そぞ録゙

批評家になりたいわけじゃない人の作文練習です。

『義経千本桜』強化月間

このところ毎月恒例と化している歌舞伎観劇。

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例に漏れず今月も行ってきました。

 

 

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義経千本桜!!

 

 

先日も更新しましたが、歌舞伎座に行く前に木ノ下歌舞伎の義経千本桜-渡海屋・大物浦-』を観ました。

 cf.

木ノ下Oh歌舞伎 - そぞ録゙

 

 

今月は一部の「碇知盛」、二部の「いがみの権太」、三部の「狐忠信」と通しに近い形での上演だったので、甘んじて通しで観劇。

 

観れるモンは観とこう精神。

 

 

 

  1. 渡海屋・大物浦

先にも述べました、木ノ下歌舞伎の「渡海屋・大物浦」。

結論から言うと、極めて歌舞伎そのままだったんだな、というのがわかりました。

 

義経」千本桜なのにかなり悲劇的な平家、というか知盛。

 

木ノ下千本桜の冒頭は「義経千本桜」にはない平家物語のお芝居で始まりました。

そこで描かれるのは好きなように部下を使い、気に入らなければ捨て、天皇外戚を結んで好き放題フィーバーする清盛の姿。

最終的には全てを、子どもである知盛に託し(押し付け?)死んでいく。

 

「いやいやいや、これ巻き込まれてるやん知盛!だいたいのことが清盛のせいやん!」

と思わず心の中でツッコんだものだけど、大抵の人が心の中で叫んだのではないだろうか。

 

古典の知盛も叫んでいましたね。

 

命そのもの、もはや命よりも大切に守ってきた帝の前でのその台詞に胸が痛くなりました。

 

 

ところで木ノ下歌舞伎では冒頭、『平家物語』から始まるって書いたのだけど、渡海屋本編が始まるところで例の定式幕カラーのスノコできっちり場面を区切っていました。

台詞も歌舞伎調が多くなって「ここから本編だぞ」っていうのがわかりやすかった。

これも古典を観てみて気づいた木ノ下千本桜ですね。

 

 

銀平娘お安実は安徳帝をされていたのは市川右近丈のご子息、武田タケルくん。

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 先月に引き続き初お目見得に立ち会うことができたのだけど

先月は「可愛い」のパンデミックにまんまとやられたのに対し、今月はガッツリ泣かされました…

 

「今ぞ知る 御裳裾川の流れには 波の底にも都ありとは」

ここバシッと決めた時拍手が起こりましたね。

私はといえば典侍の局と一緒に泣いておりました。

 

6歳でも立派に歌舞伎役者なんだなあ。

 

 

ちなみにここにきてようやく我らが坂東巳之助丈の話になりますが、ここの義経が知盛を諭す場面でずっと下手側に控えてはいました。

控えてはいたんですけど、もういかんせん私はこの知盛、安徳帝典侍の局、義経とのやり取りに持ってかれているので「みっくんを見なくては」「あぁ知盛ィ」「帝〜〜〜〜」のトライアングルの中でもがいておりました。

 

突出した個性はそんなにない四天王の一人、片岡八郎のお役でしたが、ビジュアルがたいへん好みだったことだけここに記しておきます。

 

 

 

  1. いがみの権太

一部の話が思いの外長くなってしまった。

 

 二部は巳之助丈は出ておりませなんだが、個人的なお気に入りが二つほどあって、一つが小金吾の立廻り

 

木の実の場では「ちょっともー泣かないでよー」 なんて思ったりもしたけれど、それだけ実直で純粋な小金吾青年が、ひたすら敵を斬りながら若葉の内侍や六代君を呼ぶ声が痛切……

 

さっきの小金吾の実直さがより一層この立ち回りの場面の幕切れを切なくさせてました。

 

とはいえ、縄を使った立廻りも、多勢に無勢の殺陣もカッコよくて初めて松也さんをカッコいいと思うなど。

なんだかミュージカルみたいだなぁ…と思いました(観たことないけど)(観ろ)。

 

 

もう一つが「すし屋」の、猿之助丈演じるお里

もうずっとチャーミングでおきゃんな娘っこ。

 

新春浅草歌舞伎の『毛抜』における新悟丈の腰元以来の「びびびび、び〜」には魂抜かれました。もうずっと言ってる。

 

弥助との夫婦稽古に関しては、そこに存在するものは純然たる「萌え」ただそれのみ。と言わんばかりのほっこりキュンキュン展開。

 

しかしここのトキメキキュンキュンらぶらぶ度が高ければ高いほど後が辛くなってくる…

 

お里ちゃんには必ず幸せがやってくるはずだし、幸せにならないはずがないし、幸せになるべきだ……

 

と思わないと観てられない。

 

 

 

  1. 狐忠信

 実直であればあるほど、ほっこりする場面であればあるほど結末の反動が大きすぎて、切ない気持ちで終えた二部。

どれくらい切ないかっていうと、このまま続けて三部も観ないと東銀座で溶けるくらい。

 

そんなわけで狐忠信!待ってました!

 

華やかな舞踊から始まるんだけど、もうそこでだいぶ気が晴れる。

クールな忠信が蝶々に反応して我慢できなくなってとうとう狐に。可愛い…

 

ぶっかえったときに髪をまとめていた紐的なものを投げるのがツボです。

 

 

今回、国立劇場で観た映像も含め「川連法眼館」を観るのは3回目でしたが、いわゆる澤瀉屋を観たのは初めて。

 

観る前に猿之助さんの狐忠信は期待してていいよ!」「狐忠信といえば澤瀉屋!」くらいには煽られ、素直にYouTubeで予習したりすることもないままハードルだけをガンガン上げて臨んだのですが、そのハードルすら叩き壊された四の切…

 

 一部ぶりに、再び四天王の一人亀井六郎として大きくドタドタ足音を鳴らしながら出てくる巳之助丈。

 

 なんだか観るたびにパワーアップしてたような…音量が。

実は3回観たことある四の切の亀井六郎は全て坂東巳之助丈なんですよね。

とはいえ、あれだけ派手な見た目と音なのに、新春浅草歌舞伎ではとりわけ亀井六郎の記憶が無いとはこれいかに。

 

だから初めて観たような新鮮な気持ちで観てきたけれど、一度花道から引っ込むときの七三での見得で「大和屋!」とバシッ!と掛かったのは嬉しかったなあ。

これからもたくさん「大和屋」がかかるお芝居を観ていきたいものでございます。

 

亀井六郎と相方駿河次郎が引っ込んでからはいよいよ狐忠信登場。

 

コロコロ変わる表情も声色も仕草も。

ここから出てくるか!ここからも出てくるか!

また消えた!回った!跳んだ!の繰り返し。

 

特に鼓を得た後からが狐のターン。

本当は狐が化けてたんじゃないかな。

それくらい、可愛くて、可哀想で、愛おしくて、愛すべき白狐だった。

 

宙乗りで白狐が帰っていくところ、もちろん猿之助狐のニコニコ顔も大好きなのだけど、微笑みながら見つめる門之助義経笑也静が優しくて。

 

思わず観終わった後に「よかったぁ」と言ってしまうくらい温かい幕切れでした。

 

 

 

四代目を観たのはワンピースぶりだったけれど、この人はいつも「私この人のファンなのかも」と思わせてくる。

 

観たことある演目もお役も少ないからたいそうなことは言えません。

それにしたってこの人には年齢だとか性別だとか、種(しゅ)だとかいう概念すら超越してるのではなかろうか。と思ってしまう。

 

この人を詳しく知っているわけでも、演劇に精通しているわけでもないけれど、すごく楽しい時間を提供してくれた、ということだけはビリビリ感じました。

 

 

また通し狂言とまではいかないものの、おおかた順を追って上演された今月の義経千本桜』

木ノ下千本桜と比べつつ、時にイヤホンガイドの力も借りつつ、少しだけ義経の旅に参加させてもらったような気さえしました。

 

「演劇」な歌舞伎、理屈ではない「エンターテイメント」な歌舞伎を、両方味わえたなあ、と思います。

 

なんて贅沢なんだ。

 

 

そんな素敵な方と、大好きな若手役者が一緒に10月に巡業させて頂けることが有難く、初日を観守ることができることが幸せであります。

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少しドキドキするような。楽しみ。

 

 

この『義経千本桜』強化月間で、観たことのない「四の切」を観れたり、 「渡海屋・大物浦」をじっくり観てみたり。

 

まだまだ観たことない幕はたくさんあるし、有名な演目ではあるけれど今後もっともっと知りたいなあ、と思った6月でした。

 

みっくん以外の亀井六郎も観てみたいし、亀井六郎じゃないみっくんも観てみたい、なんて。

 

じゃあ何の役をやるのかって聞かれたら困っちゃうので、誰かお詳しい方、妄想配役お願いします。

 

 

 

ツチカワ

未来と私と待夢LESS

ゆっくりと幕があくようなSUNRISEから始まった『TIMELESS WORLD』。

 

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このアルバム、ライブみたいだなぁ。という印象を受けました。

 

 

1曲目の「SUNRISE」は、CMで聴いていたのとずいぶんテンポ感や雰囲気が違っていました。

 

もっと爽快軽快な、照りつけるような朝日を想像していたのですが、それよりはもっと荘厳な感じ。

小渕さんのファルセットのコーラスが、まるで水面に映る黄色い朝焼けのような。

 

 

私はよく(不本意にも)朝番の仕事をする機会が多いのですが、特に冬なんかは朝5時半頃外に出るとまだまだ真っ暗なんですよね。

でも、6時半頃勤務先に着くと、もう空はオレンジ色に明るんでるの。

 

いつの間に、っていうくらい早くて遅い夜明け。

そっとアコギの音で始まって、ラストサビではすべての楽器が明るく照っている。

まさに夜明け

 

そんなゆっくりとした大きな1日の幕開けのような歌。

 

 

 

  • 悶々ラブソング

つっちー on Twitter: "tOKi meki ってどこのギャルゲーとか思ってごめんなさい 早く曲説聞いて萌え死にたいんだけど思ってる曲調と違ったらどうしよう"

つっちー on Twitter: "BEST FRIEND が抜けたらしいけど、tOKi meki と曲調被りしたらリスナーのハートが危ないから抜いたと仮定すると、tOKi meki は、まぁそのいわるるそういう()曲"

 

一番お気に入りでした。

案の定な小渕節炸裂の楽曲。tOKi meki

3小節目のベースがセクシー。そして第一声

胸踊る恋をしましょう

 

小渕さんのこういう可愛らしいラブソングって、第一声から「お!イタいねぇ!」と思わせられる。恋に恋する猪突猛進。

 

僕の目を見て君は魔法にかかっちゃったんだ/神風

多分空から降ってきたのだ それか夢でも見ているかだよ/太陽

 

可愛い曲は小渕さんのお家芸だけど、ここまで「キュート」 な歌って久しぶりではなかろうか。

テンポや曲調もさることながら、詩だけですでにそこには妄想癖のあるちょっとイタい男の子が見える。

こういう男の子を描かせたら右に出る者はいない。

 

10年どころかインディーズくらいまで遡ったような若々しい初々しい、イタい恋の歌が聴けると思います。

 

目的地周辺で案内は終了…

ここ、小渕健太郎の真骨頂だと思います。(笑)

 

 

 

同じラブソングでもまた黒田作の Tearless はガラッと趣が変わって。

LIFE GOES ON のときにも思ったけれど、エレクトリカルな音が面白い。第一印象は「カッコイイ」!

疾走感のあるメロディーにしなるような歌声が乗っていて色っぽい。

 

で、気を悪くされたら本当に申し訳ないが、黒田作詞から感じるそこはかとないヤンデレ

しかし私はこのヤンデレ感がたまらなく好きだ。

 

見てるだけで良かったのに 友達で良かったのに    手を繋ぎたい   そばにいたい    君に愛されたい / To calling of love

僕の存在を必要とされたい   必要とした人を守ってあげられるなら / 心に笑みを

 

小渕さんもまぁかなり悶々とした妄想癖がほとばしる歌を書いてくれたけれど、黒田さんも相当悶々と自問自答していますね。

面白いのが、ちょっとネガティブ気味なんですよね。

「〜なら」「〜されたい」「〜できない」から伝わる陰と、陰から愛しい人の背中に伸びる手が見える気がします。

 

毎日、毎日会いたくて   でもそんなわけにいかなくて

 

そばにいたい気持ちが  君を繋ぎ止めてしまうのなら  いっそ離れてしまうことが愛なのかな

 

ンン〜。重い。

 

 

 

 

  • 愛が詰まったライブ

 冒頭で「まるでライブみたいだなぁ。」と書きました。

 

それは、1曲目の SUNRISE の「1日の幕開け」=「ライブのオープニング」がリンクしたことに始まり、hana星が綺麗な夜でしたTwilight陽だまりの道、とライブで聴かせてくれた温かい愛の歌たちの存在が大きいかもしれません。

 

個人的な話ですが、私は2014年のライブツアー “陽だまりの道” のことを「生きようツアー」と呼んでいます。

また、2015年の “奇跡” ツアーのアンケートでは一発目に「生命力がすごかった」とだけ一言書かせて頂きました。(著しい語彙力の低下)

 

 

でも本当に、「生命力」ってそのまま「」なんではないかなぁ。とさえ思わせてくれるんですよね、コブクロは。

 

そして、血の繋がりだけでない。

どれだけ遠いところにいても届くほどの強い「愛」のことを「家族」と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

 

  • 私とTIMELESS WORLD

何故、旅をするのだろう

と、問いかけられまくる今日この頃です。

 

昨年の奇跡ツアーでは3箇所に参加し、遠征は二箇所。名古屋と大阪に行きました。

そしてつい最近では、大好きなワンピース歌舞伎を観に福岡は博多まで行きました。

 

この歌を聴くと、いつもこの日の博多の風景を思い出します。

もっと言えば、劇場に行くまでに通った橋、案内してくれた友の顔、劇場を出て泣きながら歩いた雨の博多。

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ワンピース歌舞伎自体は新橋演舞場も行きましたし、「何故、旅をするのだろう」のPVにこの橋が出てくるのもワンシーン。

 

それでも、私の初めての博多旅に、これほど痛く強くコブクロの歌が刷り込まれているってことが幸せだ。と、思うのです。

 

福岡も、「一つ増えた帰る場所」 にカウントしても、いいかな?

 

 

 

 

そして恐らく最もフィーチャーされているであろう 未来

 

詳しい感想はシングルが出たときに書きました。

cf. 『未来』 - そぞ録゙

 

本当にこの歌をよく聴いていた頃、色々迷っていた時期だったんです。極めて個人的な話ですが。

精神的にも多少は疲弊していたし、リリースされたタイミングも重なったので毎日のように聴いていた。

 

私に限った話ではないと思いますし、それこそ「未来」だけの話ではないのだけれど、苦しい時期に聴いていた音楽って、オーバーラップするんですよね。

 

ここ最近のプロモーションで何度未来を聴いても浮かぶのは、武道館の北の丸公園の桜の枝なのです。

 

 

 

小渕さんが「音楽はまるでタイムマシン」だと言っていたような記憶があります。

 

その曲を聴くと、そのときの匂いや感情、その日の気温や天気も飲んだお酒の味さえも思い出される。

 

 楽しい記憶も、悲しい記憶も、苦しさも悔しさも、聴くたびに思い出せる。

 

 

そういう意味でもTIMELESS WORLDは私のタイムマシンのような一枚だと思っています。

 

だから、今こうして狂ったように聴き込めば数年後の私はこのアルバムの曲を聴けなくなるのではないだろうか。

 

なるかもしれないけれど、いちいち未来の私なんて気遣ってはおられない。

 

 

 

これが良いことなのか悪いことなのか、また良くも悪くもあるのかもしれないけれど、私は「こうなりたい」「こうありたい」と思いながら生きてはおりません。

 

流れてきたところにコブクロがいた。

演劇があった。歌舞伎があった。

 

だから、コブクロも歌舞伎も、好きになろうと思って好きになったわけではありません。

 

 

ファンとしても人間としても非難されてしかるべきとは思いますが、10年先もコブクロを好きでいよう!とは思っていませんし、1年後の私がまだ歌舞伎を好きでいるかの保証もできません。

 

ただ、これまで色んな距離感でコブクロを聴いてきて、彼らの音楽に飽きたり、いわんや嫌いになったりなんてことが一度もなかったということが一つの結果ではなかろうか。

 

 

これから先、ライブに行けなくなる日が来るかもしれない。

発売日にCDやDVDを買えなくなるかもしれない。

 

それでも彼らは歌うし、私は生きるのです。

 

 

流れ着いた今日を生きて  またどこかへと流れて行くだけさ/待夢磨心〜タイムマシン〜

 

コブクロ」として生きてきた二人の人生の中、なんでもない10年間を切り取ったアルバム。

 

 

「10年先もコブクロを好きでいるよ!」

なんて宣言はわざわざしないけれど、「コブクロ」という音楽のタイムマシンの行き先が、ゆっくり増えていくのは私の人生の楽しみです。

 

 

 

まずは tOKi meki あたりの手拍子でも練習しておこうかな。

 

 

 

 

ツチカワ

 

木ノ下Oh歌舞伎

「おぉ……」

と思った。




初めて「おぉ……」を経験したのは昨年、2015年6月19日。
木ノ下歌舞伎の、通し三人吉三を観たときだった。

三人吉三』という名前と、なんだか複雑な話らしい、ということと、「月も朧に白魚の〜」とかいう名台詞くらいしか予備知識がないまま、まっさらの状態で観劇した。


実に楽しかった。
何も知らずに観たのにこんなにも理解できて、それどころか感情移入して涙まで流すなんて…

そこから始まった私の浅いキノカブ暦は約1年を迎えました。




今日はそんな木ノ下歌舞伎が10周年を記念して企画した2年がかりの大プロジェクト、「木ノ下大歌舞伎」のお話をしたいと思います。


2年がかりで上演するのは有名な義経千本桜』

仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』と並ぶ三大名作の一つ。


記念すべき初回は、その中の二幕目である「渡海屋・大物浦」

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実は今月は歌舞伎座で、通しに近い形で『義経千本桜』を上演しています。
私も来週歌舞伎座へ行く予定ですが、少し考えました。

(現行歌舞伎を先に見た方がいいのかな…)
歌舞伎座→キノカブ→歌舞伎座のほうが…)


いろいろ考えてみましたが、去年の三人吉三を思い出し、慢心してノー知識のままで観劇を敢行しました。



結論から申し上げると、すごく良かった
去年の楽しさを思い浮かべれば、いやが応にも上がる期待値。しかしそれをも軽く超えてくる充実感でした。





  • NO知識でも理解できた理由

冒頭、安徳帝の入水シーンから始まります。台詞の調子は歌舞伎調。
場面変わって始まったのは平家の跡取り争いの場面。ここがポイントになります。

軽快に、やや早口な現代口語で進んでいくなかで、名前を連呼します。
そして必ず「お前は○○にボロクソに言われた××じゃないか」などと説明口調で名前を呼ばれるのです。


この場面は、平家物語から引いてきたところで、「渡海屋・大物浦」の中にはこの場面はありません。

しかし「なぜ源氏と平家が対立しているのか」「なぜ知盛が義経を討たんとしているのか」に繋げる上で、(特に私のような初心者にとっては)大きな役割を持ってくれたといえます。

助かりました。(初心者の声)





  • シンプルなセットと衣装

現行歌舞伎とは真逆と言ってもいいのではないでしょうか。
舞台上にあるのは、必要最低限のもののみ。
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イメージはこんな感じです。

花道のような細い舞台と、揚幕のようなキノカブ印の暖簾。それに定式幕をイメージしたすのこが周りに並んでいます。

後ろが少し高く傾いた木の舞台にはいくつか穴があいており、真ん中の穴はいわゆるスッポンのように人が出入りしたりもしていました。


そして衣装
白い服の上から、着物を羽織っただけの衣装。

至ってシンプルな衣装ですが、これがまた上手くできているなあ、と思うのです。

このお話、人がすごく死ぬのですが、「死」を表すときに着物を脱ぐ
中の白い服は死装束に見え、脱ぎ捨てられた着物は亡骸のようにも見える。

兵士がどんどん死んでいく、という場面。
上からバッサバッサと着物が落ちてくる、という演出がありました。
力なく無造作に落とされる着物が、戦場にあふれる無数の亡骸に見えて、胸が苦しくなりました。

ただ上から服が落ちてくるだけの状況が、ここまで感傷をえぐることができるのか……
と、悲しい場面でありながら、大好きな場面でもあります。


また、衣装を使った印象的なシーンがもう一つあって、
最後の安徳帝の入水のシーンなのですけど。

前のシーンで真ん中の穴からしまったはずの大量の着物を再び出し、安徳帝に全て重ねて着せるのです。
すべて着せ終え、一番外側には天皇の印として使われた日の丸をかぶせます(開演前上からさがってたあの日の丸ですね)。

死んでいった全ての者の無念と、これから先のまだ見ぬ日本を、たった6歳の天皇が背負って命を絶たんとする。

非常に印象深い場面でした。



またこの安徳帝の入水シーン。
大多数の人が強く印象に残した場面だと思います。
3回出てくるこの入水の場面は、時間の経過であり、演出上のリフレイン効果だと木ノ下氏は仰っていました。

しかもただ繰り返すだけでなく、台詞に含まれる情報を少しずつ変えていたとのこと。
(最初で「我が君」と言っていたところを最後には「帝」と言っていたり)

話を聞いて鳥肌が立ったところでした。
(自分で気が付きたかった。。)





  • 古典に取材するということ

私が観た回では主宰の木ノ下裕一氏によるアフター講義がありました。
木ノ下氏は「古典はいくつにも解釈ができる」と仰っていました。


この木ノ下歌舞伎『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』を観ていて、いくつかの場面で涙が出てきました。
また、涙を流しながら、「あ、私、平家に感情移入している」と気づきました。

冒頭の平家物語部分は当然、清盛に対しての怒りがあったのだけれど、『義経千本桜』が始まってから平家(というより知盛)への痛切な思いが湧き上がってきたのです。


アフター講義で知盛について熱く語る木ノ下氏を見て納得しました。


きっとこれは、木ノ下歌舞伎というビジョン、フィルターを通した義経千本桜』の姿。

ほかの劇団がやったら。現行歌舞伎では。
それぞれがきっと違う色を持っているはず。


なんだかメディアの根本を問われているような気もしました。

このフィルターを通せばこう見えるぞ。
でもその角度にばかりとらわれていては戦争が起こる

私が木ノ下歌舞伎を通して見た『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』の悲劇の主体は、知盛であり、義経であり、安徳帝だった。


幕切れ(?)の場面。
極めて現代的な扮装の義経の周りを、平家の亡霊ともとれるような白服の人達が踊る。爆撃のような音。

時代を超えて形を変えた「争い」を思わされました。



  • 木ノ下裕一氏

すごく頭がいい。
膨大な情報量を抱え、それを的確に引き出して構成する。知盛じゃないけど、ただ者じゃない感。

そして、それ以上にがある人だと思いました。
アフター講義を聞いていてより強く感じました。


至極変な言い方をしますが、主宰にこんなに愛される作品なんて、なんて幸せ者なんでしょう。

愛のある作品は真っ直ぐ心に刺さってきます。
(これはコブクロもそう!)

まだまだ浅いキノカブ暦ではありますが、きっと彼は古典作品を愛し、芝居を愛し、役者を愛し、客を愛し、ともすれば登場人物達も大いに愛しているのだろうなあ。

と、勝手に考えました。


だって、あんなに活き活きと知盛萌えポイントを話す人を私は見たことがありません。(笑)


何においてもそうですが、私は、愛のある言葉や作品を生み出す人が大好きです。
さらに木ノ下歌舞伎の、木ノ下裕一氏のファンになりました。


終演後少しだけお時間を割いて頂き、質問をさせていただきました。
「来週歌舞伎座義経千本桜を観に行きます。観るべきポイントなどありますか」
とお伺いしたところ
「ぜひこの木ノ下歌舞伎と比べて観てみてください。どこが違ってどちらが好みか。」
というようなことを、丁寧に仰ってくださいました。

先述しましたが、通すフィルターが変われば当然色が変わってくる。
木ノ下歌舞伎を通して見えたキャラクターの色が、現行歌舞伎の、しかも2016年6月のこの配役ではどう見えるのか。

俄然楽しみになりました。


と書いたからにはまた更新しなくては。(笑)


愛がたくさん詰まったお芝居に触発され私も「木ノ下歌舞伎、三人吉三で観てから大好きです!」と告白(笑)したところ、笑顔で「ありがとう。よかったらぜひまた来てね」と仰ってくださいました。

もちろん、この木ノ下大歌舞伎を大大千穐楽まで観届けたい、と思っています。






「歌舞伎」という演劇、「演劇」の中の歌舞伎を教えてくれた木ノ下歌舞伎がもっと大好きになった、いいお芝居でした。




ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
これを読んで少し木ノ下歌舞伎が気になってくれた方、



ぜひ『勧進帳』一緒に遠征しましょう。



ツチカワ

可愛い


気づいたら六月でした。


先月は 五月大歌舞伎 團菊祭 の夜の部を観てきました。

このザマ




一応、いつものように観劇日記に感想を書いてみたんですけどね



そして結論

諦めた




ここまでボキャブラリーに支障きたしてると、書く気も起こらなければそれ以前に読む気にならないだろうなっていうのは想像に難くないんですけど。


それでも「観たお芝居の感想は書く」というポリシー、

まして歌舞伎は初心者だから、たいていの演目が初めましての状況だし、初めて観た演目について記録しておこう!というメモ代わりと致しまして

私の観劇日記に書きなぐった「可愛い記録」を垂れ流していきたいと思います(強行)



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人生初の歌舞伎座は晴天!


そもそもこの團菊祭、五代目尾上菊之助丈のご長男、寺嶋和史くんの初お目見得の公演。

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2歳。


お分かりですね。はい、この時点で一つ目の可愛いをクリア。

夜の部一つめ、勢獅子音羽花籠にて、ととに抱っこで花道を出てきてご挨拶。

…はできずにお顔隠しちゃう。扇子もポイッ。

でも、レポ見てると毎日同じタイミングで同じ掛け合いでお顔隠したり扇子投げたり、一つの流れというか型になっていたなぁ、というじゅふたん。


何より2歳児が、ぐずりもせず、あの人数の前で25日間あれだけ大きな舞台に出続けるっていうのが奇跡ですよね。よく頑張ったね。

会場中が、未来の歌舞伎界を担う小さなスターの門出を祝うような、温かくてハッピーに溢れた空間と時間でした。いいものを観させていただいたなあ。


これは余談ですが、当初買うつもりなかったじゅふたんの写真も買いました。天使。



そしてその勢獅子にて獅子舞を勤められたのがそう!我らが坂東巳之助丈。


イヤホンガイドでは「獅子舞の中は一体誰でしょう〜」などと言っておりましたが、連日Twitterの住民と化している私はもう先刻ご承知。(ごめんなさい)


ペアの尾上松也さんとの身長差、体格差ですぐわかるよ、というところまで承知しておりましたので、今か今かと獅子の登場を待ち、いざ出てきた途端

(キタ獅子だーーーーッ)



足しか見えないお獅子、巳之助さんは後ろ足を、前足の松也さんとともに息ぴったりに操る。

一方の私は、この世の気持ち悪いものを一挙に顔面に集めたみたいな顔でお獅子の足を目で追う展開。通報されなくてよかった。

低めの重心、かと思えば後ろ足の逆立ち(あれ巳之助さんですよね?)、そしてお眠お獅子の足ポリポリ……


これだけ可愛いおみ足を披露しておいて最終的に獅子をとった見得がやたらかっこよかったことは許しません。


30分足らずの演目でしかもほとんど足しか見せていないのにこの有様です。冒頭一つめのツイートは、勢獅子直後の幕間で呟いたものです。



続いての三人吉三、浅草歌舞伎以来2度目。


お嬢の菊之助さんがとてもよかった…

女→男に変わる瞬間の「俺ぁ盗人だよ」はやっぱり聞くたび興奮する。

私の中でお坊は「育ちがいい故にチャラい」イメージがあるのですが、海老蔵さんがすごく大物感あって「こんなお坊もあるのか」と思わされました。

席のせいもあるのか私のせいかわからないけれど、和尚のセリフが聞き取れない箇所が多くて少し残念。


比較対象が浅草歌舞伎しかなくてお恥ずかしい。

浅草での梅丸おとせちゃんが本当に可愛らしくてあどけなくて、それゆえに犯罪臭(まぁ川に落とされてる時点で強盗殺人未遂なんだけど)が濃かったのに対して、右近おとせちゃんが普通に色っぽくて、タイプが違うけど「アリ」だなぁ…なんて思える初めての経験をしました。


同じ演目を違う役者で観るという初体験。

ややこしい。



「巳之助さん出るのはあと最後だけかァ〜」なんて油断しながら筋書読んでたら3番目の時今也桔梗旗揚にもお出になることが発覚(雑なファンでごめんなさい)。

とは言っても、萬太郎さんと一緒に春永の家来の森力丸として出てきて、萬太郎さん演じる蘭丸はかなりセリフもありましたが、力丸はほとんど座っているのみ。

ですので突然セリフが出てきた時は思わず(みっくん喋った!!!!)と思ってしまいました。目が覚めました。

黙って座っている間、ホント芝居観ろって話なんですけど私は何をしてたかっていうと

力 丸 く ん の 瞬 き を み て ま し た 。

3階席からでも目視可能なパチパチ瞬きが可愛い。

それと多かったのが衿を直す仕草。

後ろ姿でやられた(敬語)ときにはやられ(受身)ましたね。

4回を数えたところで断念しましたがその後も何度かやっておりました。


ほんと集中して芝居観ろ。


蘭丸力丸の同い年ペア、カラフルなお衣装が可愛かったですね。

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イースターじゃないよ。




そして夜の部最後を飾るのは男女道成寺

團菊ペア、市川海老蔵丈と尾上菊之助丈の踊りも拵えも綺麗だった……

海老蔵さんの歌舞伎のお芝居を観るのは初めてだったんだけど、なんていうかやっぱり綺麗な人ですね。

一つここでも残念だったことがあって、白拍子花子が何度か衣装がくるくる変わるんだけど、注意力垂れ流し娘との悪名高い私、「あぁなんか菊之助さんの着物から紐みたいなん取れた」と思った次の瞬間に目を離し、目を離したまさにその隙に衣装が変わるという思い出すだに微妙に悔しくなる経験をしました。

誰のせいでもない…


さてここでは最後の最後所化で登場します坂東巳之助丈(まってました!)


「ノールック」「横ギバ」「可愛い」につぐ「可愛い」

とやたらTwitterで単語だけ溢れるように流れてきた演目だったので期待していたのですが期待以上に可愛い所化ズ。

とにかく人数が多い。

私は安定の3階貧乏席での観劇だったのですが、上から見る所化さんがたの頭が圧巻の可愛さ。

力丸と対照的なコンパクトなお衣装をお召しになった巳之助さんはすごく華奢でした。綺麗。

そして「天蓋!」「般若湯!」と盛り上がる所化たちの言葉にいちいち反応する清浄坊の表情が可愛い。

ここでも同い年ペアの萬太郎さんとの踊りの場面があるのだけど、柔らかくて癒される。

かと思えば巳之助さんの横にコテンッと転がる振り、噂の横ギバ、「これか!」という思いと「かっわ(可愛い)」という思いが変な声となって口から出てきました。許すまじ。

所化さん達の出番の最後、手ぬぐいを投げる場面は噂に聞いていた「ノールック」を目の当たりにすべく、巳之助さんにのみ注目しました(愚か者)。


ノールックやりました。


なんとも言えぬニヤケ顔を炸裂させた直後、わーっと腕を上げてはけていく所化さん達。もとい巳之助丈。

このあたりでは既に私の中の「可愛い」はゲシュタルト崩壊しています。




おわかりいただけましたでしょうか。

以上が私が観てきた團菊祭です。


四月に観に行った明治座では、葛の葉に泣き、女殺油地獄がトラウマになり、浮かれ心中で心が温かくなり……

比較的演劇を観ている感覚だったのですが


まさか自分が歌舞伎を観て帰ってきて「可愛い可愛い」連呼する日が来ようとは思いもしなかった。


アイドルヲタクってこんな感じなのかなぁ…なんて遠い目の先に新世界を見たような気さえします(双方に怒られそう)。



さて、私はこの記事で何回「可愛い」と言ったでしょう。



私は数えていないのでわかりません。

数える気もありません。



ツチカワ

最初に貰ったポケモンばっかり使うからレベルが桁違いに高い

そんな小学生でした。


アチャモだけでジム突破してた。










小学校の頃(中学校の頃かな)、国語の授業で

2人組になって1人に図形や絵が描かれたプリントが渡され、その図形なり絵なりを「文章」でもう1人に伝え、もう1人がその文章から逆に図形を想像して描く。

というのをやりました。



f:id:tchiiii5296:20160515213151j:image

うーん、これなら

  • 「三角、丸、四角が縦に並んでいて、真ん中の丸には黒い矢印が刺さっている。」
  • 「三角は水色の水玉柄で、下の四角は赤色。三角から手が生えて万歳してて、四角から足が生えてて直立している。」
ってな感じでしょうかね。



この文だけ読んだら、どんな図形が出来上がるのでしょうか。



これが結構難しいんですよね。



練りに練って文章を組んでみるんだけど、相手がその文から見出した図形は角度が違っていたり、位置が違っていたり、限りなく近い形だけれど大きさが違ったり…………


大筋とか輪郭は伝わっても細部まではどうしても伝えきれないんですよねぇ。




見たものを言葉だけで伝えようとするのは意外と難しいんだなぁ……


というのを10年近くぶりに実感している今日このごろでございます。




少し話がずれますけれども、先日坂東三津五郎さんの『踊りの愉しみ』という本を読みました。

坂東三津五郎 踊りの愉しみ



歌舞伎の知識も舞踊の心得もありませんので感想は特に書きませんが、面白かった…

歌舞伎の知識も舞踊の心得もない私にも飲み込めるくらい、身近な喩えを使って、噛み砕いて説明してくれる。


もっと複雑な説明を付すこともできるだろうし、専門用語を使うこともできるはず。

それなのに膨大な文にならず、かといって言葉足らずにもならない。



「伝える力」に長けているなあ…と、本筋と関係ないところに感動してしまいました。








さて、ご存知私は多趣味ですから、ライブにも行くし、舞台も観に行くし、映画館にも美術館にも行きます。

それでいて周りに感想をおしゃべりするのが大好きですから、Twitterやブログというツールで大いに騒ぎます。
(うるさくってごめんね)



しかしながら、見てきたものを人に伝えるというのはやはり難しいものなのであります。

どこそこのシーンで誰それがやっていたアドリブが盛り上がっただとか、MCでほんの一瞬やった仕草が可愛かっただとか、百歩譲って同じものを観ていた人ならば思い出せるかもしれません。

観ていない人は、その言葉からどうにか頭の中に映像を組み立てなければなりません。


舞台の写真は当然ながら撮ってはなりませんし、もし撮れたとしても私は写真家ではありません。絵心もないので絵も描けません。


だから人一倍こだわってこだわって言葉を選んで組み立てていこうとするのですが、こだわればこだわるほど文は膨れ上がり、とても飲み込むには大きすぎる文になってしまう。


でも、磨ける余地のある武器が言葉しかない。



このジレンマとうまく伝える力のなさに悔しい思いをする日々なんですが


「言葉だけで伝える」ってことは、ちょうど「桁違いに高いレベルのほのおタイプのポケモン一体だけでジムリーダー突破」くらいの危うさと脆さがありますよね。



まぁ、だから雑誌には写真が載っているし、児童書には挿絵がついているんだけど。





「美しい言葉」「愛のある言葉」を紡いでいきたいと漠然と思っていましたが、

「相手に伝わるような過不足のない言葉」も使えるようにならなくてはなぁ。



なーんてことを日々自省しつつ、来週は團菊祭の感想も書けたらいいなぁ、なーーんて。

(書けよ)


頑張って書いてますのでね、優しくご指導ご鞭撻の程を(笑)








そうそう、アチャモはいつしかワカシャモに進化して、最終的にゴリゴリなバシャーモになったの、ジムリーダーもバッタバッタ倒していったのだけど、四天王はそう簡単にはいきませんでした。

仕方ない。

結局みずタイプやかくとう、ゴーストの強化も余儀なくされた。


そんな小学生でした。




ツチカワ

こんな道楽者にも人権がある、あの太陽がこの世界を照らし続けるように


「私が一番嫌いな人は自分だった。あなたに会うまでは。」



「どんだけ嫌な奴と会ってしまったんだよwwwwwwwwwwwwwwww」
と思ってしまったブログはこちらです。いらっしゃいませ。

何の本だったか忘れたんですが、文庫の帯に書いてあった文です。
あなたと会えたことで大嫌いな自分すら愛せるようになったよ、ってところでしょうか。

ちょっと内容が気にならないこともない…………



ちなみにこの勤め先の書店は三月から働き始めたのですが、五月いっぱいで辞めます。





そんなくだらない人間がお送りしているブログですが、この度ブログタイトルを決定いたしましたことをここにお知らせいたします。


結局何ヶ月もつなぎで「よろづの言の葉」紀貫之からお借りしていたんですが、よろづってほど大したことも書いてないなあ、と。

あと個人的に「よろづ」を見て「萬屋」が出てくるようになってしまったので変えることにしました。



『そぞ録゙』

「そぞろぐ」と読んでください。

そぞろ言ばかりの、書いても書かなくても読んでも読まなくても、人生の損にも得にもならない、意味のないブログ

そぞろ[副]わけもなく。なんとなく。「―寒さが身にしみる」



またこのブログは見聞録的な意味合いを多く持っています。
観た舞台や読んだ本、聴いた音楽の感想がそぞろに記録されています。

記録の「録」と、ブログの「ログ」がかかっています(うま〜い!)







わからない人は結構です。







こんな死ぬほどくだらない記事で終わったら本当に死人が出そうなので、何か私が好きな本でも紹介しときましょうか。






夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

ジャケ買い。かつ、好きなブロガーさんが読んでいたので購入。そのブロガーさん、私の好きな文体でブログを書かれる方なのだけど、それも納得な森見節炸裂の本です。如実に好き嫌いが分かれるので、2〜3ページ立ち読みしてからご購入ください。




命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)

私はすぐ帯捨てる質なので確実に覚えてないんですが「超おもしろいっすマジパネェ」くらいの勢いで煽ってくる帯に釣られて買いました。一度教授のせいで三島とは仲違いをしていたんだけれど、多少距離を縮められたくらいには面白かったのでおすすめ。





井上ひさし「せりふ」集

井上ひさし「せりふ」集

『國語元年』という舞台を観に行った際、感動のあまり物販で課金してしまいました。先日の『浮かれ心中』を受けて再び読み返しました。日本語を、演劇を大切に大切にしていた井上ひさしさんの想いが伝わってくるような数々の台詞たち。すぐに読み終わる本なのでよろしければぜひに。




ONE PIECE 81 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 81 (ジャンプコミックス)

言わずもがなのワンピース。あまりに有名なもののタイミングを掴めず、歌舞伎化を機に揃えだしました。世界で愛されるだけある、温かくて面白い作品ですね。さて45巻まで読みました!頂上決戦まであと少しです!
歌舞伎を思い出して泣く、とかいう逆転現象が起きそうです。







とりあえずこんなもんかな。
1500字超えたし。



いつもに増してカオスな記事となって参りましたが、よろしければ今後も私のそぞろ言に御付き合いくださいませ。


そぞ録゙、よろしくお願い申し上げます。




ツチカワ




ぴーえす
久しぶりに巳之助丈のブログを読み返してみたんですが、何というかやっぱり物事を捉える観点が普通じゃないというか、取り込んだ物事を出力するための言語変換すら凝っていて面白いですし、それでいてブログを更新できない理由をしっかり自分なりに理論立てて読者に説明しようとする根の真面目さ、そして使いたくなる「ぴーえす」

5分間中毒

席に着く。
どのへんの席か、観やすいかしら。

少しツイッターをいじって誰も望んでいない実況をしていると
少しの空席を残して場内の隙間は埋まってくる。



ブザーの音。

場内の電光時計が消えた。
そろそろ携帯電話の電源を切っておこう。

プロジェクターに映し出される映像に、少し動きが見られ始める。


ぼんやりした照明が徐々に薄暗がりになっていく中で、ざわめきと静寂が混ざる。




時間の指標が見えなくなって「時間」の概念が存在しなくなる、不思議な時間。

これが30秒なのか、2分経ったのか、
はやる気持ちは時間の進みを遅くすることが可能なんですね。





幕が上がればステージの上には別の時間が流れ始める。

と同時に、こちらの世界では「終演までの時間」という見えない時間が刻刻と流れていく。





現実から切り離され、ひたすらに夢を待つ。
どこにも属さない麻薬のような時間は永遠のようであり、ただの5分間でしかない。






音が切れる度に小さなざわめきが起きていた場内BGMも、4度目の切れ目で音が無くなる。

息を呑む客席ごと飲み込むように暗闇が深くなる。

幕の向こうの音が大きくなる。


時間が動き出す。




長いジェットコースターみたいな、開演5分前が私は大好きなのです。


開演してしまえばあとは終わりに向かうだけの時間。

夢でも現実でもない、白も黒もない宙ぶらりんな開演までの5分間。



テレビドラマや映画館では味わえないこの麻薬のために私は通う。

京セラドームに。
博多座に。




5分間中毒、またの名を「吐きそうタイム」



ツチカワ