そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

入学しました

 

2日間だけ。

 

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整理番号の札可愛くないですか

 

 

歌舞伎女子大学 という団体の、授業を受けてきました。

 

昨年の『妹背山婦女庭訓に関する考察』再演、

そして新作『菅原伝授手習鑑に関する考察』

 

 

どちらも、『妹背山婦女庭訓』は吉野川、『菅原伝授手習鑑』は寺子屋しか観たことのない初心者です。

 

吉野川に至ってはバッサリ割愛されてしまいました。(笑)

 

坂東新悟さんを好きになってから、「かぶじょ」の存在を知ったのですが、私が知った頃にはもう上演は終わっていました。

 

今回の公演を知ったのは、新悟さんのブログです。

そこで見たキャストに熊川ふみさんがいらっしゃいました。

 

私が初めて観た木ノ下歌舞伎の三人吉三に一重役で出ていて、それをきっかけに好きになったのが熊川ふみさんです。

「ふみさんが出るならば行ってみたい!」と、推しの役者を差し置いてかぶじょに引き込んだのは熊川ふみさんだったのです。

 

もちろん、現代劇俳優に混じっての歌舞伎役者、激推し俳優の新悟さんも楽しみにしていましたよ。

 

 

  • 妹背山婦女庭訓に関する考察

 

さっきも言った通り、私はこのお話に関しては吉野川しか観たことがありません。

お芝居の中では、吉野川蘇我入鹿藤原鎌足の争う世界の中の、一つのスピンオフのような扱いだそう。

吉野川を観たときのイヤホンガイドでも「蘇我入鹿」の話をしていました。

 

妹背山婦女庭訓自体は蘇我氏をやっつけるお話で、そのためのアイテム集めのお話。

でも、その悪役のために生まれてしまった悲恋。お三輪ちゃんの悲劇。

 

いじめるシーンも苦しかったのだけど、切なかったのが最後。

おだまきを持って回るところ、「キュンキュン」というよりは何となく締め付けられる気持ちになって。「最後に顔が見たかったなあ」って台詞で終わるんだけど、その一言と暗転の中でじわじわ涙が出てきて止まらなくなりました。

 

物語が持つあたたかさと、あたたかみがもたらす切なさ。

「キュンキュン」って、必ずしもトキメキだけじゃないんだなあ。少なくとも私はそう思いました。

 

新悟さんは、お三輪ちゃん役ということで女方さんだったのだけど、鬘もお化粧も衣装も無し。

素顔に着流しでのお芝居だったのに、そこにいるのは薄幸の美女。表情や声帯も含めて身体の動きのみで醸し出す性差。

私はこの人のお芝居を初めて好きだと思ったきっかけは声だったし、やっぱり素敵な声をしている、と改めて思いました。

大好きな素敵な役者さんだと思うので、それこそ本興行でもお三輪をやってほしいし、それ以外にもたくさん大きなお役をやるようになったら良いなあ。観たいなあ。

 

坂東新悟さんの女方がやっぱり好きなんです。

 

 

 

  • 菅原伝授手習鑑に関する考察

 

妹背山に比べて、今の私の琴線にゴリゴリ触れてくる作品でした。単刀直入に言うと好き。

 

こちらも寺子屋以外は未見。

寺子屋は観るたびに鬱になるから嫌だなあ、と思っていました。

正直、この菅原伝授手習鑑に関する考察もずっと泣きっぱなしでしたけどね。

 

何かを観た後に他の人の感想を聞くと自分なりの感想が見えてくる、ってことあるじゃないですか。

 

このお芝居がまさにそうで。

三つ子の兄弟、とりわけ梅王丸に焦点を当てた本作品だけれど、結果的に私の中では桜丸松王丸の人間らしさとか、悲劇なんかが浮き彫りになった感じがします。

 

桜丸の切腹の場面、冒頭と中盤とで2回あったけど、前後で点対称になってたんですね。

中盤での切腹の場面は、八重の現代口語と桜丸の歌舞伎調の掛け合いが絶妙なタイミングですごく泣けた。

 

ずっとその掛け合いをしていたのに急に桜丸が現代口語で八重を諭すところがピークでした。

 

ツチカワ大好き木ノ下歌舞伎でも、この歌舞伎調×現代口語コントラストで「身分差」「感情の高ぶり」を表現しているものはあったけど、かぶじょもまたドストライクに組み合わせてくれたなあ…と泣きました。

 

桜丸の切腹に始まり、主人公の男の子の「歌舞伎の、温かい、に逃げないと現実を生きられない」と言う台詞に泣き、寺子屋に泣き、幕切れで泣くという。

 

寺子屋は唯一現行歌舞伎で観たことのある部分。

この人を見たかった!熊川ふみさんの武部源蔵!

 

この人の体の使い方は一体なんなんだ(笑)と思うようなアグレッシブな動きをする武部源蔵(笑)

 

様式的な美で固められた現行歌舞伎でさえ涙無しには観られない「寺子屋」。ほとんど現代劇にアレンジされていたために実に悲劇。

寺入り前夜の松王、千代、小太郎親子のひとときをやられたらずるい。泣くしかない。

ちなみに、序盤から、千代をやられていた役者さんがお上手だなあ〜と思いながら観ていました。

 

幕切れ。

ダメになってしまった賀の祝。うめちゃん、本当はやりたかったんじゃないのかな〜、ってみんなでお祝いする場面。あたたかくて、ほっこりするんだけどやっぱりなんだか切なくて。

 

ちょっとだけ寺子屋の話に戻るけど、寺子屋で詠まれる「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌。

最後に嬉しくて梅王丸がジャンプするところ、昨日は気が付かなかったんだけど、この歌を回収してるのね。(ああ!と思ったんだけど、新悟さんがアフタートークで嬉しそうに解説していました)

 

菅原伝授手習鑑の中でも最も有名であろう、しかも今年は3回もかかっている、寺子屋

これだけの世界の中に、ここまでの梅王丸や桜丸の想いがしっかり乗っていたんだ。と気付かされる。

単なる「身代わり首の鬱演目」と思っていたけれど、いろんな家族のいろんな想いが交錯した濃密な一幕だったんだなあ。

 

そうだ、ふみさんの八重と新悟さんの桜丸のイチャコラはとても眼に嬉しく見させていただきました。可愛い。最高。

(それだけに後々悲劇が効いてくるんですけどね…歌舞伎のそういうとこ…)

 

 

 

 

菅原伝授手習鑑妹背山婦女庭訓のイジメの場面にも言えるんだけど、あんな重くてエグい話を様式美を使わないで写実的に表現したら相当ショッキングになるよなあ。

 

生々しい中身を「様式」で包むと、悲しみは美しさを伴い始める。

それでも涙が出るようなお話なのに、様式や型を取り払って少しずつ生々しさが露見して現代劇寄りにすると、引くほど重く響くお芝居になるんだなあ、と感じました。

 

歌舞伎が、こういうドラマ性の高いストーリーでも様式美を必要とするのには理由があるのかしらん。と勝手にこれはツチカワの考察。

 

 

 

  • 歌舞伎役者さん

 

歌舞伎女子大学、唯一出られている歌舞伎役者さん、坂東新悟さん

この人を気になり始めたきっかけはお芝居ではありませんでした。

 

もちろんきっかけになったお芝居もあって、4月の明治座で声に惚れたのが割と明確なきっかけだったんです。

 

最初に「坂東新悟」を認識したのはブログでした。そこから確か、いまじナイトやトークショーの動画を観たりもして。

なんだか面白いことを考えている変な子がいるな〜、と思ったのが最初でした。

 

なんだか面白おかしくブログに描かれた歌舞伎の演目。妄想のネタにされる演目。

元ネタを知らない私は気になって調べたことも何度もあります。

観たことのある演目だったりすると、「そんな見方をしちゃうのかww」と笑わせられたりもしました。

 

今日のアフタートークでいらしたノンノ編集長小林さんから新悟さんへの質問。

「なぜ、この企画に参加しようと思ったのか」

 

新悟さんは、

「子どもの頃から新作歌舞伎に携わることが多かった。父(彌十郎さん)も若い頃は猿翁さんの一座にいたり、今では平成中村座コクーンに出させて頂いている。歌舞伎をわかり易く、という、楽しく伝えることが好きなんです。」

と仰っていた。(ごめんなさいニュアンスです)

 

「この人の頭の中はどうなってるんだろう…」

と思うような、私が大好きなこの妄想力はそういうところからも来ているのかなあ、なんて。

 

 

私が初めて新悟さんのブログを観たときに「面白いなあ」「好きだ」と思ったように、近いか遠いかわからない未来、新悟さんが作るとびきり面白い楽しい歌舞伎を観た人が「面白いなあ」「好きだ」と歌舞伎を好きになる世界が来ますように。と願ってやまない。

 

 

 

推しへの愛重め、敬称は「さん」でお送りしました。

 

 

ツチカワ

奇跡ナメんじゃないよー!

タイトルにつられて来ましたか?

違いますか。そうですか。

 

タイトルにつられて来てみたらなんつー鬱記事。

 

 

気が滅入ってきらすぐにページを閉じてハーブの香りでも吸い込んでお気に入りの音楽を聴いて精神状態を律してくださいね。

 

 

 

さて

 

また一ヶ月放置していたらはてなブログから更新を督促されてしまった。

 

月イチ更新が常になっている。どこの大和屋かと。

 

 

 

記事を書いていなかったけれどこの一ヶ月はたくさんお芝居を観たし、コブクロのライブにも行きました。

 

五年ぶりに訪れる武道館。

ちょうど去年の今頃大学を辞めてから一年ぶりに九段下の街を歩いたり。

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ライブ参加組が出払った後の煌々と明るむ武道館

 

 

国立劇場で歌舞伎三大名作のひとつ仮名手本忠臣蔵の通し狂言のスタートダッシュを切ったり、おめでたい襲名興行を観に行ったり、推しの活躍を観に入間、名古屋、仙台を飛び回ったり。

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今日は、これまたちょうど一年前に上演されたスーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』を映画にしたシネマ歌舞伎も観に行きました。

 

 

 

楽しかった!!!!!

 

 

 

そのどれもが本当に楽しかった。

 

 

ただ

 

十月が始まってから本日に至るまでに、坂東巳之助から離れたくなったり、コブクロを嫌いになりそうになったりもしたんだけれど

 

みっくんが何か悪いことをしたわけでもない

コブクロに恨みがあるわけでもない

 

その対象はひたすらに人を楽しませんと働いているのに、直接的な係累のない外部や周囲、環境のせいで大好きなものを嫌うことほど悲しいものは無いと。

 

気づかせてくれたのは名古屋顔見世の『品川心中』でした。(笑)

ほんっっっっっっとうに面白くて可愛くて何も考えずに笑って、面白いものは素直に楽しめばいいんだなあって当たり前のことを改めて実感しました。

 

 

面白いものを素直に楽しむ

私にとってそれが出来るのは歌舞伎くらいで。

 

音楽は「私も続けたかったなあ」

演劇は「私もやりたかったなあ」

歌舞伎だったら、私がどれだけ努力をしようと女である以上やれるわけがないのです。

 

こんなに無条件に楽しめるエンターテインメントがあったのか!と教えてくれたのは他でもない、昨年の今頃出逢った『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』。

 

 

実際には木ノ下歌舞伎の三人吉三、歌舞伎NEXTの阿弖流為ときてトドメに『ワンピース』だったわけですが

 

頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、、、

もう私頑張りたくなーーい!!と突発的に大学を辞めて、なんとなく行き場がなくなった私を「こんな面白い世界があるよ」と匿ってくれたのがワンピース歌舞伎でした。

 

初演、新橋演舞場で初めて観た10月30日。

熱くてドキドキしてクラクラするような舞台をまだ覚えていますが、楽しいニューカマーの場面で一瞬ドロっとした気持ちになったことも覚えています。

 

 

あれからやっぱり文を書く仕事を諦めきれずに、修業しようと新たな道に進むことを決めたものの、この悪文。

 

元来の作文嫌いに加えてこのとめどない劣等感。

結局観たものの感想もまともに書けないまま一ヶ月放置した挙句にこの弱音である。

 

 

 

 

一年ぶりに観たワンピース歌舞伎、当時は私を歌舞伎の世界で匿ってくれるための入口だったものが、今日は背中を押してくれる起爆剤だったように感じたのです。

 

こんなに楽しいものがあるよ。

あなたの「楽しい」とあなたの「面白い」を繋ぎたい。

 

そんな想いも強く踏み出しても

 

募る劣等感と現実の壁には太刀打ちできないのです。

 

 

 

奇跡、ナメんじゃ、ないよー!!

 

 

真夏の夜に観た夢

お久しぶりです。

 

 

一か月更新しないでいたら、はてなブログから督促されました。

私がみっくんだったら三万回は退会していたところです。

 

 

 

 

この一か月、私は「納涼歌舞伎」という名の夢に浮かされていました。

 

千穐楽にはこの有様だよ

 

 

何度も幕見に通い、通しで一等席をキメ、お写真は爆買いという財布への乱暴狼藉…

「この狂気の沙汰はぜひ記しておかねばならぬぅ!」と思いつつ、元来の作文嫌いに加えて”素敵な文章”への妬み嫉み劣等感から、ブログのアプリを開く指が重くなっていました。(たいへんな現代っ子感)

 

 

 

九月秀山祭も中日を過ぎたころ、なんとなく納涼の筋書を読んでいたら

そもそも事の発端は「藩の公金をこんなことに使ってはいけない」という酒井の再三の

訴えだった。そして酒井は信念を貫き通して良い結果に結び付ける。政治家の公金使徒が問題になる昨今、これは恐らく想定外の見事な「攻め」になったのではないだろうか。

 

 

 

廓噺山名屋浦里』について書かれた文。

私が見たものとは違う角度の見解だったから、なんだかおもしろかった。

「なるほど、そっちか」と。

 

納涼歌舞伎の中では唯一、一度しか観なかった演目。

私が観た廓噺山名屋浦里』を、私のフィルターを通して記録しておこうと思います。

 

 

 

  • 見初めの場

超が付くほど真面目一徹な酒井宗十郎

花魁の顔も見ようとしなければ声も入ってこない。目に入っているのは目の前に浮かぶ禿の扇子だけ、という場面。

まないた帯も打掛も着けていない浦里と、その浦里が有名な花魁とは露知らず…な酒井の出会いは、もはや最初から遊女とお客のそれではなかったのかもしれないなぁ。

 

見初めたのは、浦里のほうだったのかも。

 

 

 

  • ヒーロー!

留守居役達が例によって「酒井に恥をかかせてやろう」とたくらみ“江戸の妻”と称して馴染みの遊女を寄合に連れてくること!と約束をしたまさに当日。

酒井が頼み込んだのは先だっての花魁・浦里。主人の山名屋平兵衛には断られてしまうのですが、様子を聞いていた浦里は承諾します。

しかし当日、なかなか姿を現さない浦里。周りはどんどん酒井を馬鹿にし始めます。(これがまたムカつくんだ~~~)

そこへたいそうな花魁道中を連れて華やかな拵えで浦里が現れます。

そりゃあ周りもびっくり。顔に「ぎゃふん」と書いてあるようなリアクションには、なんだか荒事を観て悪者が懲らしめられているような爽快感すら覚えました。

 

凛としたその姿はまさに酒井のヒーロー。に、見えました。

 

 

 

  • 忘八

見どころの、浦里がお国言葉で感情を吐露する場面。

そこにいるのは、純粋で、素朴で、ちょっと頑固な普通の女の子で。おおきな髪飾りや派手な着物を着た花魁ではありませんでした。

 

純朴な浦里と実直な酒井の、恋と呼ぶにはあまりに小さくてささやかな絆

 

二人が部屋を出て、牛太郎の友蔵と平兵衛だけが残る場面。ぽろっと関西弁を漏らしてしまう平兵衛と、慌てる友蔵に対して平兵衛が言う「かまへん」。

実は平兵衛自身も大阪から出てきて、「贅六!」と馬鹿にされながらも必死で働いてきた人だったのです。

 

酒井が山名屋主人の平兵衛のもとを訪ねたとき、平兵衛が「この商売は忘八と呼ばれている。人間として大切なことをすべて亡くした者だ。」というようなことを言う台詞があります。

きっと、「大切なことを亡くした」のではなく、国の言葉とともに「押し殺した」のだろうな。

 

江戸の言葉で隠して、廓言葉で蓋をして、決して自分が見えないようにしていないと生きていけない世界だったんだろう。江戸は。

 

地方からやってきて融通もきかず馴染めない馬鹿真面目な男と、すべてを押し殺して身を粉にして働いてきた男、小さい時分から家のために知らない都会に出てきてどんな辛いことにも耐えながら一番に上り詰めた花魁。

 

三人の小さくてもろくて少し暖かい、形のない絆が、どうかこの混沌とした江戸の中でずっと続いてほしい、と思わざるをえないようなお国言葉の場面でした。

 

 

そして、きっと今も各地からいろんな人が、いろんなものを求めて集まっているであろう東京。より複雑になった今この時代に、このお芝居から小さくて優しいあかりを見ることができて幸せだったと思うのでした。

 

「浦里…!」「おにいさま」

と言って幕になった、その後のことは、知っても知らなくてもいいのかもしれないね。

 

 

 

 

本当に、扇雀さんの関西弁が出たあたりでピークでした。

これはずっと言う。

 

廓噺山名屋浦里』は、前楽に観たのでこれっきり一度しか観ていないのですが、この納涼の夢醒めにちょうどいいような柔らかいお芝居でした。

 

といいながら千穐楽の日に赤姫見たさに『嫗山姥』幕見したんですけどね。

こちらのお話はまたの機会に。

 

 

 

扇雀さんと新悟さんにハマり込んで貢ぎ込んだ夏でした。嗚呼。

 

 

ツチカワ

プレミアム

滞るスモッグに名前も知らない洋楽。

客電が落ちる瞬間の非現実空間を久しぶりに味わいました。

 

ツチノコ下半分こと のっこ さんのお陰様にて、ガーナプレゼンツのコブクロ プレミアムアコースティックライブに行ってきました。

 

 

 

1曲目の ストリートのテーマ が一番涙腺やられたのは秘密の話。

私は意外と気が小さいからね。気が小さいことを見破られてしまうといいエサになってしまうから。始めたばかりの職場で早くも化けの皮が剥がれてしまったところだったのだけど、明日からきっと、私の中に眠ってる怪物が目を覚ましてくれるはずです。

 

 

 

これは終始言ってくれてたんですけど、「ここに来てくれている人はたくさんチョコを買ってくれて、桁外れの運の良さで当てたんだよね」ってずっと言ってました。

ブログにも書いてくれていたけど、たくさんのファンが「行きたい!」と思いながらたくさんチョコを消費しては行けなかった人もいて。

私は有難い御縁で行かせていただけたけれど、喉から手が出るほど欲しかった豊洲ピットの席を手にできなかった人は山ほど居た、ということ、しっかりと念頭に置いてめいっぱい拍手してきました。

 

 

これはお芝居観るときもライブの時も心に留めていることなんですが、ステージ上にいるパフォーマーに向けて「感動した!」「すごく良かった!」を伝えるのって、私たちオーディエンスは拍手手拍子しかないんですよ。一番早くて確実なレスポンス。

だから、たとえ大きなドームの遠い席でも、周りの音にかき消されようとも、手が痒くなっても全力でいつも手を叩いています。

アンコールの One song from two hearts での、重力さえ感じるような強い手拍子が耳にこびりついて離れません。負けじと手を叩いて、届け!と。「今日は素敵なライブをありがとう!」と、手を叩きました。

 

 

 

MC

黒田さん、「もう俺100曲くらい歌った気分」

小渕さん、「黒田の曲1曲しかないやん!!!」

小渕さん「100曲にしたら3曲くらいやで」

 

ライブ中、盛り上がり曲とバラード系が渾然となるんだけれど、その都度立ったり座ったりするお客さんを見て、いいタイミングでこう「見た感じあまり若くない人多いから〜(笑)」とか「なんやなんや責められてるみたいで怖いわ(笑)」なんてふざけてみたりしながら着席を促すのがすごく紳士だなあって。

このままこれずっと立つのかな…って思ったあたりでこんなふうに笑いを交えながら座らせてくれて、こういうところが好きだな〜、と改めて思ったんだけれど、言ったらきっと「いや俺ほんま優しいねん今知ったん?」とか言いそうなあたりもやっぱり好き。

 

小渕さんの発案で「黒田くんに「いいねお疲れ様でした!」って言おう!」となり、会場一体となっての感謝祭。

毎日毎日何万もの「いいね」、本当にお疲れ様です。目を閉じてもインスタの いいね のハートが目に浮かぶという立派なインスタ廃っぷりでした。

黒田さんのインスタが必要以上に気になっちゃう小渕さんでした。

 

 

かくいう小渕さんも布袋さんのpostに載りまくる載りまくる。

布袋さんのインスタをフォローしてる黒田さんはその投稿を見て何を思うの????と散々憶測(という名の妄想)をしていましたが、大阪のレポも加味して考えると、この執拗なまでの布袋さんイジリがその答えを物語っている気がします。

 

18年間コブクロを社長として支えてきてくれた坂田美之助氏、なんと会長になられたそうで(専務が社長になったそうです)。その就任式が大阪でのガーナライブの翌日にあったそう。

移動中の車内、爆睡する黒田さん。そして一度電話をかけるとその後5回は連続で電話をかけてくる鬼電の申し子、小渕健太郎。大阪で黒田さんがぶつくさ言っていたようですが、なんとその鬼電が今度は就任式を担当された方(名前をど忘れ)にも炸裂。

黒田さん「お前、就任式のすべてを運営してる人なんだから忙しいんやぞ!?」と小渕さんを座らせて説教(この時ギターを持っていた小渕さんは「スナフキンみたい」と)。

お手紙を書きたい、プレゼントを渡すタイミング、等等の相談を何度も電話したそう。

結局19時からの就任式のギリギリまでお手紙の清書やら準備やらをしていた小渕さんは、ネクタイが曲がったままで出席。ミノスケ現会長の奥様に指摘され直されたそうです。

小渕さん「やりたいことと出来ることがいっつも合わない。やりたいことはいっぱいあるのに、時間が足りない。僕が2人必要です。」

2人居るんじゃない?黒田さんがずっと言ってるじゃないですか。

 

あとは、サインについて。

コブクロのサインは上に大きめに二人の絵があって、下に筆記体みたいに「Kentaro Kobuchi」「Shunsuke Kuroda」って書いてある。

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本当は最初は黒田さんは漢字で縦に「黒田俊介」と書いていたのが、「合わないから」と小渕さんに押し切られ結局今の形になったと。

「お前が場所取りすぎやねん、7割使ってる!」と不服を申し立てる黒田さん。「「Kentaro」の最後の一画でぐいーっとネックみたいなの書いてるけど、それが邪魔!」「俺も最後のところにマイクとか書いたろかな」「陣地争いや!」

最終的に小渕さん曰く「イラスト部分がカレー、自分のサインがご飯、黒田のサインは福神漬け。福神漬けも無いと彩r…」黒田さん「いや二人のサインがご飯でええやん!」

ごもっとも。

 

 

風見鶏 終わりのMC。

小渕さん「黒田の声が好きで黒田の声を届けたくて曲を書いてきた。こういうアコースティックのライブは声がよく届けられるからすごく楽しい。風見鶏すごく良かった!」というようなことを仰ってました。

風見鶏は2人だけのアカペラがあったんですが、風見鶏に限らず、今日は特に「あぁそうか小渕さんが歌を作り始めたのは黒田さんのためなんだよな」ってすごく思いました。なんでだろう、アコースティックだったことが関係しているのかな。

黒田さんの声が届くように黒田さんの魅力が一番活きるような歌を作って歌っている、きっとずっと変わらないコブクロがそこにはいました。

 

黒田さんにお説教されてる小渕さんもいい顔で笑ってたなあ。

 

 

 

君色 Diary 風見鶏

アルバム『5296』からの曲がやや多め。

君色 の「大型トラックに揺れるたび」の黒田さんの歌い方が色っぽい…8年前の歌い方や声も力強くて好きだけれど、加齢と比例して増してくる色気は意識して出せるものでもないからね。「好きだけじゃダメなこと」の小渕さんファルセットになってたね。

 

君色 Diary あたりは「彼」の用法でゼミ発表の際お世話になったので感慨深いというか、39歳の彼らから発される「前の彼」は破壊力強い。

 

風見鶏、進研ゼミのCMソングだったこともあって応援ソングのイメージが濃いけれど、MCにもあった通りベストアルバムを出した頃のコブクロをそのまま歌った歌

ラブソングも応援ソングもボーダレスだなぁ……なんて思ったけれど、コブクロをそのまま歌った歌が愛を象徴したり、結果として聴く人の背中を押すことになったとしたなら、それがコブクロの素敵なところじゃない?

 

こうやって、聴く人の心に生活に添うようにして存在している歌だから、無責任に泣いてスッキリ!というのができなかった。

 

Rising のCメロの歌詞も、未来 を聴き込んでいた頃の私の気持ちも、誰のものでもない私の責任においての涙。自分の涙。

普段よく観るお芝居で、登場人物に感情移入して無責任に泣くのとは少し勝手が違いました。

 去年の奇跡ツアー京セラ公演以降ワンピース歌舞伎を経て、涙腺のタガがぶっ壊れた、と言ったけれど、未来 であれだけ泣いたのはきっとある程度俯瞰して自分の耳で吸収できたからかな、と思います。

 

 

なんて言いつつファンって生き物はことごとく身勝手なもんで、コブクロがどんな道を歩いてきてどんな気持ちを携えて生きているのかなんて当人しか知ることはないのに、勝手に推し量って感情移入して泣いて。

無責任で身勝手な涙だとわかっていながらも、それでも、彼らの語る言葉から推測される彼らの歩いてきた道ごと愛しているから泣けてしまうのです。

 

メジャーデビューする前の最後のライブの映像を観せていただいたことがあります。

ANSWER YELL を歌っていました。

涙を浮かべながらも強い表情でコブクロを送り出す当時のファンの方の顔も忘れられません。

 

見たことのない部分も含めたコブクロの18年間、およびそのファンまで、愛しているし愛したいと思うのです。

 

 

 

今回、私はコブクロからやんわりお説教されるつもりで出掛けました。ところがどっこい、「別にいいんじゃない楽しんじゃえば」と肩透かしを食らったような気持ちです。

 

プレミアムだったからでしょうか。

 

来たる TIMELESS WORLD ツアー では少し厳しめに諭してもらおうと思います。

 

 

 

ツチカワ

 

 

ぴーえす

tOKi meki 黒田さんのSE押しまくる少年のような笑顔と「この恋が走り抜ける〜」のエロさのギャップ

初めての歌舞伎夜話に

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行ってきました。

 

 

坂東新悟さん!

 

初めての歌舞伎夜話、チケットがどのペースで売れるのかもわからないのでとりあえず「たぶんこの日休みだと思う!そんな気がする!」ってだけでチケットを確保。

 

行ってきたってことはバッチリ休みでした。これ私呼ばれてたんじゃないかな。

 

会場着いたらなんか質問の紙とかある。しかし急に言われてもなにも面白いこと思いつかないのがツチカワクオリティ。

 

結局「過去にされたお役の中で印象に残っている、また気に入っているものはありますか」と無難なことを書いたらまさかの夜話本編で話したことと内容かぶり。

そのうえ次の質問ともかぶるとかいうクソっぷりです。

 

質問コーナーはありそうだと思ってたけどね(じゃあなんで事前に考えておかないんだ)

 

いまなら色々出てくる。涙もろいですか、とか、最近涙したことはなんですか、とか。(既視感)

 

 

いよいよ新悟さん登場ですが、これ私だけじゃないと信じたいんですけど、っていうか確信してるんだけど、

「薄っす。」と思った。

 

言うて鑑賞教室でもその薄さは目の当たりにしてたけど、より近くで見るとより薄い。洋服だったからかな…

 

 

 登場して戸部さんの第一声は「身長は何センチですか」でした。

新悟「178センチです。」(←ここ「ひゃくななじゅうはちせんち」って言い方がクソ可愛でした)

 

 

海外公演のお話

ヨーロッパ公演では現地の言葉で(!)口上。

「それは新悟さんもやられたんですよね」と戸部さん。察する新悟氏。

スペイン語の方なら…」と口上を披露してくださいました。

「フランス語の方が覚えてそうなのに…スペイン語なんですね」と言われ、「スペイン語圏の公演の方がね、後だったんです。」

 

プライベートでもよくヨーロッパに行くという彌十郎さん。口上もさぞ流暢なのでは、と聞かれて、新悟ちゃん曰く「の割にしょっちゅう止まってた。僕は全部ちゃんと言えたと思う。一応まだ25歳なので」

 

「男性が女性の役を演じる」女方って文化はやっぱり珍しいらしく、彌十郎さんも拵えしてるのに女方の新悟ちゃんのところにすごく興味を持たれたそう。

 

 

歌舞伎を「歌舞伎」と知って観に来ている方が多かったフランスに対し、歌舞伎に対してそれほど先入観もないまま観て盛り上がった、というマドリッド

フラメンコを観て盛り上がる、というのに近い感じ。

 

 

公演後は彌十郎さんだけ向こうに残って(スポンサー回りという名目で)山歩き。

 

一緒に行こうよ、とは言われないの?って質問に「昔は言われたこともあったけれど、それこそ学生時代は学校があるし、稽古はあるし」「父くらいの歳になれば休暇も楽しめるのかもしれないけど」「そうこうしてたら誘われなくなりましたw」

「スイスの話は誰にしているの?」に「家族には話してないと思います(笑)」

 

 

阿弖流為について

こんなに楽しくていいのか、ってくらい楽しかったそう。

漫画みたいなアニメみたいな感じだったと。

 

勘九郎さんや七之助さん、染五郎さんはたまにギャグっぽいシーンもあるけど阿毛斗はそんなことやるキャラじゃない。

そんな中始まるシャケパス(という名の爆弾)。

 

シャケが飛んできたときにどんなノリで対応するのが正解なのか、役を捨てていいものか、阿毛斗のままでいた方がいいのか、と本気で悩み自問自答を繰り返し、いのうえさんに相談(「阿毛斗のままで」ということになったそうです)。超真面目です。

 

大阪公演で一度、新感線版の阿毛斗の「カーメカメカメカメ」をリスペクトして「シャーケシャケシャケシャケ」をやった。身内の方がウケてる。

オチがないのは嫌だなぁ、ということで「このサーモン所が目に入らぬか!」ややウケ。

 

カーメカメカメカメの話はパンフレットにも書いてたけど、やったんだね大阪では(笑)

こういう新悟ちゃんの地味なダジャレ嫌いじゃないです。(好き)

 

 

変な役?

女方ってそんなに変な役ってないじゃないですか。いや、僕のイメージなのかあまり来ないんです。」「でも求められたらどこまでもやります。」と。

 

 

巳之助さんは別格です!と言ってた。

「シャケでもキツかったのに…毎日違うこと日替わりなんて…」

 

カイワレ感黒田さんかよ〜と思ったのだけど、「素顔で何かをするのが苦手」って小林賢太郎さんもよく言ってるなあ。

小林賢太郎として何かをするのが得意じゃない、役としてならできる。ってなんだか聞いたことあるなあ〜、と。

 

でもブログを見たり妄想歌舞伎(笑)の話を聞いたりする限りだと、新悟ちゃんの脳内はすごい壮大だなぁ、と思う。演出家気質なのかな??

 

 

一縷の望みをかけた阿漕

変な役、から、納涼歌舞伎の弥次喜多の話へ。

しかしどうやらまだオフレコのこともありつつww

 

話は巳之助さんへと。

 

本人いないところで巳之助さんの話ししすぎかよ、だし、新悟ちゃんと仲の良い役者といえばみたいな感じで巳之助さん出してくるの何なの。デキる。(確信)

 

かぶき手帖、写真は役者さんが選ぶんだそうですね。これからそういう目で見ますね。阿漕の写真もそういう切ない気持ちで見ますね。

 

 

 

 

女方のハンデ

 

 

玉三郎さんに、最終的にはどちらかにしないといけないね」と言われて意識し始めた、じゃあ女方だろうなあ、と。

それまでも女方のお役をもらうことは割とあった。

 

女方をやるには背が高いけれど、立役をやるには線が細い。どちらにしてもハンデはあるし、逆に言えばそこから逃げるような姿勢で勤まるような甘いものでもない。だから生まれ持ったハンデをうまく克服していかなければならない。

 

それでも応援してくれたり背中を押してくれる先輩がたくさんいる。とおっしゃってました。

 

相手役と並んだり、何人も出る場面では多少気を使うそうですが、それ以外のところでは必要以上に小さくなろうとはしていないそうです。

 

 

 

お見送りって、え、そういう

 

まさにこの通りの状況なんですが、まさか一対一でコミュニケーションを取れる時間があるなんて思ってなくて、

「あぁどうしよう 〇〇行きます!みたいな予定は納涼でしょ、金山顔見世でしょ、かぶじょも行くつもりだし…でもこれ言ったところで別にだし…」

自問自答を繰り返したあげく最終的に口から出たのは

「いまじナイト大好きですまたやってください!」 

 

一日経って思ったのはこれ「みっくんが好きです!」って言ったみたいな感じと取られたらどうしよう(考えすぎ)(好きだけどさ)

 

いやもう握手して頂いたけどああああ好きですって思った…手が大きかった…知ってたけど…(そして冒頭のツイートへ)

 

 

 

 

いやぁ…初めて行ったけど歌舞伎夜話…楽しかった…

人見知り感溢れるジワジワトーク(笑)。

 

みっくんがトークショーで「僕と楽屋同じだと変なことする(言う)んですよ」って言ってたけど、本当に巳之助兄さんと変なことするの楽しいんだろうなあ、と思ってしまった。(笑)

 

死ぬまでには一度いまじナイトを見たい…生で見て入り込めないオーラで死にたい…

 

 

ちょうど、演劇界バックナンバーに載っていた新悟ちゃんのページで「物静かな中に燃えるマグマがある」と書かれているのを読んだ後だったのだけれど、言い得て妙だなあ〜なんて思ったり。

 

決して流暢にペラペラ話すわけじゃないんけれど、出てくる言葉の節々にすごく熱いものがあって、凄く色んなことを考えている方なんだろうなあ。

 

新悟ちゃんの芝居論がすごく好きで、興味があるので真面目な方に振り切ったブログ、また楽しみにしてるよ!

 

初めて新悟ちゃんを観たのは阿弖流為だったけれど、お芝居を観て惹かれたのはついこの間の明治座で、確実にこの歌舞伎夜話で「坂東新悟」って役者をより好きになったと思います。

 

 

このザマ

 

本当に連呼してた。やりたくないお役、なんかのお話でも「いやこれを言っちゃうと…まだ25歳なんで(笑)」って。かわいい。

 

隼人さんも「よばなし」とか言ってたけど何なのこの役者自身がわかってない感じww

 

 

と同時にもっと歌舞伎を勉強したいなあ〜と思いましたね。

やりたいお役、いっぱいありすぎて!って言ってて、じゃあ5つ!と挙げてくれたものがほとんどわからなかった。

名前は聞いたことあるかな…っていうものが二つくらい。悔しかった。

 

うんちくばかり貯めて批評するための知識はいらないけれど、大好きな役者さんがこれをやったら素敵だなあ。意外だなあ。面白いなあ。って妄想もしたいし、大好きな役者さんのビジョンを共有できたら幸せだなあ、と思ったんです。

 

これはK-POPが好きな友人が言ってたんですが、「通訳を介さないで推しが言ってる言葉を飲み込みたいから韓国語を勉強している」と。この感覚がようやく少しわかった気がします。

 

 

これから徐々に、どんどん色んなお役をされていくだろうから、私もたくさん知識を増やしたいなあ!

 

 

恋かよ。

 

 

 

 

 

まあ、こうなるよね

 

 

 

 

ツチカワ

 

「レ」の音が出ない

 

Centuria - YouTube

 

いつも、大好きなコブクロのことや歌舞伎のこと、観に行った舞台のお話はしているけれど、好きだったもののことについて思い出したことを書きたいなあ、と思いました。

 

好きだったもの。

 

 

寝れなくて、なんとなく中学2年の頃のコンクールの映像を観ていました。中学時代全てをかけて夢中になっていたものは吹奏楽でした。

 

と言いましても、東京都の中でも底辺の区の、さらに下から数えたほうが早いような底辺中学校の、弱小吹奏楽部でした。

 

中学2年の頃のメンバーは、総出でも22人しかいませんでした。それも、3年生は居なかった。

いや、厳密に言えば3年生は居ました。居ましたが、途中で入部した人がほとんどでしたので、3年間吹奏楽の経験がある部員は誰もいなかったのです。

 

顧問の先生は、緊張すると指揮がやや速くなる先生でした。

ただでさえうちの学校はやたらテンポが速かったので、コンクールの音源は冒頭のお手本よりもだいぶ速いです。

 

 

私は3年間ホルンを担当しました。

私が入部した頃は既存の部員が10人にも満たない小さな部でした。もちろん、最低限の楽器しかおりませんので、ホルンは私が第一号。基礎的なことはチューバの先輩が教えてくれましたが、ほぼ手探りの練習がスタートしました。

 

まだ覚えています。この頃のコンクールで吹いた曲、中盤のゆったりしたパートはホルンの聴かせどころ。私はスラーのまま「レ」の音まで上がっていくのが苦手でした。

映像では、すべての「レ」が出ていました。当たり前といえば当たり前のことなのですが、なんせ弱小ですので(笑)

全ての音が出ただけでたいそうな感動なのです。

 

決してお世辞にも上手いとは言えない演奏。

結果は奨励賞でした。というか、2年出たコンクールで、2回とも奨励賞でした。

 

 

翌年、3年生の夏は同じコンクールの予選で落ちました。私の人生の最後のコンクールが、あのCENTURIAでした。

 

 

当時私はすでに演劇に興味があったので、区の連合音楽会での引退演奏をもって吹奏楽は辞めるつもりでした。

コンクールに出ない分、文化祭や連合音楽会に向けてより一層力を入れて練習しました。

 

インフルの脅威にさらされながら(本番前に私以外の家族が全員インフルにかかるというミラクルも起きました)、たどり着いた文化祭の演奏は、正直3年間の全ての演奏の中でも一番の出来だったと思います。

 

引退演奏の連合音楽会。

何人かがインフルに倒れ、リズム隊と1stトランペットが不在という圧倒的に音が足りない状況になりました。

文化祭で上手くいったと思っていた自分の演奏は、その中では上手く立ち回れなかった。周りの大きな音に隠れていただけだった。

 

たくさんの課題を残したままここで引退なんてできない、と、高校に進学した私は演劇はやらずに吹奏楽を続けることにしました。

 

 

結局、中学時代の弱小に輪をかけてぐるぐる巻きにしたような高校の弱小吹奏楽部。なおかつやる気がないときたもんで、夏のコンクール前に退部しました。

 

「こんな部活やってられません」と啖呵きって退部届を出したその日に顧問、部員一同から拍手で見送られて音楽室を出たことはずっと忘れないと思います。私は今嫌味を言っています。

 

 

そんな感じで吹奏楽と決別してからはずっと楽器なんて触っていないので、最後に吹いた曲は、たぶん、高1で出るはずだったコンクールの課題曲だったと思います。

 

曲名が出てこないけど。

 

 

小、中、高、と小さな吹奏楽部で細々と活動し、それでもやる気だけは必ず携えてやってきた大好きな吹奏楽、変な形で辞めることになってしまってからはそれまでやってきた吹奏楽の活動もコンプレックスになってしまって、だんだんと大きな声で言えなくなってきていました。

 

吹奏楽をやってたんだ!」と言っても、周りの経験者たちの話題についていけるほどの実績もなければ曲も知らない。

 

こうしてどんどん自分の人生という分母が大きくなって、限りなく吹奏楽をやっていた時間がゼロに近くなっていくのかなあ…ちょっと寂しいなあ…

 

と思ったので、ダラダラとこんなところに書き残してみました。

 

 

大好きだったものが今も大好きとは限らないけれど、大好きだったものを嫌いになってしまうことほど悲しいことはない気がする。

 

「レ」の音が出なかった私は誰よりもホルンが好きだっただろうし、吹奏楽が誇りだっただろうな、と、へたっぴーな演奏を観て思ったのでした。

 

 

 

ここまで読んだ人、いないでしょ。

いたら聞きたい。

 

 

私これから寝るべき?

 

 

ツチカワ

尊敬と憧憬

「憧れ・尊敬する人は?」

 

なんて、生きていれば幾度と目にする質問、文集の特集ページだったり、道徳の授業だったり、俗っぽいもので言えば昔流行った「前略プロフ」なんて。(わかる人は同年代です)

 

 

 

答えも結構個性的で、1人だけドン!と書いてある人もいれば、両親や家族のことが書いてあったり。

 

ちなみにですが私は絶対に「両親」だけは書かない人間です。

両親には感謝こそすれ尊敬の念は微塵も持っておりませんので。

 

 

私は結構たくさんの憧れの存在や尊敬する人があるタイプです。その対象は幅広く芸能人から恩師まで。

 

 

それでもって尊敬する人と憧れの人は別の人だったりもします。

憧れの人は尊敬する人でもあったりはするけれど、尊敬する人が必ずしも憧れかと言われたら少し違う。

 

 

お笑いコンビ「ラーメンズ」の小林賢太郎中学時代の国語の先生高校のとある同級生や、大学時代のとある同級生。彼らは憧れの人にあたります。

 

対して歌舞伎役者 坂東巳之助や、コブクロ 小渕健太郎なんかは私の尊敬する人です。

すごいね、坂東巳之助小渕健太郎の字面が並ぶなんて(笑)

 

 

 

 

憧れと尊敬って違うの?

 

あこが・れる【憧れる/▽憬れる】
[動ラ下一][文]あこが・る[ラ下二]《「あくがる」の音変化》
理想とする物事や人物に強く心が引かれる。思い焦がれる。「名声に―・れる」「都会生活に―・れる」
気をもむ。気が気でなくなる。
「此方 (こちら) は地を離て沖 (あが) る事が出来ず、只徒らに―・れて両手を延ばすのみ」〈二葉亭・めぐりあひ〉

 

そん‐けい【尊敬】
[名](スル)
その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。「互いに―の念を抱く」「―する人物」
文法で、聞き手や話題の主、また、その動作・状態などを高めて待遇する言い方。→尊敬語

そんけい【尊敬】の意味 - goo国語辞書より

 

言葉の話をするのにまず辞書引いてくる癖は中途半端に元日本語学専攻だったからです。

 

辞書で見てもだいぶ意味が異なっているけど、だいたいそんな感じ。

 

 

憧れの人達の、どこに憧れているかって、この世に星の数ほどある言葉たちを的確に過不足無く、それでいて絶妙な塩梅でひねる、その技術に他でもなく憧れている。

 

私もそんなふうに言葉を扱えたらいいのに。

あんなふうに。

「憧れ」って、そういう羨望の思いが少なからず含まれている気がするんですよね。

 

 

いっぽうで、例えば坂東巳之助さんや小渕健太郎さんの考え方や、それを写した文章を読むたびに納得させられることが何度もありました。

驚くほどに納得させられた。

 

私の中にはきっと無かっただろう考えを一つのビジョンとしてすんなり納得させられ、尊重させられる。

「尊重させられる」というと少し語弊があるけれど、自分ではない他者のビジョンを、否応なしに尊重せざるを得ないような。

 

私の中で起こっているこれらの化学反応のことを私は「尊敬」と呼び、彼らはそんな反応を起こさせるような人物であるということなのです。

 

 

だから、憧れの小林賢太郎に関して言えば、そういう意味での尊敬の念を持ったうえで、彼の技術を羨み、焦がれている。

 

なんとも図々しい女ですね(笑)

 

 

それでも、坂東巳之助さんのインタビュー記事や小渕健太郎さんのブログを読んで、すっと自分の中で尊重させられたとて、それは一つの考えとして鎮座しているに過ぎないのだから、私は彼らのようになりたい、とは思わないのです。

 

そこが違いかなあ、なんて思ったりします。

 

 

しかしながら、小林賢太郎については彼のエンターテイメントに対する姿勢に敬服した上でその技術に憧れていますし、小渕健太郎についても彼の実直で柔軟な人間性に対して尊敬しているのはもちろん、自分もそうあれたら…と思うこともあります。

 

 

書き出してみると自分にはこんなにお手本にしたい、と思える憧れの存在がいるのか。と思ったり、みっくんみっくん言って若手と言ってたってそもそも目上の人であって尊敬に値する人物なんだなあ。と気づいたり。

 

幸せ者です。

 

 

こんだけ長々書いておいて結局、明確なボーダーがあるわけじゃなさそうですね。

 

 

憧憬と尊敬って響きが似てますしね。

 

イッツ オーケイ。

 

 

 

ツチカワ