夢幻恋双紙〜赤目の転生
暗くて湿ったループの一片を観た。
初めて赤坂大歌舞伎を観てきました。
今年の演目は『夢幻恋双紙〜赤目の転生』
蓬莱竜太さん作・演出の新作歌舞伎です。
よくわからないことを言いますが、ポスターに書かれている「愛する女のために転生する男」と「愛を貫き運命に翻弄される女」というコピーが予想と360°違っていたという印象。
元々はラーメンズのコントから演劇の沼に入り、現代劇を観続け、アングラや小劇場に興味を持ち、ひょんなことから歌舞伎の深みにハマるという観劇遍歴を持つ成人女の感想です。
すごく現代劇だなあ、と感じました。
出ている人物はもちろん皆着物を着て、舞台は長屋なのだけれど、人々の台詞の端々から感じる価値観が現代の我々に極めて近いと感じたのです。
一太郎と二太郎の場面では「愛とお金どっちが大事?」という現実感を突きつけられたし、二太郎と三太郎では「友情とは?」という少し野暮ったくて朴訥な疑問を投げかけられた。
また、出てくる登場人物全員に少しずつ自分を投影できてしまう居心地の悪さみたいなものを感じました。
誰の台詞にも共感できるところがあったり、かと思えば誰かの台詞が自分の胸に刺さる。
自分は観客として観ているだけなのに、気持ちの端っこがお芝居に巻き込まれるような錯覚に陥りました。
しかしながらそれでいて、歌舞伎でよく見かける「因果」という流れが見えるようになっている。
前世の因果も来世の報いも、全てが明け透けになっていて、全てを知っているのは俯瞰している観客のみなのが辛いところ。当事者は何となくその赤目に残る記憶だけを頼りに、因果から逃げるように転生しているのを私(たち)だけが知っているのがとても苦しかった。
三太郎の場面が終わり、またいつものように源乃助が太郎を転生させにやってくる。
そこで太郎はループを断ち切ろうと源乃助を殺し、このループの全貌がわかります。
源乃助と歌の「兄妹の恋が生む因果」もなんだか歌舞伎っぽいな〜と思ったり。
出てくる4人の太郎に歌の父親が必死に声をかけるところも、三太郎に言う歌の「ずっと好きな人がいる」も、結ばれてはいけない兄妹のお互いへの想い。という悲しさ。
終演直後に殴り書きしたメモそのままでたいへん恐縮です。
源乃助を殺したあとのループは、物語冒頭の「ドラえもん」のくだりになっているので、初めに戻ったのかな?
と思いつつ、源乃助の中の人(役者)が太郎(の中の人)になっていることを、役者=魂のように考えると中身が変わったりしている…?
などとも考えてしまいます。
もしかしたら、そのまま初めに戻ったのではなくて、最初に通った展開とは少しずれながら渦を描くように転生は繰り返されるのかもしれないけれど、歌にも太郎にも源乃助にもきっと幸せが来ないことはわかっているのが物語の救いのないところ。
そして救いのない物語は意外に大好物であります。
古典歌舞伎でも吉野川だとか寺子屋だとか、救いのない物語は色々あるけれど、そんな大時代の抗えない波の話ではなくて、一つの町単位、なんなら一軒の長屋の中だけの世界の、救われないループのお話。
先に載せたループの形よりももう少し大きいかもしれない。そのたった一部を私達は目撃しただけかもしれない。
これだけ「現代劇みたいだ現代劇みたいだ」と言っておきながら、タイトル通り夢みたいだとも思ったんです。
(というかテーマが「転生」っていう時点でだいぶファンタジックですけどね)
観る前からなんとなく話題になっていた切り絵のセット、既視感があるなあと思ったら
読んだことはないのですが小学生の頃校長室の前に置いてあって、なんとなくこの独特の雰囲気が怖かった思い出があります。読んでみよう。
これだけリアルなお芝居を観せられているのに、背景がすごく抽象的で。太郎が転生するたびに「夢を見た」と話す言葉も相まって、ずっと終わらない夢を見せられているよう。
遠い星の、日本の江戸時代に限りなく近いところの人々の話を見ているような不思議な感覚でした。
冒頭からずっと「鶴松くんのキャラ、ウザ可愛いww」と思っていたのですが、ウザ可愛いがどんどん広がっていき、深くなり、静という人物の生々しい人間らしさに変わっていくのを見てゾクゾクしました。
一太郎、二太郎、三太郎、どの場面の静もそれぞれ違った女の子でしたが、やっぱり一番人間味がある。
自分の持つ嫌な感情が共鳴してしまうという点で、ドロドロして一番気持ちが悪かった部分ではありますが二太郎と静の繋がりが心に刺さったように感じます。
可愛い鶴松くんしか知らなかったのでドキドキした………
今回は二階席から一応双眼鏡も携行してはいたものの、途中から使わずに観ていましたが、いてうさんと猿弥さんが鶴松くんと同じ年頃の子どもに見えたことに感動……改めてすごさを感じました……
二太郎の場面では、経済面での心配はゼロで父親もすっかり持ち直し、何不自由なく暮らしている中で、太郎だけが。三太郎の場面では、歌と剛太が結婚し、静も子どもを身ごもり、幸せムードの中でやはり太郎だけがまるで違う世界にいるようでとても辛かった。
これまた「好きな人といることが必ずしも幸せなのか」と普遍的な疑問を投げかけられたような気がします。
私は今回おそらく初めて蓬莱さんのお芝居を観たのですが、これは一からの新作歌舞伎ということで。コクーンのように既存の歌舞伎の演出も機会があれば観てみたいなあ、なんて思ったりしました。
その時もやはり、世話物がいいです。(笑)
こういった新作歌舞伎が上演されるたび、歌舞伎以外の役者が歌舞伎の演目をアレンジして演じるとき、しばしば言われる「歌舞伎とは何か」という問いについては、私は専門に勉強をしたわけでもないし、いわんやその分野で学士を取ったわけでもないので、明確なことはわかりません。
が、感覚や価値観がすごく現代的だと感じました。言い換えれば、物語の中を生きる彼らは、現代を生きている私となんだか考え方が似ているなあと思ったわけです。
有り得ないことですが、江戸の人々がこのお芝居を観た時にどう思うんだろう?何を感じるんだろう?今現代の我々が古典歌舞伎を観た時に「共感はできないけど理解はできるし感動した」と言うように江戸時代の人たちも感動したりるのだろうか?
と感じずにはいられませんでした。
元々パスしようと思っていた赤坂大歌舞伎ですが、評判があまりに良く、私好みの演目だと聞いて急遽観劇しましたが、観てよかったです。
すごく面白くて、居心地悪くて、内臓が苦しくて、見応えのあるお芝居でした。大好き。
このお芝居を通して誰でも持っている闇だとか、普遍的なテーマだとか疑問だとか、たくさん心に投げかけられた気がしましたが、一つとして答えは出ていません。。
ツチカワ
ユースフル義経千本桜
『義経千本桜』というお芝居があります。
私の大好きな演目ですがめちゃめちゃ長いお芝居です。
話の始まりは、屋島の戦いで平家が滅亡した後のこと。
「義経」千本桜とは言いながら、義経はそれほど出てきません。むしろ義経が出てこない段も結構あります。
史実では亡くなったとされているが実は生きていた知盛、維盛、教経をメインに描いたお話です。
今日は平知盛のお話をしたいと思います。
知盛は、二段目の「渡海屋・大物浦の段」の主人公です。
落ちのびた知盛は渡海屋の主人銀平として、女房のお柳に身をやつした典侍の局とともに、同じく娘お安に身をやつした安徳帝を守っています。そこへなんと、義経一行が船に乗るためにやってきます。これまでの源氏への恨み、平家の再興をかけて義経一行への奇襲を敢行します。知盛の運命は…!?
ってな感じのあらすじなんですが、私はこの演目が大好きです。大好きとは言っても、生で観たことがあるのは染五郎丈の知盛に、猿之助丈の典侍の局という座組のものを2回だけ。
映像では吉右衛門丈の知盛に雀右衛門丈の典侍の局の座組を1度観たくらいであります。
歌舞伎公演ではありませんが、木ノ下歌舞伎という劇団の「渡海屋・大物浦」を観たこともありました。一部現代アレンジを加えながら、ここに至るまでの平家の栄枯盛衰をわかりやすく上演してくれているものです。
なかなか大時代の話だし、言葉も多少わかりにくいですが、内容がわかるとすごくドラマチックな演目だと思うんです。
今月は、その「渡海屋・大物浦」を2度目の座組で観てきました。
昨年6月には源義経を勤められた尾上松也丈が、今月は主人公の平知盛を勤められています。
初めの渡海屋での一番好きな場面。
するとにわかに足が攣ってしまうのです。弁慶はここで何かを感じ取りますが、女房たちに不思議そうな顔をされると「いやあ小さくても女の子だな!」と誤魔化すようにして部屋を出るのですが、完全にフラグですよね。ビンビンです。
全てを察していた義経の指図で弁慶はこんなことをしたのですが、もうここから何か起こるっぽい感じビンビンなのが露骨に好きです。
銀平女房のお柳が義経一行に「うちの人(銀平)は天気を見る名人なのよ!この間もこんなことがあって云々…」とベラベラ喋り倒す場面があるのですが、ここの場面もとってもキュートで大好きなのです…!
お柳(実は典侍の局)は中村壱太郎丈が勤められていますが、先月の傾城反魂香での女房おとくがかなりハマっていたので楽しみにしていました。
やはりお茶目な世話女房っぷりが素敵だったし、超ドライ対応な義経との温度差も最高でした(笑)
この源義経ですが、普段は女方を多くされている坂東新悟丈が勤められています。
『義経千本桜』でも「川連法眼館の場(四の切)」や、『勧進帳』なんかの義経は、私の中では「儚くて美しい」イメージがあるので、女方さんがされるのもわかるけれど…
新悟丈も立役をされることはありますが、私のイメージでは「ナヨナヨした和事みのある二枚目」だったので、「渡海屋の義経じゃもう少し男らしくないといけないんじゃ…!?」と少しドキドキしたのですが、全くの杞憂。とってもかっこよくて男らしい大将でした。
もちろん、強くて男らしいだけではない影の部分も必要だと思いますが、そのへんの儚さはデフォルトで備わっているので心配は無用です。
続いて、渡海屋奥座敷。
出で立ちも改めた典侍の局と安徳帝。その他官女たちが心配そうに知盛たちの戦況を案じているところです。
そこへ、ご注進の相模五郎がやってきます。義太夫に合わせてテンポよく踊りますが、内容は吉報ではありません。平家の劣勢を伝えに来ているのです。後に続く入江丹蔵も斬り合いの末に敵もろとも刀に刺さって入水します。
相模五郎と入江丹蔵は、中村種之助丈と尾上右近丈が勤められています。
渡海屋の場面でやいやい言っては銀平にこらしめられ、投げ出され…魚づくしの可笑しくて可愛いコンビは、実は奥にいる義経たちを油断させるための自作自演だったのです。
滑稽で愛らしい2人の壮絶な最期ですが、かっこよくて好きな場面でもあります。下手側の席だったから、よく見えてよかった!
このご注進を見るたびに少しずつ局の顔に諦めの色がさしてくるのが心が痛い…
もう後はない、源氏に滅ぼされるなら自ら海の底の都へ行こう、とこの世へ暇乞いをする幼い帝が泣けます。
帝が、神のいる方角と仏のいる方角に向かい
「今ぞ知る みもすそ川の流れには 波の底にも 都ありとは」
と立派に詠むと、こんな立派な歌を宮中で詠んだならどれだけみんな喜んだろう!と一同が嘆く様子がさらに悲劇的です。
いざ飛び込まん、ってときに典侍の局の言う「八大竜王、恒河の鱗屑、君の行幸なるぞ、守護し奉れ」に号泣。今まで気にしたこともなかったのに。
それまで帝を優しく見つめていた局が、あろうことか神に向かって強気の言葉。
典侍の局は帝の実母ではないし、知盛の妻でもない。八十一代天皇 安徳帝の乳母であることの誇りと気高さを感じたのでした。
結局、局と帝は源氏方に止められ入水はせず。
クライマックスの大物浦です。
痛手を負って息も絶え絶えの知盛ですが、義経を目の前にして絶対殺してやると何度も立ち上がります。義経が「安徳帝はしっかりお守りするから安心しろ」と言っても、そんなのは当たり前だ!恩に着せられるいわれはない!とさらに腹を立て、弁慶が首にかけた数珠も引きちぎります。
が、帝の「朕を供奉し永々の介抱はそちが情け。今日また我を助けしは義経が情けなれば、仇に思うな、これ知盛」の一言で知盛の義経への、源氏への恨みの連鎖が断ち切れるのです。典侍の局もまた、その言葉を受け入れ、自害します。ここの壱太郎丈の散り際が本当に美しいんだ。それまでも何度も出てきた義太夫の「うちまもり」って詞がぴったり。優しい目で帝を見つめてから息絶えます。
安徳帝、ほんとに物語に大事なことばかり言うんです……
あんなに源氏への報復しか考えられなかった知盛が「昨日の敵は今日の味方」と、自分の命より大事に守ってきた玉体を義経に預けることができたっていうことこそが、知盛が平家の呪いみたいなものから解放されたってことなんじゃないかなあ。と思うとこれは知盛の悲劇でありながら、知盛があるべきところに還れたのかもしれない。少しだけ救いがある気もする。
崖をのぼりながら義経と交わす「さらば」には心なしか友情すら感じられました。
父清盛の報いを受ける知盛。実の兄頼朝に追われる義経。
きっと一本気で真面目で熱くて実直だったんじゃないかな、知盛。出会う時代が違ったら、違う出会い方をしていたら、もしかしたら義経と知盛は強い仲間になっていたかもしれない、と「さらば」の一言から感じたのです。
さてこの花形歌舞伎の筋書、歌舞伎初心者が来ることも想定してか人物相関図なるものがついていますね。私は登場人物が多いとすぐキャパオーバーになるのでありがたい限り。
ここで、言われて気づいたのですが、知盛と安徳帝は叔父と姪の関係になるのでしょうか。血縁がある…?
ずっと「ただの主従関係」だと思っていたので、随分今回の知盛は未練があるなあと思ってたんですが、そうだとしたらなんだか少しわかる気もしますね。
私の大好きな『義経千本桜 渡海屋・大物浦』のお話をしましたが、これに限らず、若手の公演のしんどいところって、役の年齢と実年齢が近いところにあると思うんですよね。
以前は中堅の花形世代のを観ました。今月観た座組より一周りは上の世代です。来月は人間国宝レベルの座組を観る予定です。
もちろん経験値も違えば安定感も変わってきますが、同じような年齢の役を同じ年頃の役者が演じることのリアリティーってなんとも言えなくて好きです。
平知盛は34歳で亡くなったと伝えられています。知盛を勤められたのは32歳の尾上松也丈。
源義経も30歳に亡くなっているので、きっと20代の頃でしょう。坂東新悟丈は26歳です。
典侍の局が8歳、9歳の安徳帝の乳母をしているということは、自身にも同じ年頃の子どもがいたのでは…?想像ですが、今より適齢期が早いことを考えると、同じく26歳の中村壱太郎丈と同年代と考えてもいいのではないでしょうか。
今より寿命が短いとはいえ、まだ先のある若い命がぶつかり合う大物浦がまるで身近にあるような気持ちになるお芝居でした。
大好きな『義経千本桜』の一部について、先日観劇した大阪松竹座のお話をしましたが、長い長い狂言です。
「頼朝を討て」との院宣が隠された鼓をめぐるお話や、他に落ちのびた平維盛や平教経のお話もあります。
それこそ役者さんやそれぞれのお家によって、演出に特色があったりする場もあってとっても面白いですし、何よりストーリーがとってもドラマチックなので機会があればぜひご覧ください。
ツチカワ
新春浅草歌舞伎
明けましておめでとうございます。
今年も観て参りました。
新春浅草歌舞伎!
今年は眼力強めのゴリゴリポスターにて。
昨年の爽やか好青年風ジャンピングポスターの新春浅草歌舞伎が私の初古典歌舞伎でしたので、歌舞伎を観始めて約一年が経ちました!
(大学生の時に観た歌舞伎鑑賞教室の『芦屋道満大内鑑-葛の葉-』は自主的な観劇ではないのでカウントしません)
メンバーは変わり、当然演目も違います。殊に若手役者さん方は成長スピードが早いと聞きますので、一年前の舞台とはガラッと変わったお芝居だったことでしょう。
「ことでしょう」というのも、昨年の新春浅草歌舞伎、私ワンピース歌舞伎で中村隼人丈に一目惚れをして中村隼人丈を見に行っていたようなものなので、通して観ているはずの新春浅草歌舞伎なのにほとんど記憶がありません。
愚の骨頂
さて、愚の骨頂にあぐらをかいて君臨していた当時の私でございますが、この一年での成長をちょっと聞いてください。
推しが増えた
昨年、新春浅草歌舞伎マイ初日時点で私の目に映っているのはもちろん中村隼人丈。
しかしながらマイ千穐楽時には何やらツイートにチラホラ「坂東巳之助」の文字が。
『義経千本桜』の「四の切」の亀井六郎の記憶すらないのに何が坂東巳之助だ、という感じもする。
『義経千本桜』川連法眼館の場(四の切)より亀井六郎イメージ画像です
その後も四月の明治座花形歌舞伎や歌舞伎夜話、トドメの歌舞伎女子大学で坂東新悟丈に落ち、六月の通し狂言『義経千本桜』では澤瀉屋に落ち、八月納涼歌舞伎では中村屋に落ち、通し狂言『仮名手本忠臣蔵』では「やっぱり隼人さん素敵」となり…他にもいろいろ…
若手はもちろんのこと、花形や若手の親世代、幹部、人間国宝…かと思えば初お目見えしたばかりの天使や初舞台をしっかり勤め上げるあどけない男の子たちなんかも!
この一年でたくさんの役者さんと出会えたと思います。
わかる演目が増えた
そんなこんなで最初こそ「好きな役者が出ている興行だけ…」なーんて言っていたわけですが、「好きな役者」が増えれば必然的に観る舞台も増えるもので、四月の明治座花形歌舞伎を皮切りに現在に至るまでノンストップで毎月歌舞伎を観ています。
ひと月に一度だけ通しで、ということもあれば同じ演目を何度もおかわりしたこともありました。
国立劇場と歌舞伎座、なんてこともありましたし、ひどい時は巡業と地方公演が被ったりもしました。血も涙もない。
木ノ下歌舞伎や、歌舞伎女子大学など、歌舞伎の演目を題材に取った現代劇もいくつか観ました。
とりわけ、『義経千本桜』の渡海屋・大物浦や『菅原伝授手習鑑』は劇的に気に入って、関連書籍を読んだり絵本まで買ったりしました。
だんだん、イヤホンガイドなしでもわかる演目が増えていくのが嬉しかったし、演目発表されたときには「わ〜これかかるんだ、楽しみ!」と脳内でイメージを結びつけることもできました。
好きな役者が「このお役をやりたい」と言ったときにそのイメージを共有することも、「〇〇さんの△△役見てみたいなぁ」なんて妄想することも少しずつできるようになってきて、ずっとずっと歌舞伎を観るのが楽しくなっています。
そんなわけで新春浅草歌舞伎2017
中村隼人丈を見るためだけに行っていたと言っても過言ではない昨年の新春浅草歌舞伎。
あれから一年、いくら私がパワーアップしたからとて役者さん方の努力や成長をとやかく評価できるほどの立場になった訳ではありません。
些か勝手ではありますが、役者さんというよりも私の成長を踏まえて今年の新春浅草歌舞伎の感想をお話したいと思います!
やっぱり印象に残ったのは『傾城反魂香』
時の帝の勘気を受け、絵師・土佐将監は妻の北の方と山科の国に隠れ住んでいる。その里に虎が出没する騒ぎが起こり、弟子の修理之助は我が国に虎は住まぬのにといぶかる。そこへ裏の藪から巨大な虎が出現。驚き恐れる村人を尻目に、将監はこの虎こそ名人狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものと見破る。修理之助はわが筆力でかき消さんと筆をふるい、見事に描き消す。弟子の実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書とを与える。
これを聞いた兄弟子の浮世又平は妻のお徳ともども、師に免許皆伝を頼み込む。又平は人がよく絵の腕は抜群なのだが、生まれついての吃音の障害を持ち、欲がない。折角の腕を持ちながら大津絵を書いて生計を送る有様である。そんな弟子にいら立ちを覚えた師は覇気がないとみなして許可しない。妻のお徳が口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。
折しも元信の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
何をやっても認められない。これも自身の障害のためだと絶望した又平は死を決意する。夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。「名は石魂にとどまれ」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心した将監は、又平の筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、元信の救出を命じた。
又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞を舞う。そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。将監から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。
Wikipediaより引用
初見だったのであらすじを読んで、夫婦愛と少しのファンタジーな感じ、以前観たことのある『壷坂霊験記』みたいな感じなのかな…?と思っていました。
結果として、奇跡は起こるけれど、決して奇跡自体の話ではなく「又平が命をかけた作品を作り出した」ことを表現するための奇跡だったのかなあ、と観てみて感じました。
途中辛辣な場面はたくさんあるけれど、何が辛いって「誰も又平をイジメようとして突き放している訳ではない」ということ。
だからこそ、又平の渾身の作品を見た周りの人間の顔が清々しく晴れやかで、こちらも嬉し涙を流すことができたんだと思います。
本当に、とりわけ北の方の辛そうな顔と、着物を持ってくる優しい顔が頭から離れない…
壱太郎丈のおとくがまた、又平のことを大好きなんだろうなぁ…と見てとれるような女房っぷりで、これだけ惚れさせるものが又平にはあるんだろうと思いましたが、絵がすり抜ける奇跡を見ればもうわかりますよね。
将監もおとくも惚れたであろう又平の絵の才能がこれからもどんどん開いていってほしいと思うし、この夫婦がもう「今生最後の絵を」なんて悲しい絵を描かずに生きていけたらいいと思う。
土佐将監は、決して「障害があるから」と又平をえこひいきもしなければ差別もしなかった。
きちんと絵を見て、絵の力で評価してくれた。
又平はいいお師匠様に師事したね…と思ってしまいました。
余談ですがさっきお話した『壷坂霊験記』はこれよりかなり「夫婦愛が起こす奇跡」に寄っていますが、ハッピーエンドだしわかりやすいし普通に号泣するしで私は大好きな作品なので、機会があれば観てみてほしいと思います。
⇒http://www.tsubosaka1300.or.jp/report.html
続いては二部の『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』より 角力場。
こちらも初見です。
吾妻というめちゃめちゃ可愛い遊女の身請をめぐる二人の関取のお話です。
と言っても、関取が身請をするわけではなく、それぞれの関取を贔屓にしているボンボンの若旦那と、お役人さんたちのバトル。当時は贔屓は全力で関取をサポートし、関取も出来る限りのことを返していたそうです。
ここで出てくるお役人の贔屓は尾上松也丈演じる放駒長吉、若旦那が贔屓にしているのは中村錦之助丈演じる濡髪長五郎。
「長」吉と「長」五郎で、タイトルの「ふたつちょうちょう」になるわけです。
このへんのことは全部イヤホンガイド先生が教えてくれました。初めて歌舞伎を観る方は試しに一度使われてみてほしいと思います。
そしてその濡髪を贔屓にしている若旦那こそ中村隼人丈演じる山崎屋与五郎なのです。
このお役はいわゆるつっころばしと呼ばれるお役で、突っついたら転んでしまいそうなナヨナヨした二枚目の立役です。これがまぁぁぁぁ合ってる!!
フワフワしてて地に足がついてなくて吾妻大好き濡髪大好きな可愛い人。
品が良くて憎めない隼人丈のキャラクターも相まってすごく大好きなお役でした。
中村梅丸丈演じる吾妻ちゃんと与五郎くんのツーショットがあまりに美男美女だったり、推しの濡髪を褒められて身につけているものを片っ端からあげちゃうガチオタっぷりが話題になっていました。私の中で。
オタクに対しては推しを褒めておいて損することはありませんよ。
どうやら一般的にはこの放駒長吉と山崎屋与五郎は同じ役者が早替わりで勤めることもあるそうですね。
(二年前の平成中村座では、中村獅童丈が二役勤められています⇒http://www.kabuki-bito.jp/sp/play/titleCast/282)
隼人丈は美しい二枚目ですが、体も大きくてしっかりしているので二役バージョンも見てみたいなあ…
長吉と濡髪の大人の理屈はわかるんだけど…なやり取りがもどかしかったですね。
長吉にはこの先もその少し子どもっぽいようなスモーマンシップを忘れない関取になってほしいです。何言ってんだか。
打ち出しは賑やかで楽しい『棒しばり』!
かねてよりずっと好きだ好きだと言いふらしていたこの演目をやっと生で観ることが叶いました!
大好きすぎるあまり何度もDVDで観たり、衛星放送で片岡愛之助丈と中村壱太郎丈のを観たりしていたのですが、やっぱり一番観ていたのは坂東三津五郎丈の太郎冠者と中村勘三郎丈の次郎冠者。
これがまた可愛いおじちゃんたちなんです…もうきっと大きめの図書館なんかには置いているはずだから観てみてほしい…
さて念願叶った巳之助丈の太郎冠者で棒しばり!次郎冠者は尾上松也丈。
なんだか私が思っていた棒しばりよりベロベロに酔っている…!?
拭いきれないパリピ感に「おいもうそれ以上飲むな!」と思わずにはいられないような。
若いからどうの、未熟だから云々、とかではなく、27歳現在の巳之助丈と31歳現在の松也丈のコンビ。今この瞬間のこのコンビが浅草公会堂というロケーションだからできたこの時限りの棒しばりだと思います。
大名は年少の隼人丈。
「さては普段から太郎冠者と次郎冠者にイタズラされてるな?」なんて日常も見えそうな三人の棒しばりがとても楽しくて、より大好きな演目になりました。
コンビの踊りですから、お相手が変わればまた違いますし、前回の歌舞伎座とは空間も変わります。
(太郎冠者は2015年の納涼歌舞伎で踊った、ということを受けて)
と、筋書インタビューで巳之助丈も言っていますが、きっとこの先歳をとったりペアが変わったり、劇場が変われば同じ舞台は観られない。これがライブの醍醐味だと思うんです。
もうこの世にはいなくて観られない人がたくさんたくさん居る中で、ここから先、棒しばりに限らずともきっと何十年、巳之助丈はもちろん彼らの踊りやお芝居を観ていけると思うと幸せです。
なんてことを考えつつ、次郎冠者もたいがいだけど太郎冠者は少し飲む量とかアルコール度数を考えた方がいいと思いました。初めてお酒飲んだ高校生か。
あとこの一年で私が大きく成長したと思ったのは、吉野山などの清元の舞踊や、鈴ヶ森みたいな照明が薄暗くなる演目で寝ることが少なくなったことですね。
昨年の新春浅草歌舞伎において『土佐絵』の記憶が全くないという大失態は言わずもがなですが、どうも清元の美しいメロディーは眠くなるようで。
これは好きな役者が増えたお陰でガッツリ観られるようになったんじゃないかなあと思います。
一年前の自分にレポート2000枚分くらい坂東巳之助、坂東新悟、中村橋之助(当時国生)の魅力をしたためてプレゼンしたい気分。
役者から入るって意外と大きいかもしれないよね。どんなに難しくてもわからなくてもとりあえず好きな役者は見ていたいもんね。
というわけで
昨年も楽しかった新春浅草歌舞伎ですが、今年は何倍も楽しくなりました!
詳しくなったら細かい面ばかり見えて面白くなくなるんじゃないか、と思っていたけれど、話の内容や時代背景、役者なんかを知っていれば俄然物語や舞踊を深く見ることができるし、深くまで見えればもっと大きく感動できるんだ、ってことがわかりました。
「楽しもう」という大前提のもとに勉強していなければ当然楽しめなくなってしまうと思うけれど、「楽しいエンターテインメント」「辛い時の現実逃避先」として歌舞伎と出会ったので、私は来年の新春浅草歌舞伎も今年より全力で楽しんで参りたいと思います。
来年は何がかかるのかな。
誰が出るかな。
すし屋 で新悟ちゃんの弥助が見たいな。
正月から重すぎるなあ。
こんな妄想ができることが楽しいです。
来年の私ももっと歌舞伎好きになっていますように!
ツチカワ
2016年心に残った舞台オブ・ザ・イヤー
今年も割とそれなりにたくさん舞台を観ました。
ワンピース歌舞伎から入ってきたニワカということもあり、一月の新春浅草歌舞伎を皮切りに(ほぼ)毎月歌舞伎を観ていたと思います。
ドン!
下半期にやや狂気しか感じない
ノミネート作品はこちら。
1.『うるう』(於:いわき芸術文化交流館アリオス)
4年前に上演されたものの再演。4年前は銀河劇場に観に行っていますが、今年は福島まで遠征しました!
冷たい北の空気がほんのり混じる中に、宮沢賢治のエッセンスをちょっぴり取り込んだような『うるう』の雰囲気がぴったりでした。
4年前、私はまだまだ夢に夢見るうら若き高校生でありましたが、今はそれなりに厭世観も帯びてきたフリーター。「4年」というものの大きさや長さ、積み重ね、別れ、あの頃と同じ感動も異なる感想も、いろいろ出てきた大好きなお芝居。
ちなみに、私が初めて観に行った舞台は、4年前の『うるう』でした。
2.スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』(於:博多座)
ハイ!私の原点!ワンピース!
と言っても新橋演舞場の初演の頃には『ワンピース』の話なんて全く知らなくて、舞台を観ていてもほとんどの登場人物は知らない人たちで、もちろん役者さんも多分ほぼ全員知らない人。
(少し話は逸れるが、昨年2015年に上演された歌舞伎NEXT『阿弖流為』を観た頃は、中村勘九郎すら知らない非国民だった。)
その初演から約4ヶ月ほどの時を経て、役者を推すようになり、漫画を鬼のように買い漁り(結局観劇日までに原作は読み終わりませんでした)、博多座へ行く頃には大ッッッッ好きな舞台になっていました。
熊本の地震があったりもして、きっと役者さんたちもお客さんも沢山思うことがあったであろう博多公演。
来年も10月と11月に再演があるけれど、もし機会があればぜひ博多座でも。あの日観られなかった人達が観られることがあればいいなあって思います。
3.木ノ下歌舞伎『義経千本桜-渡海屋・大物浦-』(於:東京芸術劇場シアターイースト)
私の、人生二度目になる木ノ下歌舞伎。
ご存知の名作『義経千本桜』より「渡海屋・大物浦」の場面を現代化アレンジしたもの。
この一週間後に歌舞伎座で「渡海屋・大物浦」を観たので、そのまま残しているところやアレンジされているところ、話の筋など比較できたのも面白かったですね。
終演後ロビーにて、(おそらく)関係者と思しき方々たちが挨拶しているのを20分くらいじっと待って、主宰の木ノ下氏にいくつか質問させていただいたりしたのも思い出。
こんなパッパラパーの私の質問なんぞにも丁寧に答えてくださった主宰…
間違いなく私を歌舞伎好きにした1人だと思います。
4.八月納涼歌舞伎(於:歌舞伎座)
これはもう言わずもがな。
※歌舞伎公演は演目単位ではなく興行ごとに挙げさせていただきます。
5月に初めて歌舞伎座に来てから3ヶ月。
幕見や三等席を利用しながら、上から観続けていた私がとうとう一階席デビューをしました!
「納涼歌舞伎」、「三部制」のせいで(本当に少しだけ)安かった切符代。初めての一階席はかぶりつき一列目でした。
遮るものが全くなくて動揺する私
幕見、下界席含め一番課金したのが『嫗山姥』でした(贔屓が二人いっぺんに出ていた上に仕事前に行ける時間帯だったのが敗因)。
お祭りのような『東海道中膝栗毛』や、キュンと切なくて温かい新作歌舞伎『廓噺山名屋浦里』などなど、古典も新作も楽しい演目が目白押しの、夏休みにぴったりな浮かれた1ヶ月でした。
浦里については以前感想を書きました。
(お写真も含めて6万超えたことについてはもう触れないでください。)
5.歌舞伎女子大学『菅原伝授手習鑑に関する考察』(於:学習院女子大学やわらぎホール)
坂東新悟丈のブログで知ったこの公演。
以前、木ノ下歌舞伎にも出ていた熊川ふみさんも出演されると知って観劇しました。
単純に現代化アレンジする、だけではなく、とあるOLであったり男の子であったり。どこにでもいるような「誰か」の目を通して「歌舞伎」を考察していくお芝居。
再演の『妹背山婦女庭訓に関する考察』と、今年の新作『菅原伝授手習鑑に関する考察』の2作が上演されましたが、2回観たこともあって菅原〜 の方が印象に残っていたということで、こちら。
はじめは独特の形式やめくるめく登場人物たちについていくのに必死だったけれど、2回も観ればすんなり物語は入ってくるし、時間の経過とともにじわじわと脳と心に染み入ってくるような舞台でした。
おそらく、最後の「梅王丸は本当はこうしたかったんじゃないか」エンドの場面で流れていた音楽だと思います。
参照:坂東新悟のしんごろく-「考察」 http://s.ameblo.jp/goroku456/entry-12219545571.html
二週間は引きずる舞台でしたし未だに思い出しては泣きそうになる…
『菅原伝授手習鑑』が大好きになった、印象深い舞台でした。
以上、5作品です。出揃いました!!
なんだか『うるう』以外全て「歌舞伎」って入ってますね。
一応 歌舞伎2:現代劇3 の割合なのですが、歌舞伎を元ネタに作っているお芝居が多い気がします。
歌舞伎役者の座組に外部の役者を取り入れたスーパー歌舞伎
現代劇役者の中に歌舞伎役者を組み込んだ歌舞伎女子大学
現代劇役者のみで歌舞伎を現代をアレンジした木ノ下歌舞伎
「じゃあ何が歌舞伎なのさ!」
の定義がわけわかんなくなるような新しい歌舞伎
何が歌舞伎なのか。
私は詳しくないのでわかりません。が、割とお芝居は雑食で何でも美味しくいただけることがわかったので、途中で「あ、これはミュージカルみたい」と思えばその心持ちで楽しめるし、「これは演劇に寄ってるかもしれない」と思えばそれはそれでまんまと感動して帰れる。
改めてお芝居が好きだなぁ、と感じた一年でした。
さて!
そんな個性的な私的ノミネート作品
果たしてグランプリは……………!?!?
無し!!!!!!!!
全部好き!!!
ここに載せていないものも全部楽しかった!!!!!
代表として
「何だかめっちゃ金かけたわ(笑)」
「観た後も数日思い出し泣きをするなどしていた」
などなど振り返って思い出深いものを並べてみました。
歌舞伎を観始めたり、歌舞伎役者を追っていたら巡り巡ってまた現代劇に戻ってきたり、その影響で小劇場演劇に再び興味を持ったり、苦手なミュージカルを克服したり……
たくさんのお芝居に出逢えた2016年に感謝しつつ、2017年はもーっとたくさんのお芝居に出逢えたらいいなと思います。
ちなみに私の2017年芝居初めは新春浅草歌舞伎、初日から始まる予定です!
良いお年を。
ツチカワ
LIVE TOUR 2016 TIMELESS WORLD
「桜」
という曲が産まれたのは18年前でした。
小渕さんと黒田さんが「コブクロ」になる少し前、きっかけになった曲です。
「桜」が広く世に出たのはそこから7年後。
今から11年前の秋でした。
そして初めて日本武道館の舞台でライブをしたのが、10年前の5月。
TIMELESS WORLD はそこから10年先の未来、今と10年前を繋いだアルバムであり、2016年8月から始まったツアーのタイトルであります。
セットリスト
1. SUNRISE
2. 六等星
3. hana
4. SNIFF OUT!
5. 奇跡
6. Tearless
7. Flag
8. 同じ窓から見てた空
9. 何故、旅をするのだろう
10. NOTE
11. 桜
12. 蕾
13. 未来
14. NO PAIN, NO GAIN(with 布袋寅泰)
15. POISON(with 布袋寅泰)
16. サイ(レ)ン
17. tOKi meki
18. LOVER'S SURF
EN1. 今と未来を繋ぐもの
EN2. STAGE
(京セラドームFinalの時のものです)
TIMELESS WORLD がリリースされた時に「SUNRISEがライブの幕開けのようだ」とブログにも書いたけれど、本当に朝日のように1曲目にふさわしい演出でかっこよかった!
またオープニングが10年前のNAMELESS WORLDツアーのSE(アレンジはされていたのだろうか…?)で、私の初日は広島だったのだけど、1音聞いただけで涙。
初っ端からこのツアーへの並々ならぬ想いと覚悟を感じる演出でした。
何故、旅をするのだろう
九州新幹線のCMソングにもなった何故、旅をするのだろう。
ご本人も棒読みのナレーションでCMに参加されています。
この曲が発表された時も、「何故、旅をするのだろう!?愚問な!!コブクロに会うために決まっておろうが!?」とTwitter中が沸いたのを覚えています。
物理的な旅なのか人生を喩えた旅なのか。
どちらなのかはわからないし、どちらでもあると思うし、どちらが正解でもないと思うけれど、少なくとも私は好きな人に会うために旅をすることが多いなあ、と思いました。
コブクロに限らず、私はご存知の通り歌舞伎も好きです。普通の舞台を観に行くのも大好き。
たとえ1人でも。夜行を使っても。朝が早くても、コブクロの2人や役者さんに会うために旅をします。
大好きなもの繋がりで知り合った大好きなお友だちに会いに地方に行くことだってあります。
周到に観光地をめぐるのも楽しいし、全国にあるようなチェーン店でお茶するのも楽しい。
旅をすると、先々に「好き」が溢れるのでとっても幸せになります。
人生を旅に喩えて懐古できるほどの齢ではありませんが、この4ヶ月間でなんとなくわかるような気がしてきました。
夢行きのチケットが通らない改札の前で引き返す前にもう一度確かめて描いてきた夢とその行き先を
私は所謂夢行きのチケットが通らなければ癇癪を起こして改札口でチケットを破り捨てるようなタイプです(笑)
そこで破り捨てる前に、引き返す前に、チケットを使わないような近場に足を動かしてみたらそこにヒントがあるかもしれない。
忘れてた答えを探しに行くのが旅なら、何も遠いところに行くことだけが旅ではなくて、目的地へ向かう道筋を調べる過程も旅と呼んでいいんじゃないかな。
わざわざ夜行バスや新幹線に乗らなくても着くような近場の劇場で観たお芝居が目を覚ましてくれたように、です。
とは言え私は旅(遠征)が大好きなので、これを聴くと色んな顔が浮かんできます。
別れ際「次どこ参加する?」「私もだよ会おうね!」って言っていたのに、「次いつ会えるかわからないけど」「元気でね」って言って別れる度に寂しくなるのも幸せなんだと思うんですけどね。
未来へ
桜、蕾、未来、と並んだコブクロの代表曲たち。
コブクロに詳しくない人でも一曲は聴いたことがあるのではないでしょうか?
「この順番でこの曲たちを歌う日は、これから来るのかわからない。もしかしたら来ないかもしれない。」と言っていました。
確かに、カツ丼の後にカレーライスが来て、締めにラーメンを食べるようなこってり具合。
人生を懐古できるほどまだ生きてはいませんが、それでも多少私なりに考えることもあるわけです。
ちょうど未来がリリースされた頃はコブクロが眩しすぎて、この曲を聴くたびに思い出しては胸が苦しくなっていたんですが、埼玉公演では、一週間前に観たお芝居を思い出してわけわかんない涙を流したんですよね。
たぶん「こんなにか細く折れそうな枝の先にも君の未来が生まれてる まだ見ぬ日々を切り落とさないで 今を笑って振り返る君を守りたい」って歌詞が、枝が折れる場面に重なったんだと思います。
小渕さんが「この曲に出てくる枝は、あの日の桜です」とか言うからだぞ。
…なんのお芝居かは言いませんが察してください。察せなくてどうしても知りたい人は私のツイートをすっごい遡ってくだされば書いています。
こんなふざけた理由で真面目に泣いてるんだからふざけてると自分でも思いますが、「未来」という大切な曲が、必要以上に悲しい思い出になってしまわなかったことが嬉しかったんです。
もちろん音楽はタイムマシンのように心を当時に連れていってくれます。
きっと聴くたびに、その頃吸っていた空気や歩いた道も思い出すと思います。
でもコブクロの一つの節目とも言えるような大事な曲と、私の人生の起伏が重なったことを、大切だと思えるようになってよかった。
NO PAIN, NO GAIN
2人の憧れの布袋寅泰さんが、ファイナルだけ特別にゲストとして来てくださいました!
スーツでギターかき鳴らす姿は小渕さんでなくても惚れる…かっこいい…
去年のツアーでもTHE BOOMの宮沢和史さんがいらっしゃいました。
もうコブクロだって随分お兄さんなアーティストなのに、それでもやっぱり憧れの先輩の前では少年の顔になる。
「口で十回言うと、叶う」と、これも確か小渕さんが仰っていたことだと思いますが、十回は言えないまでも、好きなものや夢を口に出すことは案外大事なんだなあ、と何度だって思わされます。
ひねくれ者の私には、小渕さんの真っ直ぐな夢は眩しいことの方が多いですが、小さな声でも真似してみたいと思います。
STAGE
ギターの1音目から路上時代の無情感が伝わる曲ですよね。届かないまま消えていったメロディー達が見えるような曲。コブクロだけの曲。
ビジョンが尊すぎて生本人を見ればいいのかビジョンを見ればいいのか問題ですが、結局ファイナルまで葛藤は解決しませんでした。
この曲、大阪で聴いても新宿で聴いても銀座で聴いてもしっくり聴こえて「あぁ戦わねばなあ」と思っていたんですが、小渕さんがMCで「みんなも自分の場所で戦ってください」って言っていて、妙に納得。
私のSTAGEはここだ〜、と身が引き締まる思いです。頑張るね。
本当は全曲語っていきたいけれどこの調子だと上下巻の大作になりそうなので印象的なものだけかいつまんで。
tOKi meki は本当に好きでしたね。本当に可愛い。
あのアメコミ風のポップなビジョンに抜かれる黒田さんが眉間にシワ寄せながら真顔で歌っていたりするのが最高に可愛かったんですが、ファイナルにしてニコニコ手拍子プリティー黒田が観られたのでもう思い残すことは無いです。
無事に本懐を遂げました。
ただ小渕さんには、こんなポップなラブソングを推しソングにしてしまって懺悔以外の感情はありません。ごめん。
君 が い る な ら O K
自分の話ばかりになってしまったけれど、思えばライブ中自省も含めてこれまでの私の短い人生や、きっとこの先長く続いていってしまう人生に思いを馳せることが、一番多かったツアーじゃないかな、と思います。
桜がリリースされた11年前。私は小学校5年生で、まだまだコブクロを知らない頃。「名もない花には名前をつけましょう」と「桜の花びら散るたびに届かぬ想いがまた一つ」を違う曲だと思っていたくらいです。
桜ができた頃なんか4歳。自我が芽生える前なので記憶は全くないです。
「桜をリリースする時、すごく迷いました。間違った出し方はできない。」
小渕さんはこう言っていました。
それまでカバーばかり歌っていたコブクロが、初のオリジナル曲「桜」を歌ったらたくさんの人が足を止めて聴いてくれた。
そこから7年、「桜」をリリースしたら、またたくさんの人がCDを買って百万人もの人間がこの歌を聴いたんですよ。
“代表曲” と言われるようになった今、この曲を聴いたことがない人の方が少ないかもしれない。桜 でファンになった人だって数え切れないほどいるはず。
私がコブクロと出会うのはこの約3年後。
明確なきっかけの曲はたぶんなかったと思います。リアルタイムに聴けなかった NAMELESS WORLD を一番聴き込んだのはリリースから4年後の、中学3年生の冬でした、
「10年」の明確な節目ではないけれど、一つ一つの歌を聴くたびに「ああ、ずっと好きで聴いていたんだよなあ」と思い出して、ああ好きだ、と実感する幸せな時間でした。
「めんどくさ」が口癖になりつつあった今日このごろ、「好き」を実感できたのがとっても嬉しかった。
コブクロが昔を懐かしんだり、未来に思いを馳せたりするのと一緒に、私も時間旅行をしたような気分でした。
「音楽は、残そうと思って残すものではありません。そう思って曲を作ってきたわけでもはい。音楽をここまで残してくれたのは、ずっと聴いてくれていたお客さん」
私も、コブクロを好きでいようと思って好きでいるわけではありません。だから2年ほど聴かなかった時期もあります。
それでも今こうしてやっぱり離れられずに聴いているんだから、コブクロの歌を私は結局のところ嫌いになれないんだと思うんですけどね。
ずっとコブクロを好きでいるよ!!なんてことは私はひねくれ者なので言えないですが、「10年後のライブのチケットをみんなの心に投げ込んだので、また来てください」と言われたからには、今のところこのチケットをトレードに出すつもりはありません。
4ヶ月もかけて「コブクロ」を見せてくれたTIMELESS WORLD ツアー、ありがとう。
「僕はこのTIMELESS WORLDが大好きです!」
って言ってくれてありがとう。
発信者が作品に対して愛を持っていると、その愛が伝わってくる気がして私も愛したくなります。
思うことが尽きなかったツアー、今の私はこのツアーが大好きです!
長々、お粗末様でした。
ツチカワ
コンプリート
10月から3ヶ月に渡って上演された、国立劇場50周年記念 通し狂言『仮名手本忠臣蔵』を観納めてきました。
そして
歌舞伎三大名作をコンプリート致しました!
大学時代、1年次の必修の文学全史の授業でも赤いマーカーを引いたりして暗記した超有名な演目です。(こちらの写真はその時のものです。懐かしいね)
が
私は今回初めて観ました。
意外と暫とか助六とか、THE・歌舞伎みたいな演目って観たことない。
歌舞伎三大名作
三大名作の三つは、『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』そして『仮名手本忠臣蔵』。
義経千本桜は輝かしき私の古典歌舞伎デビュー戦、2016年新春浅草歌舞伎で四の切を観ました。六月には碇知盛から四の切まで、通しで。
少し変わったものでいうと、木ノ下歌舞伎という劇団の渡海屋・大物浦なんかも。
もう一つの菅原伝授手習鑑は何故か下半期に御縁があったようで、十月と十二月に寺子屋を観ました。
ちょっと特殊なのも含めれば、ついこの先日、歌舞伎女子大学の現代劇『菅原伝授手習鑑に関する考察』でかなりディープに触れたり。
驚きの三ヶ月連続寺子屋です。
そしてここに至るまで、どんな形でも触れてこなかった仮名手本忠臣蔵。
私の仮名手本忠臣蔵デビューはいきなり全通しだったのでした。
仮名手本忠臣蔵も、他二つの三大名作よろしく実際にあった歴史上の大事件をベースにしたドラマ。
義経千本桜は源平合戦と平家のその後。
菅原伝授手習鑑は菅原道真の大宰府左遷事件を。
仮名手本忠臣蔵は、赤穂浪士たちの討ち入り事件をベースにしています。
まず、私のネックだったのが登場人物の多さ。
しかも史実の名前と役名の距離が…遠いときた…
(義経千本桜は割とまんまだったし、菅原伝授手習鑑は丞相がついたり読み方が変わったりするくらいじゃないかよー)
ここで私は史実の名前を覚えることを諦めました。徹底的にお芝居に入ることにしたので赤穂浪士討入については何も聞かないでください。
一から覚え直しました。
さて初の『仮名手本忠臣蔵』!
一部の十月は、事件の発端。
扇雀丈の勘平が罪深い色気を持っていて痺れたり。判官切腹に臨む隼人丈の力弥が儚くて切なかったり。
滅多にかかることがない二段目では隼人丈と米吉丈の美男美女カップルに癒されたり!
二部は十一月。塩冶家の仇討ちをしようと決起する家来たちと、それを取り巻く人々のドラマ。
よくかかっているイメージのある五、六段目。
勘平自害の場面ですね。(2015年の新春浅草歌舞伎でもかかっていたし、研の會でもやっていたね。)
七段目の祇園一力茶屋の場も、有名なんだそう。(当然初めて観ました。)
たくさんかかるだけあって、やっぱりドラマティックな場面。
「いやいやいや、そこ黙ってないでちゃんと言いなよ」「ああ!これが夜じゃなくて昼だったら!」とか、心の中で声にならない叫び声をあげる展開は、嫌いじゃない。
襲名口上でさんざん芝翫丈をいじっていた菊五郎丈、やっぱりすごいんだ……と思わされる勘平でした。
そしてとうとう三部!フィナーレ!
もちろんここまでのドラマはこのためにあると言っても過言ではない、討入!
四十七士、四十六名並んだ舞台は圧巻。
ワンピースや阿弖流為が大好きな私。もちろん立ち回りは大好物なので、塩冶浪士たちがめくるめく立ち回る場面は観ていてとても楽しかったし、かっこよかった!
我らが隼人丈は最後の最後に仇の高師直を見つける大役。
判官が切腹した、想いがたくさん詰まったあの刀で、師直を討ちます。
この瞬間のために何人もの命がなくなったり、別れを経験したり、いくつものドラマが生まれてきたのだと思うと、三ヶ月観てきた私までなんだか感慨深くなるってもんです。
焼香の場では、メンバーに加えられたおかるの兄、平右衛門が義理の弟である無念の死を遂げた勘平の財布とともに焼香します。
ここでもまた三ヶ月の公演を思い出しながら涙。
これは通し狂言ならでは、なんだろうなあ。
そんなわけで三ヶ月。
演じるほうは当然大きなプレッシャーなのだろうけれど、観るほうもなかなか気合がいる通し狂言だな、と実感。
まして私は初めての仮名手本忠臣蔵がこの通し狂言だったので、一生忘れない気がします。
価値観
三大名作と呼ばれる歌舞伎の大作に、通しだったり断片的にだったり、触れてみて思うのはやはり価値観の違い。
当然作られた時代が違うわけだから、当時新作としてこのお芝居を観ていた人たちと同じような感動を味わえるのかと言ったらそうじゃない。
それに、「時代物」と呼ばれるお芝居においては、どうしても武士の感覚は理解出来ないものです。今武士っていないしね。
「やられたらやり返すって…」
「忠義を示すために身代わりに我が子を殺すなんて」
って、今の自分には全然理解出来ない考えや行動なのに、物語として観ていると自然と感情移入して泣いてる……みたいなことが、歌舞伎を観始めてすごく不思議だなあ、と思うようになりました。
どれもなかなかにエグい話で、義経千本桜の渡海屋・大物浦や、菅原伝授手習鑑なんかは現代劇アレンジされたものを観たことがありますが、「こんなの現代劇でやるもんじゃねえ!」と叫びたくなるエグさでした。
「討入場面の立ち回りが華麗ですごくかっこよくて楽しかった!」と書きましたが、これも現代劇のような演出をされたら、とても見ていられない場面なんだろうな…と思います。
これだけの内容の濃さと見た目の美しさが、絶妙な配合で物語を進めてくれるから、歌舞伎は観ていて楽しいのかもしれないなあ。
たらればとか、Ifとか
「ああここで〇〇がこんなことしなければ」
「もしちゃんとこれを言っていれば」
「ここで△△に気づいてたら!」
歴史にも人生にも「たられば」は存在しないと言いますが、どうしても考えざるを得なくなるんですよね。
もし斧定九郎が殺されたのが周りが明るい昼だったら。
あの時勘平が財布を引き抜かなければ。
って考えずにはいられないんだけど、それ言ったらもっと遡って遡って争いなんてなくなれ!!と思ってしまうし。
これもきっと現代の私の感覚なのだろうか。
当時の観客もこんなふうにヤキモキしたのだろうか。
今はもうイヤホンガイドも筋書も、Google先生に「仮名手本忠臣蔵 あらすじ」なんて聞けば洗いざらい教えてくれる世の中なので、最初から判官が死ぬことも勘平が死ぬことも討入が成功することも、みんなわかってるはず。
わかっていても願わずにはいられない大きな時代の流れを感じる名作たちだったのでした。
大時代の力の波に抗えない、願いはあえなく裏切られる展開なんかは割と嫌いじゃないんだけれどね。
次の目標は 通し狂言『菅原伝授手習鑑』です!
(松竹さんお願いしまーす!)
……やっぱり…多いよね…………
ツチカワ
入学しました
2日間だけ。
整理番号の札可愛くないですか
歌舞伎女子大学 という団体の、授業を受けてきました。
昨年の『妹背山婦女庭訓に関する考察』再演、
そして新作『菅原伝授手習鑑に関する考察』
どちらも、『妹背山婦女庭訓』は吉野川、『菅原伝授手習鑑』は寺子屋しか観たことのない初心者です。
吉野川に至ってはバッサリ割愛されてしまいました。(笑)
坂東新悟さんを好きになってから、「かぶじょ」の存在を知ったのですが、私が知った頃にはもう上演は終わっていました。
今回の公演を知ったのは、新悟さんのブログです。
そこで見たキャストに熊川ふみさんがいらっしゃいました。
私が初めて観た木ノ下歌舞伎の三人吉三に一重役で出ていて、それをきっかけに好きになったのが熊川ふみさんです。
「ふみさんが出るならば行ってみたい!」と、推しの役者を差し置いてかぶじょに引き込んだのは熊川ふみさんだったのです。
もちろん、現代劇俳優に混じっての歌舞伎役者、激推し俳優の新悟さんも楽しみにしていましたよ。
-
妹背山婦女庭訓に関する考察
さっきも言った通り、私はこのお話に関しては「吉野川」しか観たことがありません。
お芝居の中では、吉野川は蘇我入鹿と藤原鎌足の争う世界の中の、一つのスピンオフのような扱いだそう。
吉野川を観たときのイヤホンガイドでも「蘇我入鹿」の話をしていました。
妹背山婦女庭訓自体は蘇我氏をやっつけるお話で、そのためのアイテム集めのお話。
でも、その悪役のために生まれてしまった悲恋。お三輪ちゃんの悲劇。
いじめるシーンも苦しかったのだけど、切なかったのが最後。
おだまきを持って回るところ、「キュンキュン」というよりは何となく締め付けられる気持ちになって。「最後に顔が見たかったなあ」って台詞で終わるんだけど、その一言と暗転の中でじわじわ涙が出てきて止まらなくなりました。
物語が持つあたたかさと、あたたかみがもたらす切なさ。
「キュンキュン」って、必ずしもトキメキだけじゃないんだなあ。少なくとも私はそう思いました。
新悟さんは、お三輪ちゃん役ということで女方さんだったのだけど、鬘もお化粧も衣装も無し。
素顔に着流しでのお芝居だったのに、そこにいるのは薄幸の美女。表情や声帯も含めて身体の動きのみで醸し出す性差。
私はこの人のお芝居を初めて好きだと思ったきっかけは声だったし、やっぱり素敵な声をしている、と改めて思いました。
大好きな素敵な役者さんだと思うので、それこそ本興行でもお三輪をやってほしいし、それ以外にもたくさん大きなお役をやるようになったら良いなあ。観たいなあ。
-
菅原伝授手習鑑に関する考察
妹背山に比べて、今の私の琴線にゴリゴリ触れてくる作品でした。単刀直入に言うと好き。
こちらも「寺子屋」以外は未見。
寺子屋は観るたびに鬱になるから嫌だなあ、と思っていました。
正直、この菅原伝授手習鑑に関する考察もずっと泣きっぱなしでしたけどね。
何かを観た後に他の人の感想を聞くと自分なりの感想が見えてくる、ってことあるじゃないですか。
このお芝居がまさにそうで。
三つ子の兄弟、とりわけ梅王丸に焦点を当てた本作品だけれど、結果的に私の中では桜丸と松王丸の人間らしさとか、悲劇なんかが浮き彫りになった感じがします。
桜丸の切腹の場面、冒頭と中盤とで2回あったけど、前後で点対称になってたんですね。
中盤での切腹の場面は、八重の現代口語と桜丸の歌舞伎調の掛け合いが絶妙なタイミングですごく泣けた。
ずっとその掛け合いをしていたのに急に桜丸が現代口語で八重を諭すところがピークでした。
ツチカワ大好き木ノ下歌舞伎でも、この歌舞伎調×現代口語のコントラストで「身分差」「感情の高ぶり」を表現しているものはあったけど、かぶじょもまたドストライクに組み合わせてくれたなあ…と泣きました。
桜丸の切腹に始まり、主人公の男の子の「歌舞伎の、温かい、に逃げないと現実を生きられない」と言う台詞に泣き、寺子屋に泣き、幕切れで泣くという。
寺子屋は唯一現行歌舞伎で観たことのある部分。
この人を見たかった!熊川ふみさんの武部源蔵!
この人の体の使い方は一体なんなんだ(笑)と思うようなアグレッシブな動きをする武部源蔵(笑)
様式的な美で固められた現行歌舞伎でさえ涙無しには観られない「寺子屋」。ほとんど現代劇にアレンジされていたために実に悲劇。
寺入り前夜の松王、千代、小太郎親子のひとときをやられたらずるい。泣くしかない。
ちなみに、序盤から、千代をやられていた役者さんがお上手だなあ〜と思いながら観ていました。
幕切れ。
ダメになってしまった賀の祝。うめちゃん、本当はやりたかったんじゃないのかな〜、ってみんなでお祝いする場面。あたたかくて、ほっこりするんだけどやっぱりなんだか切なくて。
ちょっとだけ寺子屋の話に戻るけど、寺子屋で詠まれる「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌。
最後に嬉しくて梅王丸がジャンプするところ、昨日は気が付かなかったんだけど、この歌を回収してるのね。(ああ!と思ったんだけど、新悟さんがアフタートークで嬉しそうに解説していました)
菅原伝授手習鑑の中でも最も有名であろう、しかも今年は3回もかかっている、寺子屋。
これだけの世界の中に、ここまでの梅王丸や桜丸の想いがしっかり乗っていたんだ。と気付かされる。
単なる「身代わり首の鬱演目」と思っていたけれど、いろんな家族のいろんな想いが交錯した濃密な一幕だったんだなあ。
そうだ、ふみさんの八重と新悟さんの桜丸のイチャコラはとても眼に嬉しく見させていただきました。可愛い。最高。
(それだけに後々悲劇が効いてくるんですけどね…歌舞伎のそういうとこ…)
菅原伝授手習鑑、妹背山婦女庭訓のイジメの場面にも言えるんだけど、あんな重くてエグい話を様式美を使わないで写実的に表現したら相当ショッキングになるよなあ。
生々しい中身を「様式」で包むと、悲しみは美しさを伴い始める。
それでも涙が出るようなお話なのに、様式や型を取り払って少しずつ生々しさが露見して現代劇寄りにすると、引くほど重く響くお芝居になるんだなあ、と感じました。
歌舞伎が、こういうドラマ性の高いストーリーでも様式美を必要とするのには理由があるのかしらん。と勝手にこれはツチカワの考察。
-
歌舞伎役者さん
歌舞伎女子大学、唯一出られている歌舞伎役者さん、坂東新悟さん。
この人を気になり始めたきっかけはお芝居ではありませんでした。
もちろんきっかけになったお芝居もあって、4月の明治座で声に惚れたのが割と明確なきっかけだったんです。
最初に「坂東新悟」を認識したのはブログでした。そこから確か、いまじナイトやトークショーの動画を観たりもして。
なんだか面白いことを考えている変な子がいるな〜、と思ったのが最初でした。
なんだか面白おかしくブログに描かれた歌舞伎の演目。妄想のネタにされる演目。
元ネタを知らない私は気になって調べたことも何度もあります。
観たことのある演目だったりすると、「そんな見方をしちゃうのかww」と笑わせられたりもしました。
今日のアフタートークでいらしたノンノ編集長小林さんから新悟さんへの質問。
「なぜ、この企画に参加しようと思ったのか」
新悟さんは、
「子どもの頃から新作歌舞伎に携わることが多かった。父(彌十郎さん)も若い頃は猿翁さんの一座にいたり、今では平成中村座やコクーンに出させて頂いている。歌舞伎をわかり易く、という、楽しく伝えることが好きなんです。」
と仰っていた。(ごめんなさいニュアンスです)
「この人の頭の中はどうなってるんだろう…」
と思うような、私が大好きなこの妄想力はそういうところからも来ているのかなあ、なんて。
私が初めて新悟さんのブログを観たときに「面白いなあ」「好きだ」と思ったように、近いか遠いかわからない未来、新悟さんが作るとびきり面白い楽しい歌舞伎を観た人が「面白いなあ」「好きだ」と歌舞伎を好きになる世界が来ますように。と願ってやまない。
推しへの愛重め、敬称は「さん」でお送りしました。
ツチカワ