「レ」の音が出ない
いつも、大好きなコブクロのことや歌舞伎のこと、観に行った舞台のお話はしているけれど、好きだったもののことについて思い出したことを書きたいなあ、と思いました。
好きだったもの。
寝れなくて、なんとなく中学2年の頃のコンクールの映像を観ていました。中学時代全てをかけて夢中になっていたものは吹奏楽でした。
と言いましても、東京都の中でも底辺の区の、さらに下から数えたほうが早いような底辺中学校の、弱小吹奏楽部でした。
中学2年の頃のメンバーは、総出でも22人しかいませんでした。それも、3年生は居なかった。
いや、厳密に言えば3年生は居ました。居ましたが、途中で入部した人がほとんどでしたので、3年間吹奏楽の経験がある部員は誰もいなかったのです。
顧問の先生は、緊張すると指揮がやや速くなる先生でした。
ただでさえうちの学校はやたらテンポが速かったので、コンクールの音源は冒頭のお手本よりもだいぶ速いです。
私は3年間ホルンを担当しました。
私が入部した頃は既存の部員が10人にも満たない小さな部でした。もちろん、最低限の楽器しかおりませんので、ホルンは私が第一号。基礎的なことはチューバの先輩が教えてくれましたが、ほぼ手探りの練習がスタートしました。
まだ覚えています。この頃のコンクールで吹いた曲、中盤のゆったりしたパートはホルンの聴かせどころ。私はスラーのまま「レ」の音まで上がっていくのが苦手でした。
映像では、すべての「レ」が出ていました。当たり前といえば当たり前のことなのですが、なんせ弱小ですので(笑)
全ての音が出ただけでたいそうな感動なのです。
決してお世辞にも上手いとは言えない演奏。
結果は奨励賞でした。というか、2年出たコンクールで、2回とも奨励賞でした。
翌年、3年生の夏は同じコンクールの予選で落ちました。私の人生の最後のコンクールが、あのCENTURIAでした。
当時私はすでに演劇に興味があったので、区の連合音楽会での引退演奏をもって吹奏楽は辞めるつもりでした。
コンクールに出ない分、文化祭や連合音楽会に向けてより一層力を入れて練習しました。
インフルの脅威にさらされながら(本番前に私以外の家族が全員インフルにかかるというミラクルも起きました)、たどり着いた文化祭の演奏は、正直3年間の全ての演奏の中でも一番の出来だったと思います。
引退演奏の連合音楽会。
何人かがインフルに倒れ、リズム隊と1stトランペットが不在という圧倒的に音が足りない状況になりました。
文化祭で上手くいったと思っていた自分の演奏は、その中では上手く立ち回れなかった。周りの大きな音に隠れていただけだった。
たくさんの課題を残したままここで引退なんてできない、と、高校に進学した私は演劇はやらずに吹奏楽を続けることにしました。
結局、中学時代の弱小に輪をかけてぐるぐる巻きにしたような高校の弱小吹奏楽部。なおかつやる気がないときたもんで、夏のコンクール前に退部しました。
「こんな部活やってられません」と啖呵きって退部届を出したその日に顧問、部員一同から拍手で見送られて音楽室を出たことはずっと忘れないと思います。私は今嫌味を言っています。
そんな感じで吹奏楽と決別してからはずっと楽器なんて触っていないので、最後に吹いた曲は、たぶん、高1で出るはずだったコンクールの課題曲だったと思います。
曲名が出てこないけど。
小、中、高、と小さな吹奏楽部で細々と活動し、それでもやる気だけは必ず携えてやってきた大好きな吹奏楽、変な形で辞めることになってしまってからはそれまでやってきた吹奏楽の活動もコンプレックスになってしまって、だんだんと大きな声で言えなくなってきていました。
「吹奏楽をやってたんだ!」と言っても、周りの経験者たちの話題についていけるほどの実績もなければ曲も知らない。
こうしてどんどん自分の人生という分母が大きくなって、限りなく吹奏楽をやっていた時間がゼロに近くなっていくのかなあ…ちょっと寂しいなあ…
と思ったので、ダラダラとこんなところに書き残してみました。
大好きだったものが今も大好きとは限らないけれど、大好きだったものを嫌いになってしまうことほど悲しいことはない気がする。
「レ」の音が出なかった私は誰よりもホルンが好きだっただろうし、吹奏楽が誇りだっただろうな、と、へたっぴーな演奏を観て思ったのでした。
ここまで読んだ人、いないでしょ。
いたら聞きたい。
私これから寝るべき?
ツチカワ
尊敬と憧憬
「憧れ・尊敬する人は?」
なんて、生きていれば幾度と目にする質問、文集の特集ページだったり、道徳の授業だったり、俗っぽいもので言えば昔流行った「前略プロフ」なんて。(わかる人は同年代です)
答えも結構個性的で、1人だけドン!と書いてある人もいれば、両親や家族のことが書いてあったり。
ちなみにですが私は絶対に「両親」だけは書かない人間です。
両親には感謝こそすれ尊敬の念は微塵も持っておりませんので。
私は結構たくさんの憧れの存在や尊敬する人があるタイプです。その対象は幅広く芸能人から恩師まで。
それでもって尊敬する人と憧れの人は別の人だったりもします。
憧れの人は尊敬する人でもあったりはするけれど、尊敬する人が必ずしも憧れかと言われたら少し違う。
お笑いコンビ「ラーメンズ」の小林賢太郎や中学時代の国語の先生、高校のとある同級生や、大学時代のとある同級生。彼らは憧れの人にあたります。
対して歌舞伎役者 坂東巳之助や、コブクロ 小渕健太郎なんかは私の尊敬する人です。
憧れと尊敬って違うの?
あこが・れる【憧れる/▽憬れる】
[動ラ下一][文]あこが・る[ラ下二]《「あくがる」の音変化》
1 理想とする物事や人物に強く心が引かれる。思い焦がれる。「名声に―・れる」「都会生活に―・れる」
2 気をもむ。気が気でなくなる。
「此方 (こちら) は地を離て沖 (あが) る事が出来ず、只徒らに―・れて両手を延ばすのみ」〈二葉亭・めぐりあひ〉
そん‐けい【尊敬】
[名](スル)
1 その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。「互いに―の念を抱く」「―する人物」
2 文法で、聞き手や話題の主、また、その動作・状態などを高めて待遇する言い方。→尊敬語
言葉の話をするのにまず辞書引いてくる癖は中途半端に元日本語学専攻だったからです。
辞書で見てもだいぶ意味が異なっているけど、だいたいそんな感じ。
憧れの人達の、どこに憧れているかって、この世に星の数ほどある言葉たちを的確に過不足無く、それでいて絶妙な塩梅でひねる、その技術に他でもなく憧れている。
私もそんなふうに言葉を扱えたらいいのに。
あんなふうに。
「憧れ」って、そういう羨望の思いが少なからず含まれている気がするんですよね。
いっぽうで、例えば坂東巳之助さんや小渕健太郎さんの考え方や、それを写した文章を読むたびに納得させられることが何度もありました。
驚くほどに納得させられた。
私の中にはきっと無かっただろう考えを一つのビジョンとしてすんなり納得させられ、尊重させられる。
「尊重させられる」というと少し語弊があるけれど、自分ではない他者のビジョンを、否応なしに尊重せざるを得ないような。
私の中で起こっているこれらの化学反応のことを私は「尊敬」と呼び、彼らはそんな反応を起こさせるような人物であるということなのです。
だから、憧れの小林賢太郎に関して言えば、そういう意味での尊敬の念を持ったうえで、彼の技術を羨み、焦がれている。
なんとも図々しい女ですね(笑)
それでも、坂東巳之助さんのインタビュー記事や小渕健太郎さんのブログを読んで、すっと自分の中で尊重させられたとて、それは一つの考えとして鎮座しているに過ぎないのだから、私は彼らのようになりたい、とは思わないのです。
そこが違いかなあ、なんて思ったりします。
しかしながら、小林賢太郎については彼のエンターテイメントに対する姿勢に敬服した上でその技術に憧れていますし、小渕健太郎についても彼の実直で柔軟な人間性に対して尊敬しているのはもちろん、自分もそうあれたら…と思うこともあります。
書き出してみると自分にはこんなにお手本にしたい、と思える憧れの存在がいるのか。と思ったり、みっくんみっくん言って若手と言ってたってそもそも目上の人であって尊敬に値する人物なんだなあ。と気づいたり。
幸せ者です。
こんだけ長々書いておいて結局、明確なボーダーがあるわけじゃなさそうですね。
憧憬と尊敬って響きが似てますしね。
イッツ オーケイ。
ツチカワ
『義経千本桜』強化月間
このところ毎月恒例と化している歌舞伎観劇。
例に漏れず今月も行ってきました。
義経千本桜!!
先日も更新しましたが、歌舞伎座に行く前に木ノ下歌舞伎の『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』を観ました。
cf.
今月は一部の「碇知盛」、二部の「いがみの権太」、三部の「狐忠信」と通しに近い形での上演だったので、甘んじて通しで観劇。
観れるモンは観とこう精神。
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渡海屋・大物浦
先にも述べました、木ノ下歌舞伎の「渡海屋・大物浦」。
結論から言うと、極めて歌舞伎そのままだったんだな、というのがわかりました。
「義経」千本桜なのにかなり悲劇的な平家、というか知盛。
木ノ下千本桜の冒頭は「義経千本桜」にはない『平家物語』のお芝居で始まりました。
そこで描かれるのは好きなように部下を使い、気に入らなければ捨て、天皇と外戚を結んで好き放題フィーバーする清盛の姿。
最終的には全てを、子どもである知盛に託し(押し付け?)死んでいく。
「いやいやいや、これ巻き込まれてるやん知盛!だいたいのことが清盛のせいやん!」
と思わず心の中でツッコんだものだけど、大抵の人が心の中で叫んだのではないだろうか。
古典の知盛も叫んでいましたね。
命そのもの、もはや命よりも大切に守ってきた帝の前でのその台詞に胸が痛くなりました。
ところで木ノ下歌舞伎では冒頭、『平家物語』から始まるって書いたのだけど、渡海屋本編が始まるところで例の定式幕カラーのスノコできっちり場面を区切っていました。
台詞も歌舞伎調が多くなって「ここから本編だぞ」っていうのがわかりやすかった。
これも古典を観てみて気づいた木ノ下千本桜ですね。
銀平娘お安実は安徳帝をされていたのは市川右近丈のご子息、武田タケルくん。
先月に引き続き初お目見得に立ち会うことができたのだけど
先月は「可愛い」のパンデミックにまんまとやられたのに対し、今月はガッツリ泣かされました…
「今ぞ知る 御裳裾川の流れには 波の底にも都ありとは」
ここバシッと決めた時拍手が起こりましたね。
私はといえば典侍の局と一緒に泣いておりました。
6歳でも立派に歌舞伎役者なんだなあ。
ちなみにここにきてようやく我らが坂東巳之助丈の話になりますが、ここの義経が知盛を諭す場面でずっと下手側に控えてはいました。
控えてはいたんですけど、もういかんせん私はこの知盛、安徳帝、典侍の局、義経とのやり取りに持ってかれているので「みっくんを見なくては」「あぁ知盛ィ」「帝〜〜〜〜」のトライアングルの中でもがいておりました。
突出した個性はそんなにない四天王の一人、片岡八郎のお役でしたが、ビジュアルがたいへん好みだったことだけここに記しておきます。
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いがみの権太
一部の話が思いの外長くなってしまった。
二部は巳之助丈は出ておりませなんだが、個人的なお気に入りが二つほどあって、一つが小金吾の立廻り。
木の実の場では「ちょっともー泣かないでよー」 なんて思ったりもしたけれど、それだけ実直で純粋な小金吾青年が、ひたすら敵を斬りながら若葉の内侍や六代君を呼ぶ声が痛切……
さっきの小金吾の実直さがより一層この立ち回りの場面の幕切れを切なくさせてました。
とはいえ、縄を使った立廻りも、多勢に無勢の殺陣もカッコよくて初めて松也さんをカッコいいと思うなど。
なんだかミュージカルみたいだなぁ…と思いました(観たことないけど)(観ろ)。
もう一つが「すし屋」の、猿之助丈演じるお里。
もうずっとチャーミングでおきゃんな娘っこ。
新春浅草歌舞伎の『毛抜』における新悟丈の腰元以来の「びびびび、び〜」には魂抜かれました。もうずっと言ってる。
弥助との夫婦稽古に関しては、そこに存在するものは純然たる「萌え」ただそれのみ。と言わんばかりのほっこりキュンキュン展開。
しかしここのトキメキキュンキュンらぶらぶ度が高ければ高いほど後が辛くなってくる…
お里ちゃんには必ず幸せがやってくるはずだし、幸せにならないはずがないし、幸せになるべきだ……
と思わないと観てられない。
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狐忠信
実直であればあるほど、ほっこりする場面であればあるほど結末の反動が大きすぎて、切ない気持ちで終えた二部。
どれくらい切ないかっていうと、このまま続けて三部も観ないと東銀座で溶けるくらい。
そんなわけで狐忠信!待ってました!
華やかな舞踊から始まるんだけど、もうそこでだいぶ気が晴れる。
クールな忠信が蝶々に反応して我慢できなくなってとうとう狐に。可愛い…
ぶっかえったときに髪をまとめていた紐的なものを投げるのがツボです。
今回、国立劇場で観た映像も含め「川連法眼館」を観るのは3回目でしたが、いわゆる澤瀉屋型を観たのは初めて。
観る前に「猿之助さんの狐忠信は期待してていいよ!」「狐忠信といえば澤瀉屋!」くらいには煽られ、素直にYouTubeで予習したりすることもないままハードルだけをガンガン上げて臨んだのですが、そのハードルすら叩き壊された四の切…
一部ぶりに、再び四天王の一人亀井六郎として大きくドタドタ足音を鳴らしながら出てくる巳之助丈。
なんだか観るたびにパワーアップしてたような…音量が。
実は3回観たことある四の切の亀井六郎は全て坂東巳之助丈なんですよね。
とはいえ、あれだけ派手な見た目と音なのに、新春浅草歌舞伎ではとりわけ亀井六郎の記憶が無いとはこれいかに。
だから初めて観たような新鮮な気持ちで観てきたけれど、一度花道から引っ込むときの七三での見得で「大和屋!」とバシッ!と掛かったのは嬉しかったなあ。
これからもたくさん「大和屋」がかかるお芝居を観ていきたいものでございます。
亀井六郎と相方駿河次郎が引っ込んでからはいよいよ狐忠信登場。
コロコロ変わる表情も声色も仕草も。
ここから出てくるか!ここからも出てくるか!
また消えた!回った!跳んだ!の繰り返し。
特に鼓を得た後からが狐のターン。
本当は狐が化けてたんじゃないかな。
それくらい、可愛くて、可哀想で、愛おしくて、愛すべき白狐だった。
宙乗りで白狐が帰っていくところ、もちろん猿之助狐のニコニコ顔も大好きなのだけど、微笑みながら見つめる門之助義経と笑也静が優しくて。
思わず観終わった後に「よかったぁ」と言ってしまうくらい温かい幕切れでした。
四代目を観たのはワンピースぶりだったけれど、この人はいつも「私この人のファンなのかも」と思わせてくる。
観たことある演目もお役も少ないからたいそうなことは言えません。
それにしたってこの人には年齢だとか性別だとか、種(しゅ)だとかいう概念すら超越してるのではなかろうか。と思ってしまう。
この人を詳しく知っているわけでも、演劇に精通しているわけでもないけれど、すごく楽しい時間を提供してくれた、ということだけはビリビリ感じました。
また通し狂言とまではいかないものの、おおかた順を追って上演された今月の『義経千本桜』
木ノ下千本桜と比べつつ、時にイヤホンガイドの力も借りつつ、少しだけ義経の旅に参加させてもらったような気さえしました。
「演劇」な歌舞伎、理屈ではない「エンターテイメント」な歌舞伎を、両方味わえたなあ、と思います。
なんて贅沢なんだ。
そんな素敵な方と、大好きな若手役者が一緒に10月に巡業させて頂けることが有難く、初日を観守ることができることが幸せであります。
少しドキドキするような。楽しみ。
この『義経千本桜』強化月間で、観たことのない「四の切」を観れたり、 「渡海屋・大物浦」をじっくり観てみたり。
まだまだ観たことない幕はたくさんあるし、有名な演目ではあるけれど今後もっともっと知りたいなあ、と思った6月でした。
みっくん以外の亀井六郎も観てみたいし、亀井六郎じゃないみっくんも観てみたい、なんて。
じゃあ何の役をやるのかって聞かれたら困っちゃうので、誰かお詳しい方、妄想配役お願いします。
ツチカワ
未来と私と待夢LESS
ゆっくりと幕があくようなSUNRISEから始まった『TIMELESS WORLD』。
このアルバム、ライブみたいだなぁ。という印象を受けました。
1曲目の「SUNRISE」は、CMで聴いていたのとずいぶんテンポ感や雰囲気が違っていました。
もっと爽快軽快な、照りつけるような朝日を想像していたのですが、それよりはもっと荘厳な感じ。
小渕さんのファルセットのコーラスが、まるで水面に映る黄色い朝焼けのような。
私はよく(不本意にも)朝番の仕事をする機会が多いのですが、特に冬なんかは朝5時半頃外に出るとまだまだ真っ暗なんですよね。
でも、6時半頃勤務先に着くと、もう空はオレンジ色に明るんでるの。
いつの間に、っていうくらい早くて遅い夜明け。
そっとアコギの音で始まって、ラストサビではすべての楽器が明るく照っている。
まさに夜明け。
そんなゆっくりとした大きな1日の幕開けのような歌。
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悶々ラブソング
つっちー on Twitter: "tOKi meki ってどこのギャルゲーとか思ってごめんなさい 早く曲説聞いて萌え死にたいんだけど思ってる曲調と違ったらどうしよう"
一番お気に入りでした。
案の定な小渕節炸裂の楽曲。tOKi meki 。
3小節目のベースがセクシー。そして第一声
胸踊る恋をしましょう
小渕さんのこういう可愛らしいラブソングって、第一声から「お!イタいねぇ!」と思わせられる。恋に恋する猪突猛進。
僕の目を見て君は魔法にかかっちゃったんだ/神風
多分空から降ってきたのだ それか夢でも見ているかだよ/太陽
可愛い曲は小渕さんのお家芸だけど、ここまで「キュート」 な歌って久しぶりではなかろうか。
テンポや曲調もさることながら、詩だけですでにそこには妄想癖のあるちょっとイタい男の子が見える。
こういう男の子を描かせたら右に出る者はいない。
10年どころかインディーズくらいまで遡ったような若々しい初々しい、イタい恋の歌が聴けると思います。
目的地周辺で案内は終了…
ここ、小渕健太郎の真骨頂だと思います。(笑)
同じラブソングでもまた黒田作の Tearless はガラッと趣が変わって。
LIFE GOES ON のときにも思ったけれど、エレクトリカルな音が面白い。第一印象は「カッコイイ」!
疾走感のあるメロディーにしなるような歌声が乗っていて色っぽい。
で、気を悪くされたら本当に申し訳ないが、黒田作詞から感じるそこはかとないヤンデレ感。
しかし私はこのヤンデレ感がたまらなく好きだ。
見てるだけで良かったのに 友達で良かったのに 手を繋ぎたい そばにいたい 君に愛されたい / To calling of love
僕の存在を必要とされたい 必要とした人を守ってあげられるなら / 心に笑みを
小渕さんもまぁかなり悶々とした妄想癖がほとばしる歌を書いてくれたけれど、黒田さんも相当悶々と自問自答していますね。
面白いのが、ちょっとネガティブ気味なんですよね。
「〜なら」「〜されたい」「〜できない」から伝わる陰と、陰から愛しい人の背中に伸びる手が見える気がします。
毎日、毎日会いたくて でもそんなわけにいかなくて
そばにいたい気持ちが 君を繋ぎ止めてしまうのなら いっそ離れてしまうことが愛なのかな
ンン〜。重い。
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愛が詰まったライブ
冒頭で「まるでライブみたいだなぁ。」と書きました。
それは、1曲目の SUNRISE の「1日の幕開け」=「ライブのオープニング」がリンクしたことに始まり、hana、星が綺麗な夜でした、Twilight、陽だまりの道、とライブで聴かせてくれた温かい愛の歌たちの存在が大きいかもしれません。
個人的な話ですが、私は2014年のライブツアー “陽だまりの道” のことを「生きようツアー」と呼んでいます。
また、2015年の “奇跡” ツアーのアンケートでは一発目に「生命力がすごかった」とだけ一言書かせて頂きました。(著しい語彙力の低下)
でも本当に、「生命力」ってそのまま「愛」なんではないかなぁ。とさえ思わせてくれるんですよね、コブクロは。
そして、血の繋がりだけでない。
どれだけ遠いところにいても届くほどの強い「愛」のことを「家族」と呼ぶのかもしれない。
-
私とTIMELESS WORLD
何故、旅をするのだろう。
と、問いかけられまくる今日この頃です。
昨年の奇跡ツアーでは3箇所に参加し、遠征は二箇所。名古屋と大阪に行きました。
そしてつい最近では、大好きなワンピース歌舞伎を観に福岡は博多まで行きました。
この歌を聴くと、いつもこの日の博多の風景を思い出します。
もっと言えば、劇場に行くまでに通った橋、案内してくれた友の顔、劇場を出て泣きながら歩いた雨の博多。
ワンピース歌舞伎自体は新橋演舞場も行きましたし、「何故、旅をするのだろう」のPVにこの橋が出てくるのもワンシーン。
それでも、私の初めての博多旅に、これほど痛く強くコブクロの歌が刷り込まれているってことが幸せだ。と、思うのです。
福岡も、「一つ増えた帰る場所」 にカウントしても、いいかな?
そして恐らく最もフィーチャーされているであろう 未来 。
詳しい感想はシングルが出たときに書きました。
cf. 『未来』 - そぞ録゙
本当にこの歌をよく聴いていた頃、色々迷っていた時期だったんです。極めて個人的な話ですが。
精神的にも多少は疲弊していたし、リリースされたタイミングも重なったので毎日のように聴いていた。
私に限った話ではないと思いますし、それこそ「未来」だけの話ではないのだけれど、苦しい時期に聴いていた音楽って、オーバーラップするんですよね。
ここ最近のプロモーションで何度未来を聴いても浮かぶのは、武道館の北の丸公園の桜の枝なのです。
小渕さんが「音楽はまるでタイムマシン」だと言っていたような記憶があります。
その曲を聴くと、そのときの匂いや感情、その日の気温や天気も飲んだお酒の味さえも思い出される。
楽しい記憶も、悲しい記憶も、苦しさも悔しさも、聴くたびに思い出せる。
そういう意味でもTIMELESS WORLDは私のタイムマシンのような一枚だと思っています。
だから、今こうして狂ったように聴き込めば数年後の私はこのアルバムの曲を聴けなくなるのではないだろうか。
なるかもしれないけれど、いちいち未来の私なんて気遣ってはおられない。
これが良いことなのか悪いことなのか、また良くも悪くもあるのかもしれないけれど、私は「こうなりたい」「こうありたい」と思いながら生きてはおりません。
流れてきたところにコブクロがいた。
演劇があった。歌舞伎があった。
だから、コブクロも歌舞伎も、好きになろうと思って好きになったわけではありません。
ファンとしても人間としても非難されてしかるべきとは思いますが、10年先もコブクロを好きでいよう!とは思っていませんし、1年後の私がまだ歌舞伎を好きでいるかの保証もできません。
ただ、これまで色んな距離感でコブクロを聴いてきて、彼らの音楽に飽きたり、いわんや嫌いになったりなんてことが一度もなかったということが一つの結果ではなかろうか。
これから先、ライブに行けなくなる日が来るかもしれない。
発売日にCDやDVDを買えなくなるかもしれない。
それでも彼らは歌うし、私は生きるのです。
流れ着いた今日を生きて またどこかへと流れて行くだけさ/待夢磨心〜タイムマシン〜
「コブクロ」として生きてきた二人の人生の中、なんでもない10年間を切り取ったアルバム。
「10年先もコブクロを好きでいるよ!」
なんて宣言はわざわざしないけれど、「コブクロ」という音楽のタイムマシンの行き先が、ゆっくり増えていくのは私の人生の楽しみです。
まずは tOKi meki あたりの手拍子でも練習しておこうかな。
ツチカワ
木ノ下Oh歌舞伎
- NO知識でも理解できた理由
- シンプルなセットと衣装
- 古典に取材するということ
- 木ノ下裕一氏
多田演出『義経千本桜』東京公演の残りステージも…片手で数えられる数になってしまって淋しい限りなのですが、こう言うことを言うと「ふん、どうせ宣伝」とか、「いい気なもんだ」とか思われるかもしれませんが、きっと『義経千本桜』を客席で一番、興奮しながら、ワクワクしながら、観ているのは(続
— 木ノ下裕一 (@KINOSHITAyuichi) 2016年6月9日
…ほかでもない、主宰の木ノ下だと思います。これは(幸せなことに)どの作品を上演していてもそうなのですが、本番を観ていて、「あぁ、今、自分が一番観たいと思っている作品を観ているなぁ!」と感じるんですね。今、自分が一番観たい作品は、自分たちの手で作るというのがモットーなんですね。(続
— 木ノ下裕一 (@KINOSHITAyuichi) 2016年6月9日
…我ながら「結構なひとや…」と呆れないわけでもないのですが、やはり、客席で「そうそう、こういう作品が見たかった!」と思えるのもそう悪いことじゃないとも思ってます。だって、主宰が見たくもない作品を、お客さんにオススメなんておかしな話だしね♪(続
— 木ノ下裕一 (@KINOSHITAyuichi) 2016年6月9日
…自分が見たかった作品だから、多くの方に見てほしい、で、もし、その楽しさ・面白さが分かち合えたら嬉しいし、分かち合えなかったとしても、そこから議論が生まれるはずだから、これまた嬉しいことだし。そんなことを考えながら、今日も劇場で皆さんをお待ちしてます。
— 木ノ下裕一 (@KINOSHITAyuichi) 2016年6月9日
可愛い
足かっっっっわ
— つっちー (@aytk5296) 2016年5月23日
團菊祭夜の部総括「かわいい」
— つっちー (@aytk5296) 2016年5月23日
いやしかし、三階の上空から観る所化ズは圧巻の可愛さだぞ
— つっちー (@aytk5296) 2016年5月23日
このザマ
一応、いつものように観劇日記に感想を書いてみたんですけどね
初めて四つも演目観たっていうのもあってまだ三人吉三までしか感想書けてないし、感想っていうかただの「かわいいみっくん記録」みたいになってる
— つっちー (@aytk5296) 2016年5月23日
そして結論
五月中に團菊の感想なんかをブログにまとめたりしたいなぁなんて思ってた所存なんだけど、ことのほか「可愛い」しか出てこなくて語彙朽ち果てたからブログにするほどの作文ができませんでした(言い訳)
— つっちー (@aytk5296) 2016年5月31日
諦めた
ここまでボキャブラリーに支障きたしてると、書く気も起こらなければそれ以前に読む気にならないだろうなっていうのは想像に難くないんですけど。
それでも「観たお芝居の感想は書く」というポリシー、
まして歌舞伎は初心者だから、たいていの演目が初めましての状況だし、初めて観た演目について記録しておこう!というメモ代わりと致しまして
私の観劇日記に書きなぐった「可愛い記録」を垂れ流していきたいと思います(強行)
人生初の歌舞伎座は晴天!
そもそもこの團菊祭、五代目尾上菊之助丈のご長男、寺嶋和史くんの初お目見得の公演。
2歳。
お分かりですね。はい、この時点で一つ目の可愛いをクリア。
夜の部一つめ、勢獅子音羽花籠にて、ととに抱っこで花道を出てきてご挨拶。
…はできずにお顔隠しちゃう。扇子もポイッ。
でも、レポ見てると毎日同じタイミングで同じ掛け合いでお顔隠したり扇子投げたり、一つの流れというか型になっていたなぁ、というじゅふたん。
何より2歳児が、ぐずりもせず、あの人数の前で25日間あれだけ大きな舞台に出続けるっていうのが奇跡ですよね。よく頑張ったね。
会場中が、未来の歌舞伎界を担う小さなスターの門出を祝うような、温かくてハッピーに溢れた空間と時間でした。いいものを観させていただいたなあ。
これは余談ですが、当初買うつもりなかったじゅふたんの写真も買いました。天使。
そしてその勢獅子にて獅子舞を勤められたのがそう!我らが坂東巳之助丈。
イヤホンガイドでは「獅子舞の中は一体誰でしょう〜」などと言っておりましたが、連日Twitterの住民と化している私はもう先刻ご承知。(ごめんなさい)
ペアの尾上松也さんとの身長差、体格差ですぐわかるよ、というところまで承知しておりましたので、今か今かと獅子の登場を待ち、いざ出てきた途端
(キタ獅子だーーーーッ)
足しか見えないお獅子、巳之助さんは後ろ足を、前足の松也さんとともに息ぴったりに操る。
一方の私は、この世の気持ち悪いものを一挙に顔面に集めたみたいな顔でお獅子の足を目で追う展開。通報されなくてよかった。
低めの重心、かと思えば後ろ足の逆立ち(あれ巳之助さんですよね?)、そしてお眠お獅子の足ポリポリ……
これだけ可愛いおみ足を披露しておいて最終的に獅子をとった見得がやたらかっこよかったことは許しません。
30分足らずの演目でしかもほとんど足しか見せていないのにこの有様です。冒頭一つめのツイートは、勢獅子直後の幕間で呟いたものです。
続いての三人吉三、浅草歌舞伎以来2度目。
お嬢の菊之助さんがとてもよかった…
女→男に変わる瞬間の「俺ぁ盗人だよ」はやっぱり聞くたび興奮する。
私の中でお坊は「育ちがいい故にチャラい」イメージがあるのですが、海老蔵さんがすごく大物感あって「こんなお坊もあるのか」と思わされました。
席のせいもあるのか私のせいかわからないけれど、和尚のセリフが聞き取れない箇所が多くて少し残念。
比較対象が浅草歌舞伎しかなくてお恥ずかしい。
浅草での梅丸おとせちゃんが本当に可愛らしくてあどけなくて、それゆえに犯罪臭(まぁ川に落とされてる時点で強盗殺人未遂なんだけど)が濃かったのに対して、右近おとせちゃんが普通に色っぽくて、タイプが違うけど「アリ」だなぁ…なんて思える初めての経験をしました。
同じ演目を違う役者で観るという初体験。
ややこしい。
「巳之助さん出るのはあと最後だけかァ〜」なんて油断しながら筋書読んでたら3番目の時今也桔梗旗揚にもお出になることが発覚(雑なファンでごめんなさい)。
とは言っても、萬太郎さんと一緒に春永の家来の森力丸として出てきて、萬太郎さん演じる蘭丸はかなりセリフもありましたが、力丸はほとんど座っているのみ。
ですので突然セリフが出てきた時は思わず(みっくん喋った!!!!)と思ってしまいました。目が覚めました。
黙って座っている間、ホント芝居観ろって話なんですけど私は何をしてたかっていうと
力 丸 く ん の 瞬 き を み て ま し た 。
3階席からでも目視可能なパチパチ瞬きが可愛い。
それと多かったのが衿を直す仕草。
後ろ姿でやられた(敬語)ときにはやられ(受身)ましたね。
4回を数えたところで断念しましたがその後も何度かやっておりました。
ほんと集中して芝居観ろ。
蘭丸力丸の同い年ペア、カラフルなお衣装が可愛かったですね。
※イースターじゃないよ。
そして夜の部最後を飾るのは男女道成寺!
團菊ペア、市川海老蔵丈と尾上菊之助丈の踊りも拵えも綺麗だった……
海老蔵さんの歌舞伎のお芝居を観るのは初めてだったんだけど、なんていうかやっぱり綺麗な人ですね。
一つここでも残念だったことがあって、白拍子花子が何度か衣装がくるくる変わるんだけど、注意力垂れ流し娘との悪名高い私、「あぁなんか菊之助さんの着物から紐みたいなん取れた」と思った次の瞬間に目を離し、目を離したまさにその隙に衣装が変わるという思い出すだに微妙に悔しくなる経験をしました。
誰のせいでもない…
さてここでは最後の最後所化で登場します坂東巳之助丈(まってました!)
「ノールック」「横ギバ」「可愛い」につぐ「可愛い」
とやたらTwitterで単語だけ溢れるように流れてきた演目だったので期待していたのですが期待以上に可愛い所化ズ。
とにかく人数が多い。
私は安定の3階貧乏席での観劇だったのですが、上から見る所化さんがたの頭が圧巻の可愛さ。
力丸と対照的なコンパクトなお衣装をお召しになった巳之助さんはすごく華奢でした。綺麗。
そして「天蓋!」「般若湯!」と盛り上がる所化たちの言葉にいちいち反応する清浄坊の表情が可愛い。
ここでも同い年ペアの萬太郎さんとの踊りの場面があるのだけど、柔らかくて癒される。
かと思えば巳之助さんの横にコテンッと転がる振り、噂の横ギバ、「これか!」という思いと「かっわ(可愛い)」という思いが変な声となって口から出てきました。許すまじ。
所化さん達の出番の最後、手ぬぐいを投げる場面は噂に聞いていた「ノールック」を目の当たりにすべく、巳之助さんにのみ注目しました(愚か者)。
ノールックやりました。
なんとも言えぬニヤケ顔を炸裂させた直後、わーっと腕を上げてはけていく所化さん達。もとい巳之助丈。
このあたりでは既に私の中の「可愛い」はゲシュタルト崩壊しています。
おわかりいただけましたでしょうか。
以上が私が観てきた團菊祭です。
四月に観に行った明治座では、葛の葉に泣き、女殺油地獄がトラウマになり、浮かれ心中で心が温かくなり……
比較的演劇を観ている感覚だったのですが
まさか自分が歌舞伎を観て帰ってきて「可愛い可愛い」連呼する日が来ようとは思いもしなかった。
アイドルヲタクってこんな感じなのかなぁ…なんて遠い目の先に新世界を見たような気さえします(双方に怒られそう)。
さて、私はこの記事で何回「可愛い」と言ったでしょう。
私は数えていないのでわかりません。
数える気もありません。
ツチカワ
最初に貰ったポケモンばっかり使うからレベルが桁違いに高い
2人組になって1人に図形や絵が描かれたプリントが渡され、その図形なり絵なりを「文章」でもう1人に伝え、もう1人がその文章から逆に図形を想像して描く。
- 「三角、丸、四角が縦に並んでいて、真ん中の丸には黒い矢印が刺さっている。」
- 「三角は水色の水玉柄で、下の四角は赤色。三角から手が生えて万歳してて、四角から足が生えてて直立している。」