最初に貰ったポケモンばっかり使うからレベルが桁違いに高い
そんな小学生でした。
アチャモだけでジム突破してた。
小学校の頃(中学校の頃かな)、国語の授業で
2人組になって1人に図形や絵が描かれたプリントが渡され、その図形なり絵なりを「文章」でもう1人に伝え、もう1人がその文章から逆に図形を想像して描く。
というのをやりました。
うーん、これなら
- 「三角、丸、四角が縦に並んでいて、真ん中の丸には黒い矢印が刺さっている。」
- 「三角は水色の水玉柄で、下の四角は赤色。三角から手が生えて万歳してて、四角から足が生えてて直立している。」
ってな感じでしょうかね。
この文だけ読んだら、どんな図形が出来上がるのでしょうか。
これが結構難しいんですよね。
練りに練って文章を組んでみるんだけど、相手がその文から見出した図形は角度が違っていたり、位置が違っていたり、限りなく近い形だけれど大きさが違ったり…………
大筋とか輪郭は伝わっても細部まではどうしても伝えきれないんですよねぇ。
見たものを言葉だけで伝えようとするのは意外と難しいんだなぁ……
というのを10年近くぶりに実感している今日このごろでございます。
少し話がずれますけれども、先日坂東三津五郎さんの『踊りの愉しみ』という本を読みました。
歌舞伎の知識も舞踊の心得もありませんので感想は特に書きませんが、面白かった…
歌舞伎の知識も舞踊の心得もない私にも飲み込めるくらい、身近な喩えを使って、噛み砕いて説明してくれる。
もっと複雑な説明を付すこともできるだろうし、専門用語を使うこともできるはず。
それなのに膨大な文にならず、かといって言葉足らずにもならない。
「伝える力」に長けているなあ…と、本筋と関係ないところに感動してしまいました。
さて、ご存知私は多趣味ですから、ライブにも行くし、舞台も観に行くし、映画館にも美術館にも行きます。
(うるさくってごめんね)
しかしながら、見てきたものを人に伝えるというのはやはり難しいものなのであります。
どこそこのシーンで誰それがやっていたアドリブが盛り上がっただとか、MCでほんの一瞬やった仕草が可愛かっただとか、百歩譲って同じものを観ていた人ならば思い出せるかもしれません。
観ていない人は、その言葉からどうにか頭の中に映像を組み立てなければなりません。
舞台の写真は当然ながら撮ってはなりませんし、もし撮れたとしても私は写真家ではありません。絵心もないので絵も描けません。
だから人一倍こだわってこだわって言葉を選んで組み立てていこうとするのですが、こだわればこだわるほど文は膨れ上がり、とても飲み込むには大きすぎる文になってしまう。
でも、磨ける余地のある武器が言葉しかない。
このジレンマとうまく伝える力のなさに悔しい思いをする日々なんですが
「言葉だけで伝える」ってことは、ちょうど「桁違いに高いレベルのほのおタイプのポケモン一体だけでジムリーダー突破」くらいの危うさと脆さがありますよね。
まぁ、だから雑誌には写真が載っているし、児童書には挿絵がついているんだけど。
「美しい言葉」「愛のある言葉」を紡いでいきたいと漠然と思っていましたが、
「相手に伝わるような過不足のない言葉」も使えるようにならなくてはなぁ。
なーんてことを日々自省しつつ、来週は團菊祭の感想も書けたらいいなぁ、なーーんて。
(書けよ)
頑張って書いてますのでね、優しくご指導ご鞭撻の程を(笑)
仕方ない。
結局みずタイプやかくとう、ゴーストの強化も余儀なくされた。
そんな小学生でした。
ツチカワ