伎は誇りだったし、今なお歌舞伎を擁する日本文化にも誇りがありました。



今日は、東劇にシネマ歌舞伎『喜撰/棒しばり』を観に行きました。
あっ、まって、また歌舞伎かよって思わないで。

なかでも、十世 坂東三津五郎と十八世 中村勘三郎のコンビで魅せられた『棒しばり』がひどく印象深い。

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10年前の舞台の映像なのだけど、まるですぐそこで二人が踊っているようで。


舞を舞い、演じている。っていうよりもただただそこに太郎冠者と次郎冠者がいて、飲めや歌えの宴をしているように見えて、こちらまで陽気になってくるようでした。


初演の太郎冠者は七世 三津五郎。次郎冠者は十八世 勘三郎の曽祖父。

脈々と継がれ、昨年の八月納涼歌舞伎ではその息子の二代目坂東巳之助が太郎冠者、六代目中村勘九郎が次郎冠者を勤めました。

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私は残念なことに出会うのが遅すぎたため、この公演は観に行けていないのですが、先日の中村屋のドキュメンタリーでほんの一瞬の稽古映像だけ見ました。

ドキュメンタリーの中では勘九郎さんの息子さんの初舞台(かな?)の様子もやっていましたね。

「声が小さい」「ちゃんと向こう見て」と厳しい言葉をかけられる場面では「まだ小さいのにかわいそう…」と友達が言っていました。




おじいちゃんがやった演目をお父さんが。
お父さんがやった演目を自分が。
自分がやった演目をいずれは自分の子供が。

"「伝統」だから継いでいかなければならない。"
というのは確かに梨園の男子に生まれた時点で「かわいそう」とも言えるのかもしれない。



八月納涼歌舞伎の『棒しばり』で太郎冠者を勤めた坂東巳之助は、一度歌舞伎にも父親にも反発して歌舞伎とは離れた世界に身を置いたこともあるようですが。

そんな巳之助さんがある時フッと「歌舞伎に戻ろう」と思ったそうで。


この間のラジオで「伝統」について聞かれて
「伝統を守るために歌舞伎を続けているんじゃない。歌舞伎が面白いから続いているんであって、その結果として伝統になる。」
と仰っていたのを聴いてストンと腑に落ちました。

歌舞伎に戻るきっかけの人や舞台があったわけではない、と言っていたけれど、単純なことで、いわゆる「歌舞伎の面白さ」が再び巳之助さんを歌舞伎に戻したのかなあ。

なんて。

思いつつ。

この言葉が巳之助さんから出てきたことに感動。

しつつ。



私が今歌舞伎を観ているのは、近世の文化史の一端だからでもないし、演劇史の始祖だからでもありません。

面白くて楽しいから高いお金もポンと払ってしまうんだろうなあ。




そんな面白い歌舞伎、次なるは三月の大阪松竹座にて『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』です。

是非ご覧あれ。





巳之助さんのような面白いブログが書けないツチカワが今夜もお送りしました。

巳之助さんのブログじわじわハマります。

是非ご覧あれ。



芸術やエンターテインメントについて思うことその1

その2は未定です。



以前、コピーライターの仕事に触れる機会が何度かありました。


社名は特に言いませんが、システムとしてはクライアントのとある商品に、コラムを付す。1500〜2000字程度。1日に3〜5つこなす。主にウェブ上の文章なので、アクセスされればされるほど会社にお金が入ってくる。

簡単に言えばそんな感じ。つまり、コラムに興味を持ってもらえば持ってもらうほど、売れる。


考えたこともありませんでした。
自分の言葉が売り物になる。商品になる。
対価が支払われる。



今でこそ何万枚とCDを売り上げるコブクロが、路上時代に500円のカセットテープを売ったら全然買ってもらえなかった。と、去年の徹子の部屋で話していました。

「ストリートは、無料だから聴いてくれるんですよね」


それでも価格に見合うだけの良いものを作ってやろう!と何年もやり続けてきたから、自分たちの声や言葉や作り出す空間を、売って生きていけているんだと思います。


たとえば、今これを読んでくださっている心優しいあなた。
「いつも面白い文だね!」って言ってくれる優しいあなた。

このブログにアクセスする手間。
人生のうちの貴重な1〜2分を、ブログを読むことに割いてくれること。

今の私にはとても有難いのです。


ただ、これが、有料であったらどうなのか。
手前の文章でお金が取れるのか。

取れるわけないです、とんだ横暴です。


そう考えると雑誌のライターさんっていうのはすごいなぁ、と改めて思うわけです。


100ページある800円の芸能雑誌の中に、お目当ての俳優は見開きたった1ページ。単純計算で言えば1ページあたりとしては8円分。

「立ち読みでいいや」と思う方は少なくないはずです。

しかしながら、「ちょっと高かったけど買ってよかった!」と何年も経ってからも読み返して幸せになってくれる人がいるのもまた事実です。


いかに買ってもらえるような文が書けるのか。
高いお金を出してでも買ってよかったと思えるような文が書けるのか。


ライターの文は無料ではありません。
プロとして、自分の言葉や文章を売っているのです。

けれどライターには国家試験もなければ免許もありません。

良いものが売れる。
それもある程度普遍的に誰もが「良い」と思えるものが売れる。

売れたものが結果として「良いもの」なのかもしれない。
良いものを作り続けることが売れることに繋がるから。


だから、ライターに限らずともクリエイターは、少しでも「良い」と思えるものを創り出そうと日々もがいているんだと思います。


四年前の『うるう』の記事が出てきて、
「千秋楽、うるう日だったこともあり気負っていたのかセリフを間違えてしまったんです。お客様はスペシャルなものと取ってくれましたが、本来プロであればあってはならないことだと思いました」
と作者は言っていました。

少しでも良いものを。昨日よりも今日。
当然、完璧なものを作りたい、作らなければならないプロ意識。


舞台やライブについて、よく見かけるのは「初日も千秋楽も同じ代金を払っているのだから同じクオリティーでやれよ」という言葉なんですが、まあわかるんです。

わかるんですけど、

そんなの初日だからって手を抜くアーティストはいるわけがないし、かと言って初日のクオリティーや改善点をそのままにして千秋楽までいこうとするアーティストなんかむしろ居てはならないと思うんです。

「ライブ(舞台)はナマモノ」とはよく言いますが、形のない芸術は絶えず上に向かって成長し続けるものなんだと思うと、ほんとうに生きているんだなぁ、と思います。



言葉や歌や芝居は喉を潤すことは出来ない。腹を満たすことも出来ない。病気を治すことも出来ない。

だからこそ然るべき対価を支払う必要があるし、消費者は他のもの以上にシビアな目になると思います。



国家資格も免許もないプロ。

そんなプロが目指すところも一箇所じゃない。



「変わらずにいること」の目的が「変わり続けること」ならば常に良いものを、その時その瞬間における最高を求めなければならないと。



そんなことを語る私の文はプロのpの字もない。


このブログに数分の手間をかけてくれた優しい方が、優しさではない、お金を出してでも読みたいと思ってくれるような文がいつか書けるようになりますように。



ツチカワ


『ホテル・カリフォルニア』


ではありません。

『ホテル・カルフォリニア』です。
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開演して数十分、「これ綴りが違うじゃん!これじゃあ『ホテル・カルフォリニア』だよ」ってセリフが出てくるまで私も『ホテル・カリフォルニア』だと思っていました。

イーグルスの曲だそうですね。
開演前に DANCING QUEEN 、Sir Duke と一緒に流れていました。
聴いたことある人は多いかも。渋くてカッコイイ曲です。

それくらい、少々福士誠治から離れた状態での観劇スタートでした。

何なら千穐楽の時間も勘違いしていて、危うく劇場に来たらすべてが終わっていたところでした。



座長である福士誠治、開演すぐにオールバックで出てきます。かっこいい。胸元開いてます。かっこいい。

福士演じるヤクザサイドの物語が進み、ホテルの従業員サイドの物語が進み、交わったところからはほとんど出ずっぱりでした。


ホテル・カルフォリニア、ホテル・カリフォルニア をもじった漫画が原作なのですが。

私は楽日前日と楽日の二日観劇しましたが、原作の漫画を読んでいないぶん、一日目は物語についていけませんでした。結構ハチャメチャ。

二回目ともなればなんとなく物語の流れもセリフも覚えてきます。
そこでおぼえたのがコメディー勢の「間のとり方」への感動でした。

とくになだぎ武は私の中ではピカイチにツボで、「ナイス間オブザイヤー」的な大賞があってもなくても贈りたいです。

下ネタ、アドリブ、ゴリッッッゴリで(特に千穐楽は)引っ掻き回しながら舞台全体のコメディー感に色をつけていく感じ、絡む役者まで面白くしてしまうのは彼が芸人だからでしょうか。

くそう、だから芸人に憧れる。


なだぎ武に面白くされていたのは福士誠治も例外でなく、彼もまたアドリブに対して絶妙な間をとって返していたと思います。頭の回転が速いっていうのは羨ましい限り。

こういう即興バトルみたいなものはドラマや映画ではなかなか観られないので、やっぱり舞台映えするなあ、と思いますね。


二回観てなんとなく流れやセリフがわかってきたと申しました。
つまり、どこがきちんと台本通り言っているセリフで、どこがアドリブだったのかも二回目でやっとわかったわけです。

アドリブだと思っていたところが本来のセリフだったり、本来のセリフだと思っていたらアドリブだったり。

声の抜き方や、それこそ間なんかの取り方で、アドリブっぽく見せて笑いを取る演技力も、とっさの出来事に冷静な判断でセリフを話す瞬発力も、舞台に立つ役者にとって重要な力だと思いますし、福士誠治にはそんな力があるんだよなぁ、と実感しました。


『ホテル・カルフォリニア』、原作を知らないので最後のシーンがやはりスッキリしていないのですが…

原作もあんな感じなんでしょうかね。


フライヤーから照明から「極彩色!」といった印象でしたが、ちょっと唐十郎の『下谷町万年物語』を思い出しました。

とはいっても蜷川幸雄演出の『下谷町万年物語』と大堀光威演出の『ホテル・カルフォリニア』がダブっただけの気もしますが…

でもなんとなく訳の分からない毒々しさがアンダーグラウンドな印象でした。ダーク。



こういう原作ものの内容について語ろうとすると、舞台や映画ではなく原作の話になってしまうのであまり得意ではないのですが

今回は全く原作を知らずに臨んだので単純に福士誠治のかっこよさと色気を楽しめた舞台でした。

このエロさは引きずりそうです。



福士誠治は舞台で映える役者だと思っています。(塩顔味噌俳優のくせに)

本人も「劇場に来てください。演劇を楽しみましょう。」と言っていました。


私もそんな福士誠治をたくさんの人に観て頂きたいので、「福士誠治を観るためにお金を払ってでも劇場に行きたい」と思ってくれるようなファンが増える様

テレビの露出を熱く切望致します。

(大声)



ツチカワ



『うるう』


「四年」って大きいのかな?

新生児が幼稚園に入る四年。大学に入った人が卒業するまでの四年。コブクロが活動休止してから 奇跡 ツアーのファイナルを迎えるまでの四年。ある女子高生が大学に入って二年半で辞めるまでの四年。

すべて同じ質量を抱えた時間。

そんな「四年」がテーマのお芝居。

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森に住む38歳のヨイチは8歳の少年マジルと出会う。
奇遇にも2月29日の閏日生まれの二人。最初は「歳がこんなに違うんだぞ、友達にはなれない。帰れ」と追い返すも、何度も訪れるマジルと少しずつ仲良くなるヨイチ。秘密の畑にまで招待するほど仲良くなるも、ある理由でお別れをしなくてはならなくなる。それは、ヨイチは四年に一度しか歳をとらないということ。どんなに誰かを好きになっても、仲良くなっても、絶対に先にいなくなってしまう。何度も何度もお別れをしてきた。だからマジルとは仲良くなれない、と別れを告げる。
40年後同じ年齢になったヨイチとマジルは再び森の中で再会をする。


おおかたのあらすじです。舞台上にはチェロの徳澤青弦と小林賢太郎。基本は賢太郎さんの一人芝居で進んでいきます。

青弦さんに麦の被り物させたり、いかにもその場で頼んだようにチェロで『待ちぼうけ』弾かせたり。徹底的に裏方のイメージを観客に焼き付けさせますが、ここが最後への伏線になってきます。

森に迷い込んでくる少年マジルは終始賢太郎さんのパントマイムで表現されますが、これまた本当にいるみたいにやるんですね…

「いかにもマジックしてます!」みたいな顔でタネも仕掛けも丸わかりの手品をするくせに、しれっと当たり前のようにやるパントマイムやマジックは裏が全く見えない。それが当然であるかのようにやってのけてしまうから、賢太郎さんだなぁ…と思います。


いつも一つ足りない、一人余るヨイチに「自分も余りの一人だ」というマジル。
聞けば「30人31脚で余ったから先導して優勝に導いた」「マーチングのパート分けで余ったから先頭でバトンを持った」という。そこでヨイチは「それは余ったんじゃなくて選ばれたっていうんだ」と言うのですが、これ、あとからヨイチが好きになるコヨミさんという女性にヨイチが言われる言葉なんです。

「人と違うこと」はコンプレックスじゃない、個性だ、とヨイチもわかっているけれど、どれほどわかっていてもこの個性のせいで大切な人と別れ続けなければならなかったと思うと、居た堪れない……



劇中、「もう二度とここには来るんじゃないぞ」って台詞が何度も出てきます。

最初はひとり孤独に暮らすヨイチのもとにマジルが迷い込んだ時。仲良くなってきても意地っ張りなヨイチは「二度と来るな」と言うんですがここで「もう二度とここには来るな!!また明日!!」って台詞が一度出てきたのが印象的で。

言ってること逆じゃねーかwwwって笑いが起きるところなんです。ここ。
でもこれって究極の友情であり愛情じゃないかなって思います。

また明日。また明日も会いたい。また明日も会おうね。君がいる未来がそばにある。あ、ここでヨイチはマジルに心を許したんだ、ってわかる境目のシーンでした。


舞台はただの地面でありただの森の中なわけですが、出会いは玄関・リビング・ダイニング。そこから図書館で絵を見せてもらったりカウントマシーンを見せてもらったり。いつしか秘密の畑にまで招き入れる。ここはチェロの カノン が流れる幸せな場面なんです。

最後の48歳になった二人の再会のシーンでも流れていました。

あぁ、よかったね。幸せだね。って思うんです。思ったんです四年前は私も。

なぜか今日観たときは、カノンをバックに歌われる『待ちぼうけ』が切なさを醸してきて。

『待ちぼうけ』はマジルとの別れのシーンで切なく歌われていたから、 うるう の中では切なさの象徴として扱われているんだと思います。

だとしたら何が切ないんだろう。


うるう の再演を聞いたときまず、初演のときからヨイチとマジルは歳を取ったのかな?と考えました。

劇中にも「どれだけ好きになっても、みんないなくなる。両親もクレソン先生も、森で出会った少年も」って台詞があって。


40年後にせっかく同い年の友達になれても、当然マジルは追い抜いてまた先にいなくなってしまう。そんな未来が酷で、切ないカノンを聴きながら涙が出ました。

初演の時には、マジルの「カウントマシーンで友達の数を数えよう!」というくだりの伏線を受けて後ろのビジョンで「友達カウント」が0から1にカウントアップして終わったんですが、今年はなくなってました。

それも相まってより二人の友情の脆さが切なくあらわれていたような気がします。


そしてそのラストシーン、ずっと裏方でチェロを弾いていた青弦さんが立ち上がって賢太郎さんと目を合わせて終わるんです。
青弦さんは立ち上がっただけなのに、一瞬でそれが大人になったマジルだとわかる演出、四年ぶりに観ても鳥肌でした…



「ヨイチ」はずっとカタカナで表記されていたけれど、漢字で書くなら「四一」でも「余一」でも有り得そう。かけてるんだかかけてないんだか、わからないところも小林賢太郎ワールド。


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四年前、17歳のときと同じドクダミのくだりで笑って、「おもちください(二つの意味で)」「足らないったらない。たりたがり。たりがり。」の畳み掛けるような言葉遊びで舌を巻き、最後の48歳になるカウントビジョンで泣きました。

変わらないなぁ〜私。笑  なんて思いつつ

あのときは うるう をたいそう気に入って、何度も観たくて、DVDにならないかなぁ、と思っていたけれど、今は四年に一度の閏公演でいいかなぁなんて思います。

DVDを再生して何度も何度もお別れするより、四年に一度の二人の友情が永遠続いて欲しいな。



長いうえに要領を得ないブログで失礼しました。
なんと2000字超えです。ちょっとしたレポート。


私が初めて観て演劇の世界に引きずり込まれたきっかけの、大切な作品なのでしっかり残しておきたいと思いました。

興味ない方でもし読んでくれた方がいたならありがとうございました。



ツチカワ

三人吉三巴白浪

新春浅草歌舞伎。

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定式幕の下から水模様の床がチラッと見えるだけで胸が高鳴りました。そのくらいこの演目を楽しみにしていました。

初めて知ったのは演劇史の授業で、まだ市川猿之助亀治郎だった頃の新春浅草歌舞伎の映像を見た時でした。
七五調の気持ちのいい台詞に惚れました。

木下歌舞伎で現代アレンジされたこの演目を通し狂言で観ました。ストーリーが透明になったぶん、緻密な物語にも惚れました。


私が歌舞伎と出逢ったきっかけの『三人吉三巴白浪』を、初めて歌舞伎役者さんのお芝居で観劇しました。




「月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷てえ風も微酔に心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒へ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落し、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」という台詞で有名なお嬢吉三。
大好きな演目の大好きなキャラクターを、大好きな俳優さんが演じているのです。胸がいっぱい。


三人吉三を始めとするいわゆる「世話物」がメインの一部と、義経千本桜など武家の話が出てくる「時代物」がメインの二部。

一部は1回、二部は2回観ました。


どちらも、かっこいい役者さんが出て、綺麗な衣装を着て、舞台仕掛けも凝っていて、すごく楽しかったんです。

感覚としては、お芝居を観に行っているというよりも、コンサートに行っている気分。


今、私たちが「難しい」と感じるのは往々にして言葉遣いのせいだと思うけれど、言葉がわからなくても話がわからなくても楽しむポイントはたくさんありました。
話を知っていればなおのこと、ということです。

「役者見たさに観る」って意外と元来の観方に近いような気がするんですよね。
スーパー歌舞伎でまさに、役者も衣装も演出も、かなりビジュアル的な舞台でした。

私は歌舞伎って、間違いなく視覚の演劇でもあると思うわけです。


あとはひとつの演目を、一場面しかやらなかったり、一幕だけしかやらなかったりするから、話が飲み込めないまま進んでいっちゃうってことかなと思うんですよね。


木下歌舞伎では全ての場を少しずつカットしながら補綴して、通し狂言で観ました。5時間。

大川端の場はそれだけで有名なくらい楽しいシーンですが、全て話を知っていると当然その場にも意味を帯びてきます。




歌舞伎と出逢うきっかけになったスーパー歌舞伎、木下歌舞伎、そりゃあ賛否はあるけれど、ああいう新しい歌舞伎のスタイルをどんどん提案していってくれることを大いに期待したいと思います。


私が百年前の政府に手紙を書くなら「わざわざ歌舞伎の高尚化なんてしなくても写実派の演劇は勝手に隆盛していくからほっとけ」って書くと思います。
とはいえ、高尚化の試みがあったから今の演劇がある、と思うと枝分かれって難しいですね。


日本における演劇の中ではかなり年数のあるスタイルですし、その長い時間が「伝統芸能」というジャンルを作ったのだと思うけれど、固い箱に押し込めて外から眺めるだけでなくて、箱に近づいて、触って、覗き込んでみるのも案外おもしろいかもね。

本当の意味でこれから先も長く永く愛される、誇れる芸能でありますように。



ただ言わせていただきますと歌舞伎沼にハマると1回の出費がすごいのである程度のところで顧みてみてくださいね。

沼はオススメしません。



やっぱり、舞台は楽しい。(懲りてない)


ツチカワ